軍事上の情報は作戦上の思惑もあるから、すべて正確に伝えられることはないと思った方が良いのだろう。いずれにせよ多くの人の命がかかわっているから、単純に「知る権利」を振り回すべきではない。特に戦時下であればなおさらだ。
バイデンさんは参戦したくないし、参戦の口実を作りたくないという思惑があるのだろう。
それでは「雪おれや」の巻の続き、挙句まで。
名残裏、九十三句目。
三文もせぬ筆津虫なく
智恵づけや先小学の窓の露 卜尺
小学はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小学」の解説」に、
「① 中国、夏・殷・周三代の学校で、八歳以上の児童を教育したところ。また、そこで主として教えた学科、すなわち進退・洒掃(さいそう)・文字など。転じて、儒学における初歩的、基本的な学問をいう。
※古活字本毛詩抄(17C前)一〇「郷人の子弟たるもの、小学の学校に入て学問するを秀士と云」
※閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉漢文自修法「字画を覚え字音を識(しる)のは所謂小学(セウガク)、学問に於ての第一歩である」 〔礼記‐王制〕
② (①で、主として文字を教えたところから) 文字の字形・字音・字義に関する研究。
※随筆・続昆陽漫録補(1768)「小学は文字の学ゆへ」
③ 「しょうがっこう(小学校)」の略。
※文部省布達第一三号別冊‐明治五年(1872)八月三日「学校は三等に区別す。大学中学小学なり」
[2] 書名。劉子澄が朱子に指導を受けて編集した初学者課程の書。淳熙一四年(一一八七)成立。内外二編、六巻よりなり、洒掃・応対・進退などの作法、修身道徳の格言、忠臣孝子の事績などを集めている。江戸時代には、昌平黌(しょうへいこう)や藩校で用いられた。」
とある。ここでは貧しい家庭でも三文の筆で①の「儒学における初歩的、基本的な学問」を身に付けさせようということであろう。
秋がまだ二句なので、ここは窓の雪ではなく窓の露になる。
九十四句目。
智恵づけや先小学の窓の露
薬をきざむ町の呉竹 一朝
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『竹雪』の、
「地子の別れ路を悲しみて、竹の雪をかきのくる。わが子の死骸あらば孟宗にはかはりたり。嬉しからずの雪の中や。思ひの多き年月も、はや呉竹の窓の雪夜学の人の燈火も、払らはばやがて消えやせん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2892). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。
町医者の子どもであろう。後を継がせようと教育に熱心だ。
九十五句目。
薬をきざむ町の呉竹
箱根路を我越来れば子をうむ音 志計
「箱根路を我越来れば」といえば、
箱根路を我が越え来れば伊豆の海や
沖の小島に波の寄る見ゆ
源実朝(続後撰集)
の歌で、「いづのうみや(伊豆の海や)」を「いつの生みや」として、子を産むとする。
前句を小田原の有名な藤の丸の膏薬屋としたか。延宝七年の「須磨ぞ秋」の巻九十八句目に、
千年の膏薬既に和らぎて
折ふし松に藤の丸さく 桃青
の句がある。
九十六句目。
箱根路を我越来れば子をうむ音
狐にばかされ明てくやしき 在色
街道で産気づいた女がいて駆け寄ったが狐だった。
九十七句目。
狐にばかされ明てくやしき
待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし 松臼
狐に化かされて待ちぼうけをくらう。待つだけにまつ毛が涙で濡れる。
九十八句目。
待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし
思ひの色や辰砂なる覧 正友
辰砂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「辰砂・辰沙」の解説」に、
「① 水銀の硫化鉱物。特徴ある紅色の土状または塊状物。六方晶系。水銀の原料鉱物として重要。古くから顔料の朱としても用いられた。中国の辰州(湖南省沅陵県)から産したのでこの名がある。朱砂。丹砂。丹朱。
※太平記(14C後)二五「風を治する薬には、牛黄金虎丹、辰沙(シンシャ)、天麻円を合せて御療治候べしと申す」
② 陶磁器で、銅を含む釉(うわぐすり)の一種。還元焔焼成により、天然朱の辰砂に似た鮮紅色に発色する。中国では釉裏紅(ゆうりこう)という。」
とある。いずれにしても血の涙の色。
見せばやな雄島のあまの袖だにも
濡れにぞ濡れし色は変らず
殷富門院大輔(千載集)
は血の涙を遠回しに言った歌として知られている。血の涙を直接詠んだ歌は、
ちの涙おちてぞたぎつ白河は
君か世までの名にこそ有りけれ
素性法師(古今集)
の哀傷歌に見られる。
九十九句目。
思ひの色や辰砂なる覧
玉垣の花をささげていのり事 雪柴
前句を思う心の清き赤き心と取り成す。赤心はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤心」の解説」に、
「① (「赤」は、はだか、あるがままの意) うそいつわりのない心。まごころ。誠意。赤誠。丹心。
※菅家文草(900頃)七・未旦求衣賦「容光正レ襟。推二赤心於微隠一」
※正法眼蔵(1231‐53)身心学道「赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり、一片両片にあらず、片々なるなり」 〔魏志‐董昭伝〕
② ものの赤い中心。赤い芯(しん)。〔毛詩草木鳥獣虫魚疏〕」
とある。
赤心奉国は『資治通鑑』が出典だという。幕末になると赤心報国になって、尊王のスローガンになる。
挙句。
玉垣の花をささげていのり事
女性一人広前の春 一鉄
広前(ひろまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広前」の解説」に、
「〘名〙 神仏の前をうやまっていうことば。神の御前。また、神殿・宮殿などの前庭。太前(ふとまえ)。宝前(ほうぜん)。大前(おおまえ)。
※文徳実録‐嘉祥三年(850)七月丙戌「天御柱国御柱神の広前に申賜へと申く」
とある。神の御前で祈りを捧げて一巻及び千句興行は目出度く終わる。
前書きに「あらがねの槌音絶ぬ鍛冶町と云所へ時々会合して」とあるように神田鍛冶町の松意の家で行われた興行ではあったが、この千句を神前に捧げる意図があったのであろう。
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