2022年12月13日火曜日

 日本が中国やロシアの脅威に本気で防衛に取り組むなら、増税は避けて通れないはずなんだ。だから、保守の間でもここは本気度が試されると言って良い。
 あれほど防衛の大切さを説いてきて、憲法改正の必要を論じてきたんだから、増税だと言われて躊躇するようだと、何だポーズだったのかということになる。高市さんがちょっと残念だ。あんたは鉄の女にはなれない。
 逆に左翼の側からすれば、保守のこの仲間割れは願ってもない事だろう。
 中国の脅威の前で、台湾が折れるかもしれない。沖縄が折れるかもしれない。そうなったとき本気で日本は自分の国を戦場にして血を流して、自由と国家を守る覚悟があるのか。
 防衛費増税はそれが試されている。俺は今回は岸田さんを応援したいし、自民党も一丸になってほしかった。
 国民が自由のために死ぬよりも奴隷になっても生きることを選択するなら、それも良いだろう。奴隷になったことがないからそれがどういうものかもわからないし、ロシア人も中国人も鬼じゃあるまい、同じ人間なんだくらいに思ってるかもしれない。
 それは日本人が本当のレイシズムを知らないからだ。本当のレイシズムは自分たち以外は人間ではないと思っているし、人間として扱うはずがないんだと知るべきだろう。ウクライナで起きている虐殺も偶発的なものではない。
 南京虐殺は便衣兵の恐怖にさらされて偶発的に起きた事件だったが、西洋のレイシズムは理性の名において「汝為すべき」の定言命令によって虐殺を決断する。その恐ろしさを知るべきだ。

 それでは「隨縁紀行」の続き。

  「十月二日高野山上世を忘たる閑也
 小六月高野の池やうす氷     岩翁
 あきんどのひとりね寒し高野山  尺草
 院々を着たりぬいだり旅頭巾   亀翁

   つねにもまいりうとき所なり
 冬ぞなほ楽書うすき女人堂    亀翁
 二十年この山ふみや紙子うり   横几
 卵塔の鳥居やげにも神無月    晋子

   学文路の宿にて
 戸をたてて楮うつ声霜夜かな   尺草

   糺の川 いく瀬もあり三か月のながるるを
 たつか弓矢をつく船やみかの月  晋子
 船頭の顔もさだめぬ時雨かな   キ翁」

 十月一日に吉野から高野山へ移動したと見た方がいいか。徒歩や馬だと移動に丸一日かかりそうだが、川を船で下ったなら、西河を見てから夕暮れに高野山までたどり着くこともできただろう。
 二日は高野山を見て回り、三日には和歌の浦へ向かうが、糺の川は紀の川の間違いであろう。ここははっきりと船に乗ったとわかる。

   十月二日高野山上世を忘たる閑也
 小六月高野の池やうす氷     岩翁

 小六月はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小六月」の解説」に、

 「〘名〙 陰暦一〇月の異称。春を思わせるようなうららかな日和のあるところからいう。小春。《季・冬》
  ※俳諧・東西夜話(1702)中「時雨れねば松は隙なり小六月〈支考〉」

とある。
 日差しは春のようでも明け方は寒く、氷も張っていた。それが小六月の日差しで薄くなり溶けて行く。

 あきんどのひとりね寒し高野山  尺草

 高野山の巡礼者は宿坊で大勢で雑魚寝していたのだろう。順礼でない商人は別の所に泊まっていたのか。逆説的に宿坊の賑わいを表すマイナー・イメージであろう。

 院々を着たりぬいだり旅頭巾   亀翁

 外の移動の時は頭巾をかぶるが、お堂に入るたびに頭巾を脱ぐ。

   つねにもまいりうとき所なり
 冬ぞなほ楽書うすき女人堂    亀翁

 女人堂は普通は男の入る所ではないが、その日は誰もいないかなんかで見ることができたのだろう。落書きはこの時代は普通で、旅人や巡礼者の伝言板になっていたのではないかと思う。ただ、女人堂の落書きは細い線で仮名の多い女手で書かれている。

 二十年この山ふみや紙子うり   横几

 二十年高野山で紙子を売っている商人がいたのだろう。

 卵塔の鳥居やげにも神無月    晋子

 卵塔は無縫塔ともいう卵型の墓で僧の墓に多い。
 お墓の入口に鳥居があるにもかかわらず、その先は卵塔ばかりだと、なるほど神無月だ、ということになる。

   学文路の宿にて
 戸をたてて楮うつ声霜夜かな   尺草

 学文路は「かむろ」と読む。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「学文路」の解説」に、

 「和歌山県北東部、橋本市の一地区。旧学文路村。古くは禿(かむろ)と書いた。紀ノ川南岸に臨み、また高野山参詣(こうやさんさんけい)路の不動坂道の上り口にあたり、説教、浄瑠璃(じょうるり)で知られる石童丸(いしどうまる)にちなむ苅萱堂(かるかやどう)や、謡曲『高野物狂(ものぐるい)』にちなむ石がある。国道370号が通じ、南海電鉄高野線の学文路駅がある。この駅の入場券は受験のお守りとして人気になっている。[小池洋一]」

とある。
 「楮うつ」は紙を作るための楮を煮たものを臼で搗く作業をいう。この辺りでは紙漉きが盛んで、高野紙と呼ばれていた。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「高野紙」の解説」に、

 「紀伊国(和歌山県)の高野山周辺で漉(す)かれる和紙。高野山へ登るには七口(ななくち)と称して7本の道が開かれ、そのいずれにも清流があるために平安時代末期から付近のコウゾ(楮)やガンピ(雁皮)を原料とする紙が漉かれ、おもに寺院で使用された。ことに上古沢(かみこさわ)、下(しも)古沢、河根(かね)(九度山(くどやま)町)、細川(高野町)などの村落が有名で、鎌倉時代の高野版(高野山金剛峯寺(こんごうぶじ)で印刷・発行した仏典類)の用紙に利用された。現在細川でただ1軒だけが伝統を守って漉いている。[町田誠之]」

とある。

   糺の川 いく瀬もあり三か月のながるるを
 たつか弓矢をつく船やみかの月  晋子

 翌三日、高野山を出て紀ノ川を下り、和歌の浦に向かう。西へ向かうので、夕暮れには行き先に三日月が見えて、その光が川に映し出される。
 「たつか弓」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手束弓」の解説」に、

 「〘名〙 手に握り持つ弓。たつかの弓。
  ※万葉(8C後)一九・四二五七「手束弓(たつかゆみ)手に取り持ちて朝狩に君は立たしぬたなくらの野に」
  ※散木奇歌集(1128頃)恋下「つくつくと思ひたむればたつかゆみかへる恨みをつるはへてする」

とある。軍事用の長弓ではなく、狩猟用の座って射れるような小さな弓ではないかと思う。
 三日月が弓のようで、その下の光る浪が沢山の矢のように見える。

 船頭の顔もさだめぬ時雨かな   キ翁 

 急に時雨てくると船頭の顔色もさっと変わる。

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