2022年11月3日木曜日

 文化の日は秦野市では秦野市市民の日でもあった。カルチャーパークではフリマや露店やステージもあって賑わった。
 そのあと、白笹稲荷神社の骨董市にも行った。

 それでは「革足袋の」の巻の続き。
 三表、五十一句目。

   わづかのなさけ春の夜の夢
 やぶ入や世のうき橋を渡るらん  正友

 浮橋は定家の夢の浮橋ではなく、

 仮の世のうきこと見るも儚しや
     身をうき舟を浮橋にして
              阿仏(夫木抄)

の方だろうか。
 情け容赦のない過酷な職場からたった一日実家に帰と、その日だけの春の夜の夢のような人の情けを感じることができる。
 五十二句目。

   やぶ入や世のうき橋を渡るらん
 三人笑てたたく手みやげ     雪柴

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「虎渓三笑」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虎渓三笑」の解説」に、

 「〘名〙 晉の慧遠(えおん)法師が廬山にいた時、訪ねてきた詩人の陶淵明、道士の陸修静を送りながら、話に夢中になって、日頃渡るのを避けていた虎渓を過ぎてしまい、虎の声に初めて気がつき、三人で大笑いしたという「廬山記‐叙山北」の故事。また、それを画題とした水墨画。虎渓の三笑。三笑。
  ※廬山(1971)〈秦恒平〉「妙心寺にも、狩野山楽が描いた立派な虎渓三笑があり」

とある。
 お土産を持って郷里に帰ると、三人で大笑いして迎えてくれる。
 五十三句目。

   三人笑てたたく手みやげ
 たのしみやおはずかさずに子を愛し 一鉄

 これも『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「負わず貸さずに子三人」という諺とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「負ず借らずに子三人」の解説」に、

 「借金がなくて、子供が三人まであるという、平和で幸福な家庭の状態をいう。
  ※浮世草子・女敵高麗茶碗(1717)上「おはずからずに子三人、常住月夜と願のごとく」

とある。多分「貸さず」も「借らず」も両方あったのだろう。
 「負わず」は多分元の意味では金を貰ったりして「恩義を負わず」の意味だったのだろう。ただ、負債がないという意味なら「借らず」と同語反復になる。そこで「貸さず」のバージョンが生じたのだと思う。
 子三人は当時の死亡率から考えると、これで大体現状の人口が維持できる数ということだろう。死亡率の低い今なら子二人と言う所か。
 それ以上いると必ず家督の争いになる。男子三人でも二男と三男が結託すれば長男に勝てるという思惑が生じてしまう。
 五十四句目。

   たのしみやおはずかさずに子を愛し
 年のきはともしらぬ老鶴     松意

 年の際は年末のこと。年末に借金取りに追われることもなく鶴のように長生きした。
 五十五句目。

   年のきはともしらぬ老鶴
 鎌倉の将軍以来の松の雪     卜尺

 松の雪というと、

 み山には松の雪だにきえなくに
     宮こは野辺の若菜つみけり
              よみ人しらず(古今集)

の歌がある。春が来ても消えないというのを本意とする。
 鶴は千年生きるから、まだ鎌倉の将軍がいた時代からずっと松の雪のように消えることなく、年が変わるのも知らない。
 この頃は頼朝の時代からまだ五百年も経っていない。
 五十六句目。

   鎌倉の将軍以来の松の雪
 東海道にあらし寒ゆく      松臼

 鎌倉は頼朝がいた頃以来の大雪となり、東海道に嵐が吹き荒れる。
 五十七句目。

   東海道にあらし寒ゆく
 追出しの鐘に目覚て馬やらふ   一朝

 追出しの鐘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出の鐘」の解説」に、

 「夜明けをつげる鐘。遊里などで、明け六つ(今の午前六時ごろ)の鐘をいう語。泊まり客が帰る時刻に鳴ることからいう。追い出し。起こし鐘。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※俳諧・鷹筑波(1638)二「耳かしましきをひ出しの鐘(カネ)一季をり限になればきう乞て〈正好〉」

とある。
 宿場の遊女と遊んで朝になれば追出しの鐘が鳴る。それだけだと普通だが、「馬やらふ」というのは金がなくて馬に乗せられて家まで金を取りに行くということか。そりゃあ嵐のようだ。
 五十八句目。

   追出しの鐘に目覚て馬やらふ
 人間万事まよふうかれめ     在色

 「人間万事塞翁が馬」という『淮南子』人間訓に由来する諺から馬に人間万事を付ける。内容は諺とは関係なく、人は誰でも遊女に迷わされる。
 五十九句目。

   人間万事まよふうかれめ
 方便や今此娑婆に仏御前     雪柴

 仏御前はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典「仏御前」の解説」に、

 「没年:治承4.8.18(1180.9.9)
生年:永暦1.1.15(1160.2.23)
平安時代末期の白拍子。加賀国(石川県)の出身。16歳で都に聞こえた白拍子の上手となり,平清盛の西八条邸に推参。すでに白拍子祇王を寵愛していた清盛の拒絶に合うが,祇王の取り成しで清盛と対面して舞を舞う。この結果,清盛の寵愛は仏に移り,仏を慰めるために清盛に召されて今様を謡った祇王は,母刀自,妹祇女と共に悲嘆のうちに嵯峨の奥に出家して,庵を結んだ。一方仏は,祇王の恩を仇で返したことを情けなく思い,かつ祇王の身の上がいつか自分自身の身の上となることに無常を感じ,尼となって祇王たちの庵を訪れた。そして,仏ら4人の尼は皆往生して,長講堂の過去帳にも記されたという。<参考文献>山本清嗣・藤島秀隆『仏御前』
(細川涼一)」

とある。
 前句のうかれめと引き離すのに、仏御前を差し向けるのは方便ということか。
 六十句目。

   方便や今此娑婆に仏御前
 夫おもんみる恋のみなもと    志計

 夫は「それ」と読む。
 仏教は恋すらも成仏のための方便とするが、ならば恋そのものはどこから生じるのか。
 六十一句目。

   夫おもんみる恋のみなもと
 恨ては昼夜をすてぬ泪川     松意

 涙の川は昼夜休むことなく流れる。その涙の源は満たされぬ恋にある。
 六十二句目。

   恨ては昼夜をすてぬ泪川
 水もたまらずあはれ一太刀    正友

 「水もたまらず」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水も溜まらず」の解説」に、

 「刀剣で、あざやかに切るさま。また、切れ味のよいさま。
  ※長門本平家(13C前)一四「本どりをつかみてひきあげて首をかく、水もたまらず切れにけり」

とある。前句を仇討の積年の恨みとして、一太刀で本懐を遂げる。
 六十三句目。

   水もたまらずあはれ一太刀
 真向にさしかざしたる月の色   松臼

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』は謡曲『生田敦盛』の、

 「馴れつる修羅の敵ぞかしと、太刀真向にさしかざし、ここやかしこに走り廻り、火花を散らして戦ひしが、暫くありて黒雲も、次第に立ち去り修羅の敵も忽ちに消え失せて、月澄み渡りて明明たる暁の空とぞなりたりける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1038). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。この場面の本説と見ていい。
 六十四句目。

   真向にさしかざしたる月の色
 すすみ出たるはつ鴈の声     一鉄

 前句の月を刀に見立てて初雁が刀を構えて前に進み出て名乗りを上げたとする。月は三日月であろう。

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