2022年11月7日月曜日

 日本のツイッターが良い方向に向かっているというが、まだまだ安心はできない。そのうち日本のマスコミが一斉にマスクさんを非難して、スタッフを元に戻すように世論誘導すると思う。マスクさんがそれに耐えられるかどうか。
 アメリカと違って日本には右系メディアがほとんどない。メディアは左翼の巣窟になっている。それが結局2ちゃんやツイッターを支配している。
 左翼がツイッターデモをさせてそれをメディアが大きく報道し、あたかも国民の声であるかのように偽装し続け、それをまた政府がすぐ真に受けて、これでは選挙に勝てないと言って政策を取りやめたり変更したりする。そんなことやってるから自民党までがどんどん左傾化してゆく。
 マスクさんにそれを変える力があるだろうかって、結局外圧頼みというのも癪だね。日本人の力で何とかできないものか。

 それでは「革足袋の」の巻の続き、挙句まで。
 八十五句目。

   乗物出しあとの追風
 腹切やきのふはけふの峰の雪   在色

 切腹を命じられた主君は駕籠に乗せられ、連れ去られてしまった。
 昨日まではなかった雪が今日は峰に白く積っている。
 八十六句目。

   腹切やきのふはけふの峰の雪
 何百年の辻堂の月        正友

 辻堂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「辻堂」の解説」に、

 「[1] 道の辻などに建てられている仏堂。
  ※太平記(14C後)五「宮をばとある辻堂(ツジダウ)の内に置奉て」
  [2] 神奈川県藤沢市南西部の地名。相模湾に面する。もとはショウロとハツタケの名産地として知られた農業集落。

とある。この場合は[1]になる。
 何百年も前に腹切があって建てられた辻堂を、当時と変わらぬ月が照らす。
 もっとも、切腹の習慣はそんなに古くはない。単なる噂であろう。
 八十七句目。

   何百年の辻堂の月
 飛騨の工爰に沙汰してきりぎりす 志計

 飛騨の工(たくみ)はコトバンクの「百科事典マイペディア「飛騨工」の解説」に、

 「飛騨匠とも書く。古代の飛騨から朝廷に交替で勤務した大工。養老令に斐陀匠。割当ては里(り)ごとに10人,衣食は各里の負担。平安時代には総員100〜60人に減。木工(もく)寮などに配属し,建築に従事。その技術は伝説化し,《今昔物語集》に絵師百済川(河)成(くだらのかわなり)と腕を競った話がある。」

とある。
 前句の「何百年の辻堂」から平安時代の辻堂として「飛騨の工」を出す。キリギリスは材木を切りと掛けている。
 八十八句目。

   飛騨の工爰に沙汰してきりぎりす
 金岡が筆くさむらの色      雪柴

 金岡は巨勢金岡で平安時代の絵師で、筆比べに負けて筆を投げ捨てたという「筆捨て松」の伝説がある。
 ここでは飛騨の工に負けて筆を草むらに投げ捨てたとする。
 八十九句目。

   金岡が筆くさむらの色
 片しぐれ価いくらの松の風    一鉄

 巨勢金岡が捨てたという草むらの色をした筆は、とんでもないプレミアがつきそうだ。
 九十句目。

   片しぐれ価いくらの松の風
 美濃のお山の宿に夜あした    松意

 美濃のお山は養老山地の北側の山で、

 思い出づや美濃のを山の一つ松
     契りしことはいつも忘れず
              伊勢(新古今集)
 我が恋ふる美濃のお山の一つ松
     結びし心今も忘れず
              よみ人しらず(夫木抄)

などの歌に詠まれている。
 この一夜の契を遊女との契とする。
 九十一句目。

   美濃のお山の宿に夜あした
 洗足に垂井の水をむすぶらん   卜尺

 洗足はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「洗足」の解説」に、

 「① (━する) 汚れた足を湯水などで洗うこと。足をすすぐこと。
  ※延喜式(927)五「湯槽、円槽、洗足槽各一隻」
  ※正法眼蔵(1231‐53)洗面「経行をはりて、さらに端坐坐禅せんとするには、かならず洗足するといふ」 〔史記‐酈生伝〕
  ② 足を洗うのに用いる湯水。すすぎ。洗足湯。」

