今年は流行語大賞のオワコン感が半端なかったが、今年の漢字一時は「戦」で何とか面目を保ったか。
流行語大賞の何が駄目って、ウクライナ戦争から完全に目を背けて、ノミネートされたのが「キーウ」だけだったことだ。
まあ、いずれ世界は一つになるんだから、日本もウクライナも早く併合されちまえ、一切抵抗するな、何て思ってる連中が審査しているというのがわかるからね。
こういうのは日本人虐殺が始まったら、「俺はロシア人、味方味方」なんて言って媚び売ってロシア軍に近づいて行って、まっ先に嬲られそうだが。
戦国時代とかで嬉々として主君の首を持って敵軍の陣地に馳せ参じるようなもんだ。こういう軽々しく主君を裏切るような奴を信用する者なんていない。俺がロシアの将校だったら、こうやって投降してきたやつはモシンナガンを持たせて即前線に送るな。で、生粋のロシア兵には「退却する時は後ろから撃て」と言うよ。
2チャンネルじゃなぜか「ターボ癌」のことで延々とスレを伸ばしているけど、これも情報操作なのは間違いない。ツイッターをこの夏から始めたからわかるけど、「ターボ癌」のトレンド入りはごく短い間だけで、すぐに別の話題に埋もれていった。
まあオルグされた人たちが一時的に集中的にツイットすれば、トレンド入りはそんなに難しいことではない。
一度でもトレンド入りしてしまえば、「ターボ癌がツイッターでトレンド入り」というニュースを流しても確かに嘘ではないが、トレンド入りする言葉なんて無数にある。
組織的なやらせでも「ターボ癌」をトレンド入りさせることができれば、ツイッターはデマをばら撒いていると言って攻撃して、それをマスクさんのせいであるかのように印象操作できるわけだ。
ただ、日本はツイッター人口が多いから、こういうツイッターをやってない人を信じさせることができたとしても、その数は知れている。
ツイッターの買収前は逆のことをやってた。反政府的なメッセージを組織的に一度でもトレンド入りさせれば、これが国民の声だみたいに誇張してニュースにする。
買収前だとだいたいこういうツイットは判で押したように五万前後だったが、最近は一万二万かそれくらいしかいかない。複数アカウントに厳しくなれば、あの数はやはり嘘だったとバレる。
今年の漢字「戦」をマスゴミはいかにウクライナから引き離すかにやっきだな。そんなところでワールドカップを利用するな。
それでは「隨縁紀行」の続き。
「廿九日よしのの山ふみす。
白雲峯に重り煙雨谷をうつんて山賤の家所々にちひさく、
西に木を伐ル音東にひびき院々のかねの声心の底にことふ
寒雲繍盤石といふ句におもひよせて
高取の城の寒さよよしの山 晋子
日さかりやせめても冬の芳野山 キ翁
冬かれや梢々を日ぐれまで 横几
太山路や苔さへ白き冬桜 岩翁
分水はよし野の奥に時雨かな 尺草
世尊寺こよひだれすずふく風とよまれたる所といふに、
月ならばなどおもひやられ
頼政の月見所や九月尽 晋子
西河のたきにて
三尺の身をにじかうのしぐれ哉 同
多かれや何を目当に瀧まはり キ翁」
九月二十八日に奈良を出て、多武峰から細峠を越えて吉野に到着する。そして、二十九日に吉野の名所を回ることになる。
廿九日よしのの山ふみす。
白雲峯に重り煙雨谷をうつんて山賤の家所々にちひさく、
西に木を伐ル音東にひびき院々のかねの声心の底にことふ
寒雲繍盤石といふ句におもひよせて
高取の城の寒さよよしの山 晋子
高取城は日本三大山城の一つとも言われ、標高583メートルの山の上に天守閣が築かれている。芭蕉も元禄三年の「月見する」の巻二十九句目に、
随分ほそき小の三日月
たかとりの城にのぼれば一里半 芭蕉
の句を付けている。天守まで辿り着く頃には日が暮れてしまう。
其角のこの句は許六の『俳諧問答』にも、
「高取の城の寒さやよしの山
といふも、『ふる里寒し』の下心也。ふる里よりハ、めの前の高取寒しといへる事也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.187)
