2022年11月22日火曜日

 それでは「情と日本人」の続き。

 「ところが、こういうことをいった人類は一人もいない。私だってこんなこというのは今年になってからです。そうすると七十年かかっている。一旦分って言ってみれば、こんな明白なこと。ところが、それが言葉にいえないらしい。」(p.14)

 「情が自分だ」というのが哲学の命題だとすれば、そういうことを言った人類は一人もいないかもしれい。まあ、世界中の人の声を聞いたわけでないから断定はできない。
 本当に一人もいないかどうかは「悪魔の証明」になる。「いた」ことを証明するにはその人物が誰であるかを指摘すればいい。「いない」ということの証明は困難。悪魔の証明になる。
 とはいえ、ここではその証明が問題なのではなく、岡潔が前例のない事を提起するということが重要だと言えよう。
 思考が自分であることの証明はデカルトの「コギト・エルゴ・スム(われ思うゆえにわれあり)」がある。証明するというそのこと自体が思考である以上は、自我は思考でしか決定できない。これはトートロジーと言って良い。
 もちろん「情が自分だ」ということは、今この言葉を聞いてしまってからでは誰でも言うことができる。しかし、これは論証にはならない。
 強いてこれを証明できるとしたら、人間の個別性の根底が先天的であれ後天的であれ脳回路の偶発的な唯一無二性に根拠づけることは可能であろう。そして、この脳が自分を意識できるとすれば、その固有にして独自の脳回路によってであり、決して論理的に設計されたものではない脳回路によって自分というものが自覚されている所に根拠を求めることができる。
 人間は自分の脳回路を自分で設計することはできないし、もちろん組み替えることもできない。脳の判断の決定はその意味で「理性」でコントロールすることはできない。
 一定の思考による判断は意識することができる。しかし人間がその都度その都度行う判断は、決して一貫した思考に基づくものではない。人間はいつだって矛盾している。それが自然な状態なのは、人間は自分自身の自覚的な思考ですべてを決定することができないばかりか、自覚的な思考自体が、決して自分自身で自覚することのできない脳回路の上に成り立っているからだ。
 「情が自分だ」という命題はそれゆえ、デカルト的自我が完全でも自己完結的なものでもなく、自分自身の認識できぬものの上に成り立つことを認めるなら、「思考は自分のすべてでなく、思考の根底に広大な情動が存在し、それが自我を形成している」という意味で可能と言える。
 デカルト的自我は広大な情動の海に浮かぶほんの小さな木の葉にすぎない。このイメージはフロイトを彷彿させるが、フロイトの時代にはイドと呼ばれるこの情動を科学的に解明する脳科学が存在してなく、ただ内省法と患者の言葉の分析によってしか接近できなかった。
 それゆえ、日常的な感覚としては「情が自分だ」と思ってはいても、それが科学や哲学の言葉になることはなかった。

 「戦後日本は情というものを非常に粗末にしている。情が非常に濁っている。多くは自己中心的なもので濁っている。その上ひからびている。これは改めなければいけない。これを改めるには、日本人は情の人だけど、その自覚がない。それを自覚するということが非常に大事です。」(p.14~15)

 戦後日本の人情の薄れたのは、必ずしも西洋化の影響だけではない。豊かさは情への依存を軽減する。
 情というのは生存のための保険の意味がある。飢えた時に飯を分けてもらえるのは「情」であり、日頃から情に厚い人間はいざという時にその互恵的な援助を受けやすくなる。諺に「情けは人の為ならず」というのは本来そういう意味だった。
 日頃から人に情けを掛けて、困った人を助けたりしてあげていれば、自分が困ったときにその恩を返してもらえる。本来「情けは人の為ならず」は「巡り巡って自分の為になる」という功利的なものだった。
 戦後の高度成長によってもたらされた未曾有の豊かさは、こうした功利的な互恵的な関係を不要にしていった。これが人情の衰退の一番大きな原因ではないかと思う。
 戦後のサラリーマンは終身雇用でそこそこ真面目に仕事をしていれば一生安泰という安心感がある。だから人に情けを掛けて、いざという時に助けてもらう必要がなくなった、それが大きい。
 あまり知られてないが、終身雇用制は戦前にはなかった。戦中で多くの労働者が戦争に取られて人材不足が生じ、国内での生産活動で必要な人員を確保するために労働者の移動を制限したのが始まりだった。
 もちろん、国家総動員という事態になってそれだけでは足りず、朝鮮半島から百万人もの労働者を「雇用」する必要が生じた。彼らは強制連行されたのではない。雇用されたのは間違いないが、労働者の斡旋の際に悪質な人買い業者がいて渡航を強制された者はいたし、戦後に支払われた残りの給与を掠め取る政治団体がいたことなどもあって、戦後の左翼団体が「強制連行」の神話をでっち上げ、朝鮮半島の人達に広めたことが今日の徴用工問題の起こりになっている。
 話はそれたが、戦後日本人の終身雇用の下でのエスカレーター式の人生が、それまでの相互扶助のための互恵的関係を必要としなくなり、人情が薄れ、他人に関して無関心になって行った。

