2022年11月14日月曜日

 ツイッターも変なネットデモの声が聞こえてこなくなったし、絵師たちのいろんな絵がTL復活祭で表示されるようになったし、次は誰か2チャンネルを取り戻してくれないかな。
 結局日本のネットを駄目にしたのは朝日とハフポストだったということか。あと、CNNでもクーリエでもBBCでもジャパンと付くのは日本のメディアなので気をつけよう。今は現地語のニュースでもグーグルが訳してくれる。
 あと、鈴呂屋書庫に「髪ゆひや」の巻をアップしたのでよろしく。
 それでは「雪おれや」の巻の続き。
 三裏、六十五句目。

   何院殿の法事なる覧
 籠払ひそれらが命拾ひもの    正友

 籠払ひはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「牢払」の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、牢内の囚人を解放すること。将軍家の法事などに際し、諸国の軽罪囚の赦免が行なわれたほか、江戸小伝馬町の大牢で、出火あるいは近火の時に、三日間の日限付きで囚人を解放した。
  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「籠(ロウ)払ひそれらが命拾ひもの〈正友〉 角のはへてや来る伝馬町〈卜尺〉」

とある。今でいう恩赦のこと。
 前句の法事で恩赦が下され、死刑囚も命拾いする。
 六十六句目。

   籠払ひそれらが命拾ひもの
 角のはへてや来る伝馬町     卜尺

 伝馬町にはかつて牢屋敷があった。
 出てきた囚人は髪や髭が伸び放題になって鬼のようで、角が生えているのかと思わせるような風体だった。
 六十七句目。

   角のはへてや来る伝馬町
 胸の火をかな輪にもやす亭女   一朝

 かな輪はこの場合はコトバンクの「世界大百科事典内の金輪の言及」に、

 「…このほか籐製などもある。火鉢の付属品として火箸,灰ならし,五徳(ごとく)(炭火の上に置いて鉄瓶などをかける脚付きの輪,古くは金輪(かなわ)といった)が使われる。 火鉢は和風住宅の暖房器具を代表するものといえる。…」

とある、火鉢に乗せる金輪か。
 亭女は前句の伝馬町からすると伝馬宿の女亭主であろう。火鉢の前で嫉妬の炎をメラメラ燃やしながら夫の帰りを待っている。あたかも角が生えたようだ。
 六十八句目。

   胸の火をかな輪にもやす亭女
 別はの酒寒いにま一つ      志計

 前句を別れ際の悲しみの恋心の炎として、火鉢に掛けた熱燗を別れ際に「まあ、一つ」と差し出す。
 六十九句目。

   別はの酒寒いにま一つ
 長枕寝肌の雪の朝ぼらけ     在色

 寝肌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寝肌」の解説」に、

 「〘名〙 寝ているときの肌。また、ともに寝た人の肌の具合。
  ※曾丹集(11C初か)「あらいそに荒波たちてあるるよもきみがねはたはなつかしきかな」

とある。
 雪は雪の朝とも取れるし、共に寝た人の肌の雪のような白さとも取れる。
 寒いので酒を一杯飲んでから出て行く。
 七十句目。

   長枕寝肌の雪の朝ぼらけ
 待くたびれてうぐひすの声    松臼

 二人用の長枕に来ぬ人を待って夜が明けたとする。春が来たというのにあなたは帰らない。
 七十一句目。

   待くたびれてうぐひすの声
 峰の雲花とおどろく番太郎    一鉄

 番太郎はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番太」の解説」に、

 「〘名〙 (「ばんたろう(番太郎)」の略)
  ① 江戸時代、町村で治安を守り、警察機構の末端を担当した非人身分の番人。平常は、番人小屋(番屋)に詰め、町村内の犯罪の予防、摘発やその他の警察事務を担当し、番人給が支給されていた。番非人。番太郎。番子。
  ※俳諧・当世男(1676)秋「藁一束うつや番太が唐衣〈見石〉」
  ② 特に、江戸市中に設けられた木戸の隣の番小屋に住み、木戸の番をしたもの。町の雇人で、昼は草鞋(わらじ)、膏薬、駄菓子などを売り内職をしていた、平民身分のもの。番太郎。番子。」

