今日は実朝公の首塚を見に行った。
東田原にあって、田原ふるさと公園になっていた。墳墓ではなく五輪塔が立っていた。
それでは「雪おれや」の巻の続き。
二表、二十三句目。
霞にむせぶうけ出され者
春やむかし忘れ形見の革つづら 志計
忘れ形見の大切な形見の革葛籠をやっとのことで借金を返して取り戻して、ただ涙。
面影の霞める月ぞ宿りける
春や昔の袖の涙に
俊成女(新古今集)
の歌を踏まえる。
二十四句目。
春やむかし忘れ形見の革つづら
なんだ足袋屋が板敷に落 在色
「なんだ」は涙。
『伊勢物語』四段の、
「泣きながら泣きながら、荒れ果てた板敷に、月が西に傾くまで横になって、去年を思い出して歌を、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身は一つもとの身にして」
を踏まえるが、忘れ形見の革葛籠に涙して板敷に横になってるのは足袋屋だった。革葛籠の中味は商品の足袋だったのだろう。
二十五句目。
なんだ足袋屋が板敷に落
ごみほこりうき名つもりて高崎や 松臼
高崎は足袋の生産地で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高崎足袋」の解説」に、
「〘名〙 群馬県高崎地方で産出した刺足袋。足首の部分の高さが低いもの。
※浮世草子・好色一代男(1682)二「高崎足袋(タカサキタビ)つつ短かに、がす雪踏をはき」
とある。
まあ、田舎の方で作っている足袋だから、いろいろけなされたりしてたのか。さては他所の足袋屋の陰謀か。
なお、行田足袋はウィキペディアに、
「行田足袋の発祥は『貞享年間亀屋某なる者専門に営業を創めたのに起こり』と伝わり、文献では享保年間(1716年〜1735年)頃の『行田町絵図』に3軒の足袋屋が記されている」
とあり、この時代はまだなかったから白。
二十六句目。
ごみほこりうき名つもりて高崎や
いのる妙喜の山おろしふく 一鉄
妙喜の山は妙義山。同じ上州の山。妙義神社に祈るが、激しかれとは祈っていない。
本歌はもちろん、
憂かりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼(千載集)
になる。
二十七句目。
いのる妙喜の山おろしふく
手あやまち三尺計もえ揚リ 雪柴
「手あやまち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手過」の解説」に、
「〘名〙 あやまち。過失。そそう。特に、失火をいう。そそう火。てあいまち。
※平家(13C前)一一「昼で候へば、手あやまちではよも候はじ」
とある。
護摩を焚いて祈ったのだろう。山おろしの風にあおられて一メートルの炎が揚がる。
妙義神社も昔は神仏習合で別当がいた。
二十八句目。
手あやまち三尺計もえ揚リ
ゆがみをなをす棒は真二つ 松意
曲がった棒を火で炙って直そうとしたら燃えてしまった。
前句の「手あやまち」を文字どうり手元を誤って、とする。
二十九句目。
ゆがみをなをす棒は真二つ
人らしき心もたずばもたせうぞ 正友
三十棒で人らしき心を持たせようとしたが、そこは人外さんのことで棒が簡単に真っ二つになる。なかなか手強い。
三十句目。
人らしき心もたずばもたせうぞ
所帯を分てうさもつらさも 卜尺
前句の「人らしき」を人並みのという意味にして、所帯から独立させて人並みの苦労をさせようとする。昔から「こどおじ」っていたのだろう。
三十一句目。
所帯を分てうさもつらさも
世の中はへんてつ一衣かるい事 一朝
へんてつは褊綴(へんとつ)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「褊綴・褊裰」の解説」に、
「〘名〙 (「とつ」は「綴」「裰」の慣用音) 法衣の一種。ともに僧服である偏衫(へんさん)と直綴(じきとつ)とを折衷して、十徳のように製した衣。主に空也宗の鉢叩の法衣であったが、江戸時代には羽織として医師や俗人の剃髪者などが着用した。へんてつ。〔文明本節用集(室町中)〕
※狂歌・古今夷曲集(1666)一〇「よわみなくかたしないしな禅門はまだ幾年かへんとつをきん」
とある。
医者など、今でいう自由業の象徴なのだろう。俳諧師もこれに含まれるか。芭蕉の門人も医者や医者の息子が多い。
三十二句目。
世の中はへんてつ一衣かるい事
あかつきおきの瓢箪の音 志計
前句を鉢叩きとする。鉢叩きは俗形・俗名で、普段や茶筌売などをやっている。
三十三句目。
あかつきおきの瓢箪の音
小便やしばらく月にほととぎす 在色
年末の鉢叩きのこっこっこっこという音は、一瞬冬にホトトギスが鳴いたのかと思う。
三十四句目。
小便やしばらく月にほととぎす
病目もはるる夏山の雲 松臼
夏の青葉は目に良いと言われている。
若葉して御目の雫ぬぐはばや 芭蕉
の句もある。
ホトトギスに夏山が付く。
三十五句目。
病目もはるる夏山の雲
涼風や峰ふき送る薬師堂 一鉄
目が治るということで薬師堂を付ける。
ウィキペディアに、
「江戸近郊の江戸幕府2代将軍徳川秀忠の五女で後水尾天皇中宮の和子(東福門院)が当寺の薬師如来に眼病平癒を祈願したところ、たちまち回復したとされることから、特に眼病治癒の利益(りやく)に関して有名になった。新井薬師は目の薬師として知られている。」
とある。
ただ、山の近くとは言えないが。
三十六句目。
涼風や峰ふき送る薬師堂
かけ奉る虎やうそぶく 雪柴
虎は薬師如来の化身だという。そのため寅の日にお参りしたり、寅年に開帳したりする。
また、「虎うそぶけば風生ず」という諺があり、コトバンクの「故事成語を知る辞典「虎嘯けば風生ず」の解説」に、
「時勢の変化に乗じて、英雄が活発に活動を始めることのたとえ。
[由来] 「北史―張定和伝・論」の一節から。「虎嘯きて風生じ、竜騰のぼりて雲起こる。英雄の奮発も、亦また各々時に因る(虎が吠えるときには風が吹き、竜が飛び立つときには雲が湧き出る。英雄の出現も、風や雲のような時勢があって可能になるのだ)」とあります。」
とある。
峰から吹き下ろす涼風は、虎に化身した薬師様が嘯いたから、とする。
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