2022年11月16日水曜日

 軍事上の情報は作戦上の思惑もあるから、すべて正確に伝えられることはないと思った方が良いのだろう。いずれにせよ多くの人の命がかかわっているから、単純に「知る権利」を振り回すべきではない。特に戦時下であればなおさらだ。
 バイデンさんは参戦したくないし、参戦の口実を作りたくないという思惑があるのだろう。

 それでは「雪おれや」の巻の続き、挙句まで。
 名残裏、九十三句目。

   三文もせぬ筆津虫なく
 智恵づけや先小学の窓の露    卜尺

 小学はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小学」の解説」に、

 「① 中国、夏・殷・周三代の学校で、八歳以上の児童を教育したところ。また、そこで主として教えた学科、すなわち進退・洒掃(さいそう)・文字など。転じて、儒学における初歩的、基本的な学問をいう。
  ※古活字本毛詩抄(17C前)一〇「郷人の子弟たるもの、小学の学校に入て学問するを秀士と云」
  ※閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉漢文自修法「字画を覚え字音を識(しる)のは所謂小学(セウガク)、学問に於ての第一歩である」 〔礼記‐王制〕
  ② (①で、主として文字を教えたところから) 文字の字形・字音・字義に関する研究。
  ※随筆・続昆陽漫録補(1768)「小学は文字の学ゆへ」
  ③ 「しょうがっこう(小学校)」の略。
  ※文部省布達第一三号別冊‐明治五年(1872)八月三日「学校は三等に区別す。大学中学小学なり」
  [2] 書名。劉子澄が朱子に指導を受けて編集した初学者課程の書。淳熙一四年(一一八七)成立。内外二編、六巻よりなり、洒掃・応対・進退などの作法、修身道徳の格言、忠臣孝子の事績などを集めている。江戸時代には、昌平黌(しょうへいこう)や藩校で用いられた。」

とある。ここでは貧しい家庭でも三文の筆で①の「儒学における初歩的、基本的な学問」を身に付けさせようということであろう。
 秋がまだ二句なので、ここは窓の雪ではなく窓の露になる。
 九十四句目。

   智恵づけや先小学の窓の露
 薬をきざむ町の呉竹       一朝

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『竹雪』の、

 「地子の別れ路を悲しみて、竹の雪をかきのくる。わが子の死骸あらば孟宗にはかはりたり。嬉しからずの雪の中や。思ひの多き年月も、はや呉竹の窓の雪夜学の人の燈火も、払らはばやがて消えやせん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2892). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 町医者の子どもであろう。後を継がせようと教育に熱心だ。
 九十五句目。

   薬をきざむ町の呉竹
 箱根路を我越来れば子をうむ音  志計

 「箱根路を我越来れば」といえば、

 箱根路を我が越え来れば伊豆の海や
     沖の小島に波の寄る見ゆ
              源実朝(続後撰集)

の歌で、「いづのうみや(伊豆の海や)」を「いつの生みや」として、子を産むとする。
 前句を小田原の有名な藤の丸の膏薬屋としたか。延宝七年の「須磨ぞ秋」の巻九十八句目に、

   千年の膏薬既に和らぎて
 折ふし松に藤の丸さく      桃青

の句がある。
 九十六句目。

   箱根路を我越来れば子をうむ音
 狐にばかされ明てくやしき    在色

 街道で産気づいた女がいて駆け寄ったが狐だった。
 九十七句目。

   狐にばかされ明てくやしき
 待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし 松臼

 狐に化かされて待ちぼうけをくらう。待つだけにまつ毛が涙で濡れる。
 九十八句目。

   待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし
 思ひの色や辰砂なる覧      正友

 辰砂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「辰砂・辰沙」の解説」に、

 「① 水銀の硫化鉱物。特徴ある紅色の土状または塊状物。六方晶系。水銀の原料鉱物として重要。古くから顔料の朱としても用いられた。中国の辰州(湖南省沅陵県)から産したのでこの名がある。朱砂。丹砂。丹朱。
  ※太平記(14C後)二五「風を治する薬には、牛黄金虎丹、辰沙(シンシャ)、天麻円を合せて御療治候べしと申す」
  ② 陶磁器で、銅を含む釉(うわぐすり)の一種。還元焔焼成により、天然朱の辰砂に似た鮮紅色に発色する。中国では釉裏紅(ゆうりこう)という。」

とある。いずれにしても血の涙の色。

 見せばやな雄島のあまの袖だにも
     濡れにぞ濡れし色は変らず
              殷富門院大輔(千載集)

は血の涙を遠回しに言った歌として知られている。血の涙を直接詠んだ歌は、

 ちの涙おちてぞたぎつ白河は
     君か世までの名にこそ有りけれ
              素性法師(古今集)

の哀傷歌に見られる。
 九十九句目。

   思ひの色や辰砂なる覧
 玉垣の花をささげていのり事   雪柴

 前句を思う心の清き赤き心と取り成す。赤心はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤心」の解説」に、

 「① (「赤」は、はだか、あるがままの意) うそいつわりのない心。まごころ。誠意。赤誠。丹心。
  ※菅家文草(900頃)七・未旦求衣賦「容光正レ襟。推二赤心於微隠一」
  ※正法眼蔵(1231‐53)身心学道「赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり、一片両片にあらず、片々なるなり」 〔魏志‐董昭伝〕
  ② ものの赤い中心。赤い芯(しん)。〔毛詩草木鳥獣虫魚疏〕」

とある。
 赤心奉国は『資治通鑑』が出典だという。幕末になると赤心報国になって、尊王のスローガンになる。
 挙句。

   玉垣の花をささげていのり事
 女性一人広前の春        一鉄

 広前(ひろまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広前」の解説」に、

 「〘名〙 神仏の前をうやまっていうことば。神の御前。また、神殿・宮殿などの前庭。太前(ふとまえ)。宝前(ほうぜん)。大前(おおまえ)。
  ※文徳実録‐嘉祥三年(850)七月丙戌「天御柱国御柱神の広前に申賜へと申く」

とある。神の御前で祈りを捧げて一巻及び千句興行は目出度く終わる。
 前書きに「あらがねの槌音絶ぬ鍛冶町と云所へ時々会合して」とあるように神田鍛冶町の松意の家で行われた興行ではあったが、この千句を神前に捧げる意図があったのであろう。

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