2022年12月1日木曜日

 それでは「隨縁紀行」の続き。

 昨日は沼津から由比が九里強と書いたが、三島から由比までの間違い。
 九月十日、由比から朝未明に薩埵峠を越えて、夕方に宇津の山を越えればその日は岡部宿泊であろう。約十里。
 九月十一日、ここから島田宿までが四里。大井川の川止めがなければ翌日は小夜の中山を越えて掛川まで行ける。

  「小夜中山
 草鞋に椎はさまりて後れけり  尺草
 赤松はことにつれなし山の色  キ翁
 道役にもみぢはくなり小夜の山 晋子」

 椎は椎の実であろう。草鞋の藁の間に挟まると痛そうだ。
 名前は赤松だというのに松は紅葉しない。周りは皆紅葉しているのに赤松はつれない奴だ。キ翁(亀翁)というと老人を想像するが、元禄三年の『俳諧勧進牒』には「十四歳亀翁」とある。元禄七年だと十七歳になる。岩翁の息子。
 道役は道路の管理人で、紅葉を掃いて街道をきれいに保つ。

  「十二日かけ河より秋葉山へ入
    森より三くら 犬居 秋葉
 袖すりや息杖てきる松の蔦   松翁
 あさけしき鹿追ふ小屋に煙かな キ翁
 蛛の巣に呉柿かかる山路かな  尺草
 合羽着て四かにすかるや秋葉道 晋子

   四十八瀬といふは名のみ也わたらはかそへてといふに八十余瀬なり。
 瀬の数やあの谷此谷のつゆ時雨 尺草
 せきれいや垢離場へ下る岩伝  横几

   秋葉禅定下山の時
 木々の露いとへ御影の上包み  キ翁
 かし鳥に杖を投たるふもとかな 晋子」

 掛川から東海道を離れて秋葉山に向かう。
 森は新東名の森掛川インターの方に森町がある。そこから北へ三倉川に沿ってゆくと今の森町三倉がある。県道58号線袋井春野線が昔の秋葉街道を踏襲するものであろう。
 山を越えて気田川の方に出ると春野町に今も犬居城跡がある。この辺りが犬居だったのだろう。秋葉山の下社がある。秋葉山上社はその北側の山の中にある。

 袖すりや息杖できる松の蔦   松翁

 息杖(いきづゑ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「息杖」の解説」に、

 「〘名〙 物をかつぐ者が持つ杖。かごかきなどが一息入れたり、荷物を支えるときなどに使用する。
  ※武家事記(1673)下「旗に用の器。請筒あり、手縄あり、息杖あり」

とある。
 芭蕉の旅は馬に乗ることが多かったが、其角さん御一行は駕籠に乗ることが多かったのだろう。其角はともかくとして、あとのメンバーはあまり旅に慣れてなかったのかもしれない。
 駕籠かきは袖に触れるじゃまっけな蔦を息杖で切りながら進んでゆく。
 松翁は初登場だが、『俳諧勧進牒』に、

 水仙の葉に勢あるこほりかな  松翁

の句がある。名前からすると岩翁、キ翁の一族という感じだが。

 あさけしき鹿追ふ小屋に煙かな キ翁

 秋葉山での朝の景色だろう。山の中なので鹿は多そうだ。

 蛛の巣に呉柿かかる山路かな  尺草

 呉柿はよくわからない。蛛は蜘蛛。

 合羽着て鹿にすかるや秋葉道  晋子

 この場合の合羽は防寒着だろう。山の中で寒くて合羽を着て、鹿の後をついて行くような秋葉街道だった。
 四十八瀬は三倉川の別名で、数えてみたら八十以上の瀬があったという。川を渡った回数のようだ。

 瀬の数やあの谷此谷のつゆ時雨 尺草

 これは時雨にふられたというのではなく、瀬を渡るたびに濡れるという意味。

 せきれいや垢離場へ下る岩伝  横几

 垢離場は垢離をする場所で、垢離はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「垢離」の解説」に、

 「〘名〙 (「垢離」はあて字で「川降(かわお)り」の変化したものともいう) 神仏に祈願する時、冷水を浴びてからだのけがれを除き、身心を清浄にすること。真言宗や修験道(しゅげんどう)からおこった。水ごり。
  ※山家集(12C後)下「あらたなる熊野詣でのしるしをば氷のこりに得べき成けり」

とある。そこにセキレイが降りてきて岩を伝ってゆく。
 秋葉禅定下山の時は、上社参拝を終えて下社へ降りる時の句であろう。

 木々の露いとへ御影の上包み  キ翁

 木々は御神体を包む包み紙のようなものだから、露で濡れるな、ということか。

 かし鳥に杖を投たるふもとかな 晋子

 かし鳥はカケスのこと。しわがれた声で鳴いたり、いろいろな音の真似をしたりするという。杖を投げるというとどんな声で鳴いたのだろうか。意味もなく考えさせるのも其角の句なのかもしれない。

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