とある。非人の身分であることが多く、

 五月雨や竜灯あぐる番太郎    芭蕉

の句もある。暗くなると愛宕灯籠を点けて回ったりもしていた。
 花の雲は『古今集』仮名序に、

 「よしのの山のさくらは、人まろが心には、くもかとのみなむおぼえける」

とある。それ以来桜は雲に喩えられるが、その面白さは番太郎でもわかる、というところだろう。
 七十二句目。

   峰の雲花とおどろく番太郎
 人丸が目やかすむ焼亡      雪柴

 焼亡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼亡」の解説」に、

 「〘名〙 (「もう」は「亡」の呉音。古くは「じょうもう」)
  ① (━する) 建造物などが焼けてなくなること。焼けうせること。焼失。しょうぼう。
  ※田氏家集(892頃)中・奉答視草両児詩「勝家焼亡曾不レ日、良医傾没即非レ時」
  ② 火事。火災。しょうぼう。
  ※権記‐長保三年(1001)九月一四日「及二深更一、西方有二焼亡一」
  ※日葡辞書(1603‐04)「Iômǒno(ジョウマウノ) ヨウジン セヨ」
  [語誌](1)「色葉字類抄」によると、清音であったと思われるが、「天草本平家」「日葡辞書」など、室町時代のキリシタン資料のローマ字本によると「ジョウマウ」と濁音である。
  (2)方言に「じょうもう」の変化形「じょーもん」があるところから、室町時代以降に口頭語としても広がりを見せたと思われる。」

とある。
 人丸は「ひとまる=火止まる」と掛けて火災除けの神様でもあった。
 鍛冶で焼け野原になったところに白い煙が残っている様を番太郎が峰の花かと思う。人麿の目を持っている。
 七十三句目。

   人丸が目やかすむ焼亡
 年月と送る藁屋のめし時分    松意

 前句の人丸を謡曲『景清』の悪七兵衛景清の娘の人丸とする。
 日向の国にやってきて、そこで、

 「不思議やなこれなる草の庵古りて、誰住むべくも見えざるに、声めづらかに聞こゆる は、もし乞食のありかかと、軒端も遠く見えたるぞや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2949). Yamatouta e books. Kindle 版. )

という藁屋に辿り着く。
 前句の焼亡が実は飯炊く湯気だったとする。
 七十四句目。

   年月と送る藁屋のめし時分
 つとめの経やすみの衣手     正友

 前句を僧の藁屋とする。
 飯を炊いているから朝のお勤めの経を上げるその衣手は炭で汚れている。
 七十五句目。

   つとめの経やすみの衣手
 うき世かなおくれ先だつ夫婦中  卜尺

 妻に先立たれて夫が出家してお経をあげる。
 七十六句目。

   うき世かなおくれ先だつ夫婦中
 大和の国になみだ雨ふる     一朝

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『三輪』の、

 「五濁の塵に交はり、暫し心は足引の大和の国に年久しき夫婦の者あり。八千代をこめ し玉椿、変らぬ色を頼みけるに」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2308). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。言葉は借りているがこの謡曲の趣向ではないので本説ではない。
 情としては、

 墨染めの君が袂は雲なれや
     たえす涙の雨とのみふる
              壬生忠峯(古今集)

の哀傷歌であろう。
 七十七句目。

   大和の国になみだ雨ふる
 悋気にや宇野が一党さはぐらん  志計

 宇野の一党は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』に、

 「大和国宇野太郎親治の一党。保元物語に家の子郎党を率いて新院の加勢に向かう途中、敵軍に包囲されて滅亡したとある。」

とある。これは宇野七郎親治のことか。その息子には宇野太郎有治がいる。
 宇野七郎親治の方はウィキペディアに、

 「大和国宇智郡宇野荘に住した。久安元年(1145年)、興福寺の衆徒が金峰山寺を攻めた時には、金峰山側について戦った。保元元年(1156年)に勃発した保元の乱において、崇徳上皇、藤原頼長方に加担。兵を率いて京に入ろうとするところを、警護にあたっていた敵方の平基盛に見咎められ、合戦の末に敗れて捕虜となる。本戦の間は獄舎に繋がれていたが、戦後赦免されて本拠の大和に帰された。これは、親治が大和国内で興福寺と対立関係にあることに目をつけた後白河天皇による、興福寺牽制のための政治的措置だったと言われている。治承4年(1180年)の以仁王の挙兵の際は、息子を源頼政に応じさせた。」

とある。宇野太郎有治の方は、コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「源有治」の解説」に、

 「1139-1221 平安時代後期の武将。
保延(ほうえん)5年8月30日生まれ。源親治(ちかはる)の長男。大和源氏。治承(じしょう)4年(1180)源頼政(よりまさ)の挙兵にくわわるが敗れ,法然をたよって出家。大和(奈良県)宇野や吉野で念仏の教化につとめた。承久(じょうきゅう)3年2月2日死去。83歳。通称は宇野太郎,斎院次官。法名は聖空。」

とある。
 いずれにせよ負け将で、ここではその故事を引きながらも、あくまで現代の女を廻る諍いとする。
 七十八句目。

   悋気にや宇野が一党さはぐらん
 月に向ひて恋の先がけ      在色

 誰かが宇野一党出し抜いて抜け駆けして、月の野原を女の下にまっしぐら。

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