今日の富士山は白くなっていたが、中腹の所に雲がかかっていて全体が見えなかった。
夜には半月を過ぎた月が見える。
明日は文化の日。文化の日という季語はなかなか難しい。戦後の新しい季語で古典に基づく本意本情がないし、文化というアバウトな記念日で、文化だと言えば何でも文化になってしまうし、山の日や海の日ほど対象が絞れないし、浮んでくる景もない。
文化の日あるあるというのも思いつかないし、抽象的になりやすいテーマだ。
それでは「革足袋の」の巻の続き・
二裏、三十七句目。
煤をおさむる城の松風
から鮭の尾上にちかき台所 卜尺
前句の城を尾上にある山城として、そこの台所には正月用のから鮭が大量に入荷している。
から鮭はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乾鮭」の解説」に、
「① 塩引鮭を一晩冷たい流水に浸し、陰干しにしたもの。北国の特産。寒塩引。《季・冬》
※今昔(1120頃か)二八「枯鮭(からざけ)を大刀に帯(は)けて」
② (その形状から) 首をつって死ぬことのたとえ。
※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)上「からざけにならふが、〈略〉一文もかねはない」
③ 老婆をあざけっていう語。しわくちゃばばあ。
※雑俳・田刈笠(1756)「それはその・干鮭に鰭有る隠居」
④ 人をののしっていう語。とるにたりない人間ども。
※浄瑠璃・摂州渡辺橋供養(1748)五「数にもたりない乾鮭(カラザケ)めら」
とある。この頃はまだ②③④の比喩として派生した意味はなかったのだろう。
から鮭も空也の痩も寒の内 芭蕉
の句は元禄三年になる。
三十八句目。
から鮭の尾上にちかき台所
猫のにやぐにやぐいづれ山びこ 松臼
「にやぐにやぐ」は今の「にゃごにゃご」。かつての乙類の「お」は「う」と「お」の交替が起きる。人麿=人丸のように。
前句の尾上の台所を城ではなく山の上に普通の民家として、から鮭に猫が何匹も寄ってくる様とする。猫の声がこだまする。
三十九句目。
猫のにやぐにやぐいづれ山びこ
杣人やなたの下より悟るらん 一朝
これは『無門関』の南泉斬猫のパロディ。
無数の猫の鳴き声の中から、そこだ!と本物の猫を斬りつける。分身の術を破るのに似ている。この猫は妖魔だったのだろう。
四十句目。
杣人やなたの下より悟るらん
苧くずの衣すきの塵の世 在色
苧(を)くずは苧屑(をぐそ)のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苧屑」の解説」に、
「〘名〙 麻苧(あさお)を糸にする時に出る外皮その他のくず。」
とある。
杣人は粗末な苧屑の衣にこの世は皆塵の如しと悟るのだろう。『平家物語』に「たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」とある。
四十一句目。
苧くずの衣すきの塵の世
信濃なる木曽屋が蔵も荒にけり 雪柴
麻衣(あさぎぬ)に木曽は、
木賊刈る木曽の麻衣袖ぬれて
磨かぬ露も玉と散りけり
寂蓮法師(新勅撰集)
の歌がある。ここでは現代風に木曽屋の蔵も荒れて諸行無常とする。
四十二句目。
信濃なる木曽屋が蔵も荒にけり
押込強盗みやはとがめぬ 志計
『伊勢物語』第八段に、
信濃なる浅間の嶽にたつ煙
をちこち人の見やはとがめぬ
の歌がある。「みやはとがめぬ」は見て咎めない人がいるだろうか、という反語になる。
四十三句目。
押込強盗みやはとがめぬ
小男のさも小ざかしき同心衆 松意
同心衆は与力同心の下で働く今日の警察官のようなもので、穢多非人の仕事だった。
小男で正義感が強いというイメージがあったのだろう。
四十四句目。
小男のさも小ざかしき同心衆
消すに火のこのくぐる股ぐら 正友
前句を火消同心とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火消同心」の解説」に、
「〘名〙 火消組の同心。
※吏徴(1845)下「火消同心三百人」
とある。ここでの同心は与力同心の同心ではなく、一般的な心を一つにするものという意味になる。
勇敢に火の中に飛び込んで、股ぐらから勢いよく火の粉が噴き出す。
四十五句目。
消すに火のこのくぐる股ぐら
長持を所せくまでかきすへて 松臼
火事場から長持ちを運び出す。
四十六句目。
長持を所せくまでかきすへて
此殿様へ浄瑠り大夫 一鉄
前句の長持ちは人形芝居に使う人形のケースだった。
四十七句目。
此殿様へ浄瑠り大夫
女郎客簾中ふかく入給ふ 在色
浄瑠璃大夫を遊女の名前としたか。お客様を御簾の中に入れる。
四十八句目。
女郎客簾中ふかく入給ふ
衣引かづきはや新枕 卜尺
新枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新枕」の解説」に、
「〘名〙 男女が初めていっしょに寝ること。にいたまくら。
※伊勢物語(10C前)二四「あらたまの年の三年(みとせ)を待ちわびてただこよひこそにゐまくらすれ」
※仮名草子・尤双紙(1632)下「物いはぬは、まだいはけなき新枕(ニヰマクラ)」
とある。着物を被って入って行くのは男の方であろう。
四十九句目。
衣引かづきはや新枕
花も月もなんでもない事恋の道 志計
夜這いは大体真っ暗な時にするもので、花も見えないし月もない。何もない中で行われる。
五十句目。
花も月もなんでもない事恋の道
わづかのなさけ春の夜の夢 一朝
花も月もない行きずりの恋は春の夜の夢の如し。『平家物語』の冒頭にもあるように、「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」
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