 「自覚するといえば情の目で見極めること。知や意では自覚できない。大体『知、知』と知を大事にする。中国人もそうだし、印度人もそうだし、西洋人だってそうです。今の教育なんかもそうだけど、知ということについて少し深く考えてみた人、あるだろうか。私はないだろうと思う。」(p.15)

 情の大切さは貧しければ貧しいほど互恵的相互扶助が欠くことができないため、否が応でも自覚していると思う。だからこそ、それを「卑俗だ」と見下す風潮が世界的にいわゆる支配階級の中にあったのではないかと思う。
 『荘子』には、「君子の交わりは淡さこと水の如し、小人の交わりは甘きこと醴の如し」という言葉がある。貧しい下層階級ほど他人の情に頼る必要があり、そのための互恵的関係を築かなくてはならず、自ずと皆人情に篤くなる。
 豊かになり、他人の援助を必要としなくなることで、人は人情に疎くなる。その果てが「君子の交わり」ということだ。
 そのため、感情の軽視は特権階級のステータスであるといえるかもしれない。同様に戦後の日本の高度成長の中でも、義理人情を蔑むことが都会で成功したエリートのステータスになった。
 哲学というのは概ね支配者階級のもので、その支配者階級の哲学が感情を重視するはずもない。人情に頼るのは下賤なもののすることで、君子は理知的でなければならないと考えるのは、いわばエリート意識だ。それは洋の東西に係わらず、不変的な傾向ではないかと思う。
 日本人でも中国人でも印度人でも西洋人でも、一般庶民は一致して情に篤いと思う。豊かさと特権意識が「知」への偏りをもたらし、自分たちが偉いのは「知」のおかげだという意識を形成していくのだと思う。
 そういう意味では経済成長によって豊かな社会がもたらされれば、世界中どこでも情の軽視という傾向が生じると考えた方がいい。

 「知の働きは『わかる』ということですが、そのわかるという面に対して、今の日本人は大抵『理解』するという。ところが、わかるということの一番初歩的なことは、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは一体、理解ですか。全然、理解じゃないでしょう。」(p.15)

 松が松だとわかり竹が竹だとわかるのは、むしろ習慣と言った方がいい。生物学的分類など知らなくても、人はそれを習慣的に区別している。だから松に似ている木も松だと言ったりする。
 松ではなく杉の例だが、ヒマラヤスギというのがあるが、あれはマツ科であってスギ科ではない。ほとんどの人は正確な生物学的分類を知っているわけではない。
 江戸時代の人も鶴とコウノトリの違いは本草学者なら知ってたかもしれないが、俳諧師の間ではしばしば混同されていた。
 松を松とし、竹を竹とするのは知識ではなく習慣の共有がまず先にある。あれを「松」と呼び、あれを「竹」と呼ぶのは、誰かがそう言ってたからで、自分でその違いを理解したからではない。
 人がそう呼びならわす。その経験の繰り返しで、それぞれの人の中に「松」とはだいたいこういったもの、「竹」とはだいたいこういったものというイメージが形成される。松も竹もまず第一義的には、過去に聞いたその単語の用例の平均なのである。
 そこで典型的な松の概念が形成され、竹の概念が形成される。この典型は各自の脳の中で作られるもので、必ずしも普遍的なものではない。中にはかなり勘違いしている人もいることだろう。
 概念形成というのはまず第一にそれを言い表す習慣から生じるもので、それを知的に整理するのは後になってからだ。それは「メタフィジックス」であり、「メタ」は「後から」という意味だ。習慣的に知っているフィジックな世界に対して、あとから論理的に概念を整理して得られるのがメタフィジック、形而上学だ。

 「理解というのは、その『理』がわかる。ところが、松が松とわかり、竹が竹とわかるのは理がわかるんではないでしょう。何がわかるのかというと、その『趣(おもむき)』がわかるんでしょう。」(p.15)