とある。この場合は単に②の意味か。
 垂井宿は中山道の関ヶ原宿の江戸寄りの隣宿になる。歌枕の美濃のお山に近い。
 九十二句目。

   洗足に垂井の水をむすぶらん
 追剥しまふあとの血刀      松臼

 追剥が血の付いた刀を洗足のための水で洗う。垂井の隣の赤坂宿(美濃赤坂)は謡曲『烏帽子折』や『熊坂』の舞台でもある。
 名残裏、九十三句目

   追剥しまふあとの血刀
 義盛がゆかりなるべしす牢人   一朝

 和田義盛はウィキペディアに、

 「『吾妻鏡』では、その後、義盛は罪人の処断や、平家と対峙する遠江国への派遣などの活動をしている。源義仲との合戦や、一ノ谷の戦いの軍中にはその名は見えない。」

とある。頼朝の御所が完成した後は罪人を処罰していた。
 追剥の処断をしたのはその義盛ゆかりの牢人だったか。
 九十四句目。

   義盛がゆかりなるべしす牢人
 夜日三日のくすりごしらへ    在色

 和田義盛ゆかりの天養院の薬師如来からの連想か。
 和田合戦で負傷した時に身代わりになったという薬師如来は、実は牢人が夜昼三日かけて作った薬のおかげだった。
 九十五句目。

   夜日三日のくすりごしらへ
 水風呂や枯木をたたき焼立たり  正友

 湯船にお湯を沸かす水風呂(すいふろ)は、この頃お寺などを中心に少しずつ広まっていた。
 焼立はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼立」の解説」に、

 「① 盛んに焼く。いっそう盛んになるように焼く。焼いて煙をたてる。
  ※万葉(8C後)一一・二七四二「志賀の海人の火気(ほけ)焼立(やきたて)て焼く塩の辛き恋をも吾れはするかも」
  ② 盛んにおだててうれしがらせる。
  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「太夫に焼(ヤキ)たてられ、羽柴の煙かぎりと思ひつくを」

とある。
 これは日が強くなりすぎて火傷したということだろう。薬を作る。
 九十六句目。

   水風呂や枯木をたたき焼立たり
 こぬかみだれて晴天の雨     志計

 小糠は玄米を精米する時の細かい粉で、火の側で唐臼で精米作業を行うと粉塵爆発を起こす。元禄三年の「鶯の」の巻二十五句目にも、

   泣てゐる子のかほのきたなさ
 宿かして米搗程は火も焼ず    芭蕉

の句がある。また、元禄六年の「いさみたつ(嵐)」の巻二十六句目にも、

   火燵の火いけて勝手をしづまらせ
 一石ふみし碓の米        沾圃

の句もある。
 粉塵爆発が起こって浴槽が吹っ飛び、晴れているのに雨が降る。
 粉塵爆発で危ないから火を消すというのが蕉門だが、談林ではドカーンと爆発させる。
 九十七句目。

   こぬかみだれて晴天の雨
 まつ宵の油こぼるるうき泪    雪柴

 前句の小糠を小糠油のこととする。
 油をこぼして火事になって空に星が見えているのに雨のような涙を流す。
 九十八句目。

   まつ宵の油こぼるるうき泪
 かかる思ひをねずみひかぬか   卜尺

 こぼれた涙が油の様なら、ネズミがどこか持ってってくれないか。
 九十九句目。

   かかる思ひをねずみひかぬか
 恨ては社の花に五寸釘      松意

 恋の恨みから神社で五寸釘を打ち付けて、丑の刻参りをする。
 花の定座なので放り込み気味の花を添える。
 挙句。

   恨ては社の花に五寸釘
 中をかすめてうき天満橋     松臼

 前句を寝取られの恨みとして、仲を掠め取った方も呪われて憂き天満橋となる。
 掠めては「霞めて」と掛詞になり、春の句となり、前句と無関係に見れば大阪の天満橋に春の霞がかかると、一巻は目出度く終わる。

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