2022年12月15日木曜日

 昨日は足柄峠に流れ星を見に行った。
 普通の流れ星だけでも二十個以上見たし、大きな長く飛ぶ火球や花火の枝垂れ柳のような火球が見えた。
 2021年1月27日に書いたことだが、『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来』(講談社現代新書)のジャレド・ダイアモンドのところで、インタビュアーの方の説に、「トランプに投票した人」と「地元にとどまった人」との相関関係や、同じようなことがブレクジットにもあったという話のことを書いた。
 今のウクライナ戦争の受け止め方も、地元に根を下ろして生活している人からすれば、ロシアが攻めてきても逃げられないという気持ちがあるんではないかと思う。実際自分もそうだ。海外に逃げようにも逃げるあてもないし、難民キャンプに行っても苦労するのは目に見えている。
 外国に一度も行ったことがないから、外国語も喋れないし、外国の習慣も分らない。
 仕事が見つかるかどうかも分らない。条件の悪い奴隷同然の仕事が待っているかもしれない。
 日本に留まる以外に手がないなら、日本を守るしかない。
 これに対して降伏論を唱える連中というのは、どこか俺は世界のどこへ行ってもやってけるんだというのがあるんじゃないかと思う。
 自分はさっさと逃げる気でいるから、国に残された大半の人達がどうなろうと知ったことじゃない。こういう連中に日本の国防が邪魔されていると思うと、いい加減もうやめてほしい。

 それでは「隨縁紀行」の続き。最終回。

  「あまの子共の魚ぬすむを
 ふところに小鯛つめたし網子の声 亀翁
 網よせて鱧に落葉をはませけり  松翁
 網形にふけゐのうらや磯しぐれ  横几
 かたかるも寒しふけゐの鷺の声  岩翁
 網を見て僧何とたついそ衛    尺草

   住吉奉納
 昆布うりの手を拭松の落葉かな  岩翁
 乙女子の火鉢をまはる神楽かな  亀翁
 木枯しや絵馬にみゆる帆かけ舟  横几
 桐殿や水すむ影を冬木形     尺草
 芦の葉を手より流すや冬の海   晋子

   十月十一日芭蕉翁難波に逗留のよし聞えければ、
   人々にもれて彼旅宅に尋まいるゆへ吟半ばに止む。」

   あまの子共の魚ぬすむを
 ふところに小鯛つめたし網子の声 亀翁

 吹飯は漁村で、地引網漁をしてたのだろう。子供が雑魚を盗んでいったりしても、ある程度は容認されてたんではないかと思う。
 それを見て小鯛でも持ってきたいな、酒の肴に、というところか。小鯛はここではチダイのことではなく、鯛の小さいのという意味だろう。

 網よせて鱧に落葉をはませけり  松翁

 ハモの名前は食(は)むに由来するという説もある。ただ、網にかかって打ち上げられたハモは落葉を食んでいるようで哀れだ。

 網形にふけゐのうらや磯しぐれ  横几

 吹飯の浦に時雨が降ると、雨の網をかぶせられたみたいだ。

 かたかるも寒しふけゐの鷺の声  岩翁

 「かたかる」は「潟離る」か。水に足を付けているのも寒そうだが、飛び上がっても寒そうな声を上げる。

 網を見て僧何とたついそ衛    尺草

 網を見ると僧なら殺生の罪のことを思うのだろうか。磯千鳥の声も悲しげだ。
 日程は定かでないが和歌の浦から吹飯を経て紀州街道で大阪に出たのだろう。そこでさっそく住吉大社に参拝することになるが、神無月ではある。
 芭蕉の門人たちも十月八日に芭蕉の病気平癒祈願に訪れている。

   住吉奉納
 昆布うりの手を拭松の落葉かな  岩翁

 夏に散るという松の落葉ではなく、普通に冬に散る落葉で、手水の上にたくさん落ちていたのだろう。昆布売は松葉昆布を売っていたか。

 乙女子の火鉢をまはる神楽かな  亀翁

 寒いので神楽を舞う神楽女(八乙女)も火鉢の周りをまわっている。住吉大社では巫女さんが神楽を舞うので神楽女と呼ばれている。

 木枯しや絵馬にみゆる帆かけ舟  横几

 絵馬はこの場合は「ゑうま」か。「ゑむま」「ゑんま」ともいう。
 木枯らしに絵馬が風をはらんで帆掛け船みたいだ。

 桐殿や水すむ影を冬木形     尺草

 桐殿は切妻屋根の切殿か。住吉大社の本殿は住吉造りで切妻屋根を特徴としている。
 冬木はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「冬木」の解説」に、

 「① 冬の木。また、冬枯れの木。《季・冬》
  ※古事記(712)中・歌謡「本つるき 末振ゆ 布由紀(フユキ)のす 幹が下木の さやさや」
  ※曼珠沙華(1950)〈野見山朱鳥〉「逢ふ人のかくれ待ちゐし冬木かな」
  ② 常磐木(ときわぎ)。
  ※日葡辞書(1603‐04)「Fuyugui(フユギ)」 

とある。今日ではほとんど①の意味で用いられるが、ここでは②の意味で、切妻屋根が針葉樹に似ているということではないかと思う。針葉樹は冬でも葉が落ちないので水が澄んでいる。

 芦の葉を手より流すや冬の海   晋子

 大阪と言えば難波の葦だが、芦の葉を手より流すというのはよくわからない。
 
   堀川院御時、艶書のうたをうへのをのこともによませ給うて、
   歌よむ女房のもとともにつかはしけるを、
   大納言公実は康資王の母につかはしけるを、
   又周防内侍にもつかはしけりとききて、
   そねみたる歌をおくりて侍りけれは、つかはしける
 みつ潮にすゑ葉を洗ふ流れ芦の
     君をぞ思ふ浮きみ沈みみ
             大納言公実(千載集)

の歌に関係があるのか。

   十月十一日芭蕉翁難波に逗留のよし聞えければ、
   人々にもれて彼旅宅に尋まいるゆへ吟半ばに止む。

 十月十一日、芭蕉の亡くなる前日に其角が芭蕉のいる宿にやってきたのは、支考の「禅語日記」にも記されている。芭蕉の古くからの弟子であった其角が偶然にも芭蕉の臨終に間に合ったというのは奇跡と言えよう。

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