2022年12月18日日曜日

 今朝、丹沢には雲がかかっていたが、それが晴れると雪が積もっているのが見えた。

 もうすぐ一年も終わりということで、振り返ってみると、今年はまず転居ということで、去年の退職に続いて人生の一つの節目の年だったか。
 先のことはまだわからないけど、まあいろんな意味でこれが限界なのかなと思う一年だった。
 左翼の巣窟だと思って近寄らなかったTwitterとやらを恐る恐る「慢屋小屋」という名前で初めてみたら、そのTwitterのオーナーがマスクさんに変わって、タイミングが良かったというか、まだまだ天も味方しているのか。
 今まで俳句の方の人達との交流は全くなかったが、転居をきっかけに秦野市俳句協会の門を叩いてみたが、これもこれからゆっくりとという所だろう。
 世界の方はロシアのウクライナ侵攻で、これまでの常識が一気にひっくり返った感じがした。
 経済という観点からすれば、戦争は明らかにマイナスで、マクドナルドのある国同士は戦争しないと思ってたら、ロシアが戦争を起こしてマクドナルドが撤退した。
 要するに経済などぶっ壊れてもいいと思う指導者なら、いくらでも戦争を起こせるということだった。
 イスラム圏の国も、かつては共産勢力がいたが、それがやがてイスラム原理主義に傾いて行った。それと似たようなことがロシアにも起きたのだろう。
 社会主義に失敗したが、なおかつ社会主義を捨てきれず、アメリカや西側諸国への恨みに凝り固まった連中は、正教会を中心とするナロッドというドゥーギンの思想に容易に傾いて行った。
 中世回帰のこの哲学は経済なんて物をはなから無視している。
 別に珍しいことではない。日本にだって「貧しくても幸せならいいではないか」なんて言ってる連中はいくらでもいる。昔から新左翼の連中は自然に変えれとばかりに文明否定の主張を繰り返してきた。安藤昌益なんかを担ぎ出して直耕の自然世を作ろうだなんて、間違いなく飢餓を生む。
 社会主義者は人口論の視点を欠いているし、マルサスの人口論をブルジョワ的と批判し続けた人たちだから、奴らに人口論を説明したって無駄なことだ。だが、人口が増えているにもかかわらず生産力が低下すれば飢える。これは火を見るよりも明らかだ。
 マルクスは本来は資本主義の生産力を平等に配分できれば、万人が豊かで争う必要のない理想の社会が作れると思ってたのかもしれない。
 だが何よりも「資本論」はそれを裏切った。資本主義の生産性向上の原動力が拡大再生産にあるにもかかわらず、資本論は剰余価値を労働者に配分しないのは搾取だと言って、剰余価値を拡大再生産に回すのを否定してしまったため、前近代の単純再生産に戻す思想になってしまった。
 人口が増えているのに拡大再生産による生産性の向上を拒むなら、生産力は停滞して飢える。
 大地は有限で無限に人口を増やすことはできない。その時点での生産性から自ずと定員は限られる。これも単純な事実だ。ならば人口を減らせばいいかと、そこへ行き着くとオウム真理教のハルマゲドンと何ら変わらなくなる。
 文明が壊滅し、生き残った僅かな人たちで作り上げるユートピアというイメージは、オウム真理教が出てくる前から新左翼の人達が思い描いてたことだった。そして、イスラム原理主義もロシアの正教会ナロッドも基本的にそういう発想だ。文明を破滅させるのが目的だから、その破壊は徹底的だ。
 日本人の危機感の薄さの一つの原因に、日本はこれだけ豊かで高度な技術を持っているから、日本が侵略を受けてもそれを残そうとして、そんなに手荒なことはしないはずだというのがあると思う。
 だが、今のロシアにそれは通用しない。イスラム国と一緒だ。やつらは豊かさも高度な技術も求めてはいない。生産力が落ちれば人口を減らすまでだ。ウクライナを見ればそれが分る。
 中国もかつての開放政策の時代の幻想をいつまでも見ない方がいい。シージンピンになってから中国共産党は既に経済的な豊かさに興味を失っている。経済が停滞しても周辺の少数民族から人口を削って行けばいいくらいにしか考えてない。ウイグルだけだなく、南モンゴルや朝鮮族にもそれは拡大されている。
 コロナ対策に経済を犠牲にすることを躊躇しなかったことを見ても、シーは既に経済に興味を失っている。
 ちょっと前のマクドナルドのある国同士は戦争をしないという常識なら、日本がたとえ中国に編入されたとしても、今の経済は保証されるという期待はできたかもしれない。でも今は違う。
 資本主義の拡大再生産のメカニズムはいろいろ問題は抱えていても、最も効率的に生産性を高めることができた。これに地球規模での少子化によって人口増加の圧力から世界が解放されれば、そこには素晴らしい未来が約束されているはずだった。
 でも多分どこか根本的な所で間違ってしまった。高度な生産性と人口増加からの解放が世界に広まる前に、そこから取り残された世界の人々が生産性の破壊と虐殺に踏み切ってしまった。
 人類にとってこれが最後の試練かもしれない。これを乗り切れば必ず世界全体が今の先進諸国同様の豊かさと平和を手にする時がくる。それを信じたい。
 そして、ロシヤや中国やイスラム原理主義や、それに同調する世界中の左翼の人達も、いつかその過ちに気付いて、数々の矛盾を克服した新しい本当の資本主義にいきつくことを願わずにいられない。
 まあ、こんな大きなことを言っても、今の俺にはただ誰も読まないブログやTwitterでぶつぶつ独り言を言う以外に何もできないけどね。

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