資本主義は人類に莫大な富をもたらしたが、何でそれが悪者にされてしまったのか。
思うに、剰余価値を再投資することで経済成長させるシステムを搾取だと言い出したからだろう。
剰余価値をすべて労働者に還元してしまったら、拡大再生産ではなく単純再生産になり経済は停滞する。
資本主義が国家の統制下に置かれ、剰余価値の再分配が要求されれば、間違いなく経済は停滞する。
労働者の給与は資本の側からすれば原材料を仕入れたり工場を立てたりするのと同様の投資であり、その時点で労働者への富の配分は完了している。
それプラス剰余利益を配分するということは、いわゆる業績好調の際のボーナスという形態はあるものの、本来の給与ではない。
一方剰余利益は株主の配当という形で出資者へも還元されるが、これも剰余利益の全部が分配されることはない。株主の権利として全部の分配を求めるなら、それもまた拡大再生産を不可能にして、経済の停滞をもたらす。
この比率は市場原理にゆだねるのが正しい。労働者への還元は質の高い労働者を集めるための手段ではあっても、義務ではない。配当もまた株主の出資を促し株価を上げる手段ではあっても義務ではない。いずれも市場原理が決める。
それでは「雪おれや」の巻の続き。
三表、五十一句目。
川原おもての貝がらの露
目前にうつす二見の秋の景 在色
二枚貝の二身に伊勢の二見ヶ浦を掛ける。貝殻の内側に二見ヶ浦の景色が描かれている。
五十二句目。
目前にうつす二見の秋の景
反平をふむちどりなく也 松臼
反平は「はんひやう」とある。千鳥は反閇(へんばい:千鳥足)を踏んで歩くが、それをもじって漢詩の反法の平仄を踏んで鳴くとする。
五十三句目。
反平をふむちどりなく也
山家おち妹がり行ば小夜更て 一鉄
漢詩のイメージから山家に隠棲する僧が堕落した夜這いに行ったとする。和歌でなく漢詩で口説く。
五十四句目。
山家おち妹がり行ば小夜更て
諸行無常とひびくかね言 雪柴
かね言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「予言・兼言」の解説」に、
「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。
※後撰(951‐953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」
※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」
とある。
まあ破戒僧の約束だから常ならずで、儚く消えて行く。
五十五句目。
諸行無常とひびくかね言
付ざしの口に飛込気色あり 松意
付ざしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、
「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。
※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」
とある。
付ざしの酒か煙管を差し出した遊女の口からは、営業用の甘い言葉が飛び出すが、遊女の色気にやはりそこは飛び込んでいきたい。
五十六句目。
付ざしの口に飛込気色あり
蠅にならひて君に手をする 正友
口ざしにと差し出されたものに、蠅のように手を擦って飛びつく。
五十七句目。
蠅にならひて君に手をする
はげあたま甲をぬいて旗を巻 卜尺
禿げ頭だと蠅も滑って落ちると言われる。ここでは単なる縁語として用いて、意味のつながりはない。
主君の前で甲を抜いて、禿げ頭を隠すために旗を頭に巻き、手を擦って取り入ろうとする。
五十八句目。
はげあたま甲をぬいて旗を巻
名は末代の分別どころ 一朝
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「諺『一は一代名は末代』」とある。
生きて汚名を背負うより死して名を末代に残す。前句を敗将の自害とする。
五十九句目。
名は末代の分別どころ
有明の月の夜すがら発句帳 志計
発句帳という立圃の『俳諧発句帳』(寛永十年刊)。
きっと後世になお残すために有明の月を見るまで夜通し句を案じていたのだろう。
霧の海底なる月はくらげ哉 立圃
の句がある。
六十句目。
有明の月の夜すがら発句帳
京都大坂江戸の秋風 在色
京都大坂は談林の盛んな所で、今は江戸でも大流行している。みんな夜すがら発句帳に俳諧のネタを書き留める。
六十一句目。
京都大坂江戸の秋風
穀物の相場さだめぬ露時雨 松臼
穀物の相場は時雨のように定めなきもので、それで儲ける人もいれば秋風の吹く人もいる。
六十二句目。
穀物の相場さだめぬ露時雨
先算盤に虫のかけ声 一鉄
算盤はじきながら市場で競りの掛け声をかけるのを、前句の露時雨を受けて虫の掛け声とする。
六十三句目。
先算盤に虫のかけ声
綱うらは麓の野辺に御影石 雪柴
御影石は六甲山地で取れる花崗岩で、大阪城の築城にも用いられて、巨大なものが石垣に残されている。
切り出した御影石に綱を付けて麓に引っ張ってくるが、儲けようと人足の給料をケチっているので、みんな虫の息の掛け声で士気が上がらない。
六十四句目。
綱うらは麓の野辺に御影石
何院殿の法事なる覧 松意
野辺の放置された御影石は一体何院殿の供養塔になるのだろうか。
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