2022年11月9日水曜日

 アメリカの上院議員選挙。またバイデンジャンプ、あるのかな。

 それでは「雪おれや」の巻の続き。
 初裏、九句目。

   小家三つ四つむすぶしら露
 きりぎりす念仏講にこゑそへて  正友

 念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏講」の解説」に、

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。
  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」
  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。
  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

とある。ここは①の意味。三四件集まってのささやかな念仏講で、コオロギが辺りで鳴いている。
 十句目。

   きりぎりす念仏講にこゑそへて
 煮しめその外萩の花など     執筆

 念仏講には煮しめ、コオロギには萩の花を添える。
 十一句目。

   煮しめその外萩の花など
 はるばると野路の玉川留守見廻  一朝

 野路の玉川はコトバンクの「デジタル大辞泉「野路の玉川」の解説」に、

 「六玉川の一。滋賀県草津市野路町にあった小川。萩の名所。[歌枕]
 「明日もこむ―萩こえて色なる波に月やどりけり」〈千載・秋上〉」

とある。萩の玉川ともいう。
 野路の玉川の留守番に来た人が煮しめを食ってという、花より団子ネタ。
 十二句目。

   はるばると野路の玉川留守見廻
 人魂中の勢田の長橋       松意

 人魂は「じつこん」とルビがある。昵懇(じっこん)と同じで懇意にしていること。
 留守番のためにわざわざ野路の玉川まで来てくれる人というのは懇意にしている人で、勢田の長い唐橋を渡ってくる。
 十三句目。

   人魂中の勢田の長橋
 俵一つ御無心申かねのこゑ    在色

 懇意の仲だと言いながら米の無心にやってくる。三井寺の鐘を添える。
 十四句目。

   俵一つ御無心申かねのこゑ
 大雨にはかよその夕暮      志計

 前句の俵を土嚢のこととしたか。
 十五句目。

   大雨にはかよその夕暮
 ほととぎす万民是を賞玩す    一鉄

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『高砂』の、

 「中にもこの松は、万木にすぐれて、十八公の粧ひ、千秋の緑をなして、古今の色を見ず。始皇の御爵に、あづかる程の木なりとて異国にも、本朝にも万民これを賞翫す。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 この場合その前の、

 「然るに、長能が言葉にも、有情非情のその声みな歌に漏るる事なし。草木土沙、風声水音まで万物のこもる心あり。春の林の東風に動き秋の虫の、北露に鳴くも皆・和歌の姿ならずや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle 版. )

が重要で、つまり万物皆歌だという所で、にわかに大雨が降ってもそれに構わず鳴く時鳥の声は歌だという所で万民是を賞玩する。
 日本人は自然の音を言語脳で聞く能力を持っているという。
 雨の時鳥は、

 五月雨の空もとどろに郭公
     何を憂しとかよただ鳴くらむ
              紀貫之(古今集)
 郭公雲路に惑ふ声すなり
     小止みだにせよ五月雨の空
              源経信(金葉集)

などの歌に詠まれている。
 十六句目。

   ほととぎす万民是を賞玩す
 花柚をここにうける盃      卜尺

 花柚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「花柚」の解説」に、

 「〘名〙 柚(ゆず)の一種。果実は柚よりも小さく、花・莟・果実の皮の切片を酒や吸い物に入れたり、料理の付け合わせに用いたりしてその香気を賞する。はなゆず。《季・夏》
  ※浮世草子・好色一代男(1682)三「たばね牛蒡に花柚(ハナユ)などさげて」

とある。
 郭公というと橘だが、同じ柑橘の花柚にして、その酒の味を万民賞玩す。
 十七句目。

   花柚をここにうける盃
 小刀の峰より月のかけ落て    雪柴

 花柚を切る小刀の刃のない方の「峰」に掛けて「峰より月」として、花柚の実がまっ二つに切られるのを「欠け落ちて」とする。
 十八句目。

   小刀の峰より月のかけ落て
 品玉とりや夜寒なるらむ     松臼

 品玉とりは品玉師のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「品玉師」の解説」に、

 「〘名〙 品玉の曲芸を演ずる者。手品師。曲芸師。品玉使い。品玉取り。
  ※雑俳・天神花(1753)「取まいて・人でかきしたしなだまし」

とある。その品玉は、「精選版 日本国語大辞典「品玉」の解説」に、

 「① 猿楽、田楽などで演ずる曲芸。いくつもの玉や刀槍などを空中に投げて巧みに受け止めて見せるもの。転じて、広く手品や奇術の類をいう。〔新猿楽記(1061‐65頃)〕」

とある。ジャグリングの一種と言えよう。
 小刀を用いたジャグリングで、名月の宴などには呼ばれたりするが、月が欠けて行くと仕事もなくなり懐も寒くなる。
 十九句目。

   品玉とりや夜寒なるらむ
 渡る雁そも神変はいさしらず   松意

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『海人』の、

 「かの海底に飛び入れば、空は一つに雲の波、煙の波を凌ぎつつ、海漫漫と分け入りて、直下と見れども底もなく、辺も知らぬ海底に、そも神変はいさ知らず、取り得ん事は不定なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4167). Yamatouta e books. Kindle 版. )

を引いている。
 この最後の「取り得ん事は」は竜が海底に持ち去った宝珠をいう。それを踏まえるなら、品玉師のどんな難しい玉も「取り得ん事はない」という自負と言えよう。
 二十句目。

   渡る雁そも神変はいさしらず
 鳥羽田の面の虫のまじなひ    正友

 鳥羽田は鴨川下流域から宇治川北岸の鳥羽の田んぼで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鳥羽田」の解説」に、

 「[2] (「とばだ」とも) (一)にあった田。歌枕。
  ※新古今(1205)秋下・五〇三「大江山かたぶく月の影さえてとばだの面に落つるかりがね〈慈円〉」

とある。
 用例の慈円の歌を踏まえて、鳥羽田の田面に降りて来る雁も知らないのま虫よけのまじないの神変、とする。
 二十一句目。

   鳥羽田の面の虫のまじなひ
 庭の花伏見の山をねこぎにて   卜尺

 ねこぎは根こそぎということ。
 鳥羽田から伏見の花の庭まで根こそぎ虫の害が出ているので、虫除けのまじないを行う。
 二十二句目。

   庭の花伏見の山をねこぎにて
 霞にむせぶうけ出され者     一朝

 うけ出はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「請出」の解説」に、

 「① 借り金を払って、質にはいっているものを引き取る。請け戻す。請け返す。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ② 身代金と負債とを抱え主に支払って、遊女や芸妓を自由の身とする。身請けをする。請け返す。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  ※評判記・色道大鏡(1678)二「傾城をうけ出す事、男の大功に似たりといへども、頗る陽気の沙汰なり」

とある。
 ここは②の意味で、伏見の遊女を根こそぎ身請けされてしまい、遊女の居なくなった茶屋は煙に巻かれたようだ。

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