とある。この「寒さ」は、
みよし野の山の秋風さ夜ふけて
ふるさと寒く衣うつなり
参議雅経(新古今集)
の歌による、というわけだ。
まだ九月だけど「寒さ」で冬の句としているが、この歌を思い浮かべるならまだ秋の情になる。
日さかりやせめても冬の芳野山 キ翁
これは完全に冬の句となる。十月二日には高野山に入るから、九月二十九日と十月一日の二日間の吉野滞在だったのであろう。
日盛りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「日盛」の解説」に、
「〘名〙 日中の日の盛んに照りつける頃。多く夏の午後にいう。《季・夏》
※宇津保(970‐999頃)祭の使「あつき日ざかりには人々すずみなどし給ふに」
とあるが、この頃はまだ夏の季語ではなかったのだろう。冬でも日中はぽかぽか暖かいくらいの意味で用いている。
冬かれや梢々を日ぐれまで 横几
吉野というと千本桜だが、この季節には葉も落ちて梢だけを日暮れまで眺めることになる。
太山路や苔さへ白き冬桜 岩翁
太山路はよく分らない。吉野山を泰山に見立てているのかもしれないし、あるいは近世の林業技術の研究資料の「太山(とやま)の左知」の用法で、「とやま」と読ませて太い木の茂る山を意味していたのかもしれない。
桜の幹の苔の白さを冬桜に喩える。今の分類では地衣類でウメノキゴケという。
分水はよし野の奥に時雨かな 尺草
紀伊半島の分水嶺は大峰より先の大台ヶ原の辺りになる。ここでは単に吉野の千本桜が金峰山寺から西行庵に至る尾根道にあり、降った時雨は東西に分かれて流れるという意味で、上千本の上に吉野水分神社がある。東は宮瀧に、西は下市に流れる。
世尊寺こよひだれすずふく風とよまれたる所といふに、
月ならばなどおもひやられ
頼政の月見所や九月尽 晋子
世尊寺は吉野の北側、吉野川の対岸で、高取城の麓になる。
源頼政は、
今宵たれすずふく風を身にしめて
吉野の嶽たけに月を見るらむ
源頼政(新古今集)
の歌がある。
西河のたきにて
三尺の身をにじかうのしぐれ哉 晋子
西河は吉野の東側の音無川の流れる谷で、蜻蛉(せいれい)の滝があり、芭蕉も貞享五年の『笈の小文』の旅で訪れて、
ほろほろと山吹散るか滝の音 芭蕉
の句を詠んでいる。
「三尺の身」は、いくら何でも其角が身長僅か一メートルってことはない。三尺は三尺頭巾のことか。落差五十メートルの滝が巻き上げる水しぶきが時雨のようだ。
多かれや何を目当に瀧まはり キ翁
目当はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目当」の解説」に、
「① 目標とする物や場所。目をつけて見るところ。目じるし。ねらい。まと。
※桜井基佐集(1509頃)雑「雁かへる嶺のつづきをめあてにて行手もはやく跡消えにけり」
② 心の中でめざしていること。心づもり。あてど。目的。
※ぎやどぺかどる(1599)下「御教の束ねとして、此御辞を示し給へば、是を修善の目宛と用ひ」
③ 物事を行なう場合などの基準、手本など。見当。
※日葡辞書(1603‐04)「アノ ヒトヲ meateni(メアテニ) シテ マウシタ」
※開化のはなし(1879)〈辻弘想〉二編「君を標準(メアテ)にして、万事相場を極るゆゑ」
④ 近世の貸借契約の一つである書入(かきいれ)③の抵当。引当(ひきあて)。
※証文案書‐文政六年(1823)江戸板「同目当一札事。一、金百両也〈略〉万一払滞候はば、別紙引当之家屋舗不レ残、貴殿方に相渡可申候。〈略〉依而引当一札如レ件」
⑤ 鳥銃のねらいを定めるための突起物。照星(しょうせい)。」
とある。
この場合は①で、滝の水があまりに多いので、どうやって滝の太さを測ればいいのか、という意味であろう。
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