 松が松とわかり、竹が竹とわかるのは、習慣的に形成されたイメージによるもので、それは「趣き」と言い換えてもおかしくはない。

 「松は松の趣をしているから松、竹は竹の趣をしているから竹とわかるんでしょう。趣というのは情の世界のものです。だから、わかるのは最初情的にわかる。情的にわかるから言葉というものが有り得た、形式というものが有り得た。」(p.15~18)

 松という概念は必ずしも言語的に形成されるわけではない。ただ、経験的に生じた様々な概念に、人は他人の話した言葉をそれに当てはめ、それに名前を与える。
 自分の脳の中に何となく松らしきものを特に名前もなく概念と形成していたものに、他人がそれを「松」と呼んだから、そこに「松」という言葉がピタっと当てはまる。
 だから、他人の「松」のイメージと自分の「松」のイメージは同じものを見て行っている以上似てはいるが、完全に一致するものではない。人は自分自身の経験の中から「松」の概念を形成し、それを伝えるために他人の言葉で言い表す。言葉は必ず他人の言葉であり、自分の言葉は一般的には存在しない。言語創作をしない限り。
 だから松に関して情緒的に分っていることは、それは自分自身の経験から来るものであり、他人のものではない。ただ、同じものを見ている以上、他人と似通ってはいる。「松」という言葉から思い浮かべるものは人それぞれ違うが、全く違うものではなく、特に同じ地域に棲むものは似たような体験をしているために似通う。
 小さな集落なら「松」といえば、「ああ、あそこの松ね」という同じ松の木のイメージを持ちやすい。国が違えばそれぞれ自分の国の松を思い浮かべるから、共通点が少なくなる。
 情緒的に分る「松」はそういう性格のもので、それを人は同じ「松」という記号によって共有する。

 「それから先が知ですが、その基になる情でわかるということがなかったら、一切が存在しない。人は情の中に住んでいる。あなた方は今ひとつの情の状態の中にいる。その状態は言葉ではいえない。いえないけども、こんな風な情の状態だということは銘々わかっている。」(p.18)

 「知」はもともと非言語的に概念形成した時点で、各自の脳の中に存在している。ただ、それは自分だけの経験的知識にすぎない。とはいえ、職人の高度な技など、他人に伝えることの困難な繊細な部分は、こうした個々の脳の中での固有な概念形成に因っている。
 それは経験の積み重ねの中で形成される。
 言語は自分のイメージと他人のイメージを擦り合わせることで、共通の言葉を持つだけのもので、同じ言葉を共有していても、その理解が同じという保証はない。
 技術の伝達でも、自分が教えたことを必ずしもそのまま他人が学んでいるわけではない。ただ共通の言葉を通じて、それぞれが自分の持っていたイメージを再確認したり修正したりすることができるにすぎない。絵師が自分の持てる技術をすべて伝授しても、やはり弟子の描く絵や師匠の絵とはことなる。それは弟子の脳の中で再構築された技術だからであり、師匠の体得した技術がそのまま伝わったわけではないからだ。
 だから職人の間でよく、「学ぶのではなく見て盗め」というのはそういうことだ、師匠の技術そのものは師匠の脳の中にしかない。教えたとしても、それが弟子が独自に経験的に積み重ねてきた技術の中に融合されなければ、ただ弟子の中で異質な、どう扱っていいかどうかわからないものにすぎない。
 技術の継承は弟子がこういう技術が欲しいと思っていたものをたまたま師匠がやっていて、それを自分の技術の体系の中に組み入れることができた時に初めて完了する。
 自分の技術、師匠の技術と別個に存在していても、二つの異なる技術が喧嘩して、大体良い結果は出ない。完全に融合できるというのは、師匠の技術を自分の技術に出来た時であり、それを「盗む」と表現する。
 教えられたとおりにやっていても、それは師匠の技術であって自分の技術ではない、自分の技術の中に取り込んだ時、技術は継承される。
 「松」が喚起するその人固有な情も、その人の持つ「松」の体験を全部知っているわけはないから、「松」という言葉で分り合ったような気になっていても、完全に同じイメージを共有することはない。それゆえ、そこには言葉で言い尽くせないものが存在する。

 「言葉ではいえない。教えられたものでもない。しかし、わかっている。これがわかるということです。だから知の根底は情にある。知というものも、その根底まで遡ると情の働きです。」(p.18)

 さて、ここでも「情」の概念がかなり拡張されて用いられていることは分ると思う。
 情はむしろ「個々の先験的及び経験的に形成された固有な脳の回路に由来するもの」と定義した方が良いのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