2022年11月12日土曜日

 それでは「雪おれや」の巻の続き。
 二裏、三十七句目。

   かけ奉る虎やうそぶく
 花生はもとこれ竹の林より    松意

 竹林の虎は画題の定番。由来はよくわからない。
 花を生ける一輪挿しの竹も元は竹林から取って来るもので、それに掛け軸の虎を合わせる。
 三十八句目。

   花生はもとこれ竹の林より
 相客七人はるのあけぼの     正友

 竹林と言えば竹林の七賢、 阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎だが、本物なのか、それともたまたま七人の客が来たというだけか。
 三十九句目。

   相客七人はるのあけぼの
 比丘尼宿はやきぬぎぬに帰る鴈  卜尺

 比丘尼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「比丘尼」の解説」に、

 「① (bhikṣuṇī bhikkhunī の音訳。苾蒭尼(びっしゅに)とも音訳する) 仏語。出家して具足戒(三四八戒)を受けた女子。尼。びくにん。
  ※書紀(720)敏達六年一一月「百済の国の王、還使大別王等に付て、経論若干巻并て律師、禅師、比丘尼(ヒクニ)、呪禁師、造仏工、造寺工、六人を献る」
  ② 歌比丘尼・熊野比丘尼・絵解(えとき)比丘尼など、尼の姿をして諸国を巡り歩いた一種の芸人。中世から江戸時代ごろまで続き、江戸時代には、尼の姿で売春をした下級の私娼をもいう。びくにん。
  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)二「酒などすこしづつ、のみける処に、比丘尼(ビクニ)ども一二人いで来て、哥をうたふ」
  ③ 良家の子女の外出につきそってその過失を身にひきうける尼。科負(とがおい)比丘尼。
  ※浮世草子・好色五人女(1686)三「十五六七にはなるまじき娘、母親と見えて左の方に付、右のかたに墨衣きたるびくにの付て」

とある。ここでは②の意味で、一晩に七人の客を取って、明け方にみんな雁のように列になって帰って行く。戦時中の従軍慰安婦みたいで、合戦の前とかにありそうだ。
 四十句目。

   比丘尼宿はやきぬぎぬに帰る鴈
 かはす誓紙のからす鳴也     一朝

 誓紙は起請文に同じ。あなただけですよと形だけの誓いを文章にして客みんなに渡す。カラスがあきれて鳴いている。
 四十一句目。

   かはす誓紙のからす鳴也
 終は是死尸さらす衆道事     志計

 死尸は「しかばね」とルビがある。衆道の三角関係がしばしば刃傷沙汰になることは西鶴の『男色大鏡』にもある。
 四十二句目。

   終は是死尸さらす衆道事
 豆腐のぐつ煮夢かうつつか    在色

 衆道はお坊さんに多いので、その快楽も豆腐をぐつぐつ煮る間の夢と消える。
 黄粱を炊く間の夢に一生の栄華を見る邯鄲の枕の故事による。
 四十三句目。

   豆腐のぐつ煮夢かうつつか
 す行者もこよひは爰にかり枕   松臼

 す行者は修行者。腹をすかせた修行者が行き倒れになって、夢に豆腐のぐつ煮を見る。
 四十四句目。

   す行者もこよひは爰にかり枕
 番場とふげはつもる大雪     一鉄

 番場は中山道の宿場で摺針峠のことか。鳥居本宿との間にある。琵琶湖湖畔の平地から関が原へ向かう山地に差し掛かる所にある。鎌倉末期の北条仲時の悲劇の地でもあるが、この悲劇は夏の事。
 冬は大雪になりやすい。
 四十五句目。

   番場とふげはつもる大雪
 駒とめて佐保山の城打ながめ   雪柴

 佐保山城はかつて彦根にあった石田三成の城で、関が原合戦に敗れたあと三成の父石田正継がこの城に籠って応戦したが落城し、石田の一族は絶えることとなった。石田三成は長浜の北の高時川の方へ逃れたが捕縛された。
 いずれにしても雪の季節ではないし、特に本説ということではなく、普通に旅体の句と言って良いだろう。

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし
     佐野のわたりの雪の夕暮れ
              藤原定家(新古今集)

が本歌になる。
 四十六句目。

   駒とめて佐保山の城打ながめ
 朝日にさはぐはし台の波     松意

 はし台はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「橋台」の解説」に、

 「① 橋の両端にあって、橋を支える台状のもの。きょうだい。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「駒とめて佐保山の城打ながめ〈雪柴〉 朝日にさはぐはし台の波〈松意〉」
  ② 橋のそば。橋際。橋もと。
  ※洒落本・客衆一華表(1789‐1801頃)丹波屋之套「こっちらの橋台(ハシダイ)の酒ゃア算盤酒やといって名代でございやす」

とある。犬上川の橋台か。
 奈良の佐保川だが、

 佐保川の汀に咲ける藤袴
     波の寄りてやかけむとすらむ
              源忠季(金葉集)

の歌がある。
 四十七句目。

   朝日にさはぐはし台の波
 苔むすぶ石を袂に扨こそな    正友

 朝日は、

 曇りなくとよさかのぼる朝日には
     君ぞつかへむ万代までに
              源俊頼(金葉集)
 君が代は限りもあらじ三笠山
     みねに朝日のささむかぎりは
              大江匡房(金葉集)

などの賀歌に詠まれる。そこから、

 わか君は千世に八千代にさざれ石の
     いはほとなりて苔のむすまで
              よみ人しらず(古今集)

の連想で、朝日に苔結ぶ石を袂に入れて、さて、とする。
 朝日を賀歌に詠む伝統は近代の旭日旗に通じるのかもしれない。
 四十八句目。

   苔むすぶ石を袂に扨こそな
 子どもの小鬢かぜぞ過ゆく    卜尺

 小鬢(こびん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小鬢」の解説」に、

 「〘名〙 (「こ」は接頭語) 頭の左右側面の髪。びん。また、特にこめかみのあたり。
  ※太平記(14C後)三二「小鬢(コビン)のはづれ、小耳の上、三太刀まで切られければ」

とある。
 石合戦であろう。小鬢を石がかすめて、その風圧に髪の毛が揺れる。
 四十九句目。

   子どもの小鬢かぜぞ過ゆく
 伽羅のあぶらかほる芝ゐの月明て 一朝

 芝居の子役であろう。子供ながらに伽羅の香りがする。
 五十句目。

   伽羅のあぶらかほる芝ゐの月明て
 川原おもての貝がらの露     志計

 川原おもては『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に四条河原とある。芝居小屋が並んでいた。貝殻は鬢つけ油を入れた容器で、河原に落ちている。

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