今日はふたご座流星群がピークだというので、これから見に行こうと思う。
それでは「隨縁紀行」の続き。
「和歌のうら 吹上
座敷まで千鳥の雫磯かな 岩翁
伽羅岩にしめりを添て幾霽 横几
浦のなみ紀三井寺より時雨けり 尺草
かいつぶりつれてすげなし片男波 キ翁
玉津島にまいりて
御留守居に申置なりわかのうら 晋子
帰望
和歌はみつふけゐの月を夜道哉 同
粟島奉納
拝殿の雛をあらすなはまちどり キ翁
一対の鷺ぞより来る浦の波 横几
ふけゐのうらに出たれば
大網引馬夫駕籠のもの従者ましりに走りつきて力を添てとよみけるに
魨ひとつとらへかねたる網引哉 晋子」
三日に紀ノ川を下り、四日には和歌の浦や紀三井寺などを回ったと思われる。このあと十一日まで日付の記述はない。
和歌のうら 吹上
座敷まで千鳥の雫磯かな 岩翁
磯は三文字でないと字足らずだが「ありそ」か。千鳥が濡れたまま部屋の中まで入って来る。
吹上浜の千鳥は、
浦風に吹き上げ浜の浜千鳥
波立くらし夜半に鳴くなり
祐子内親王家紀伊(新古今集)
の歌に詠まれている。紀ノ川の河口の南側の浜だが、和歌山城の南側辺りで今は埋め立てられている。
伽羅岩にしめりを添て幾霽 横几
伽羅岩は玉津嶋神社の南側で今は県道151号線のあしべ通りが前を通っている。昔は海だったか。沈香の伽羅に似ている所からこの名前がある。
霽は時雨で、乾燥させたものを燃やして用いる伽羅も、長年の時雨にすっかり湿ってしまっている。
浦のなみ紀三井寺より時雨けり 尺草
玉津嶋神社の前は片男波という突き出た砂州があり、その内側は干潟になっていて、その片男波の対岸に紀三井寺がある。後ろが山になっているので雲ができやすいのだろう。紀三井寺から時雨てくる。
かいつぶりつれてすげなし片男波 キ翁
カイツブリは鳰鳥とも呼ばれる。
カイツブリが片男波に寄り添おうとしてもつれなくされる。片男だから。
玉津島にまいりて
御留守居に申置なりわかのうら 晋子
神無月だから玉津嶋神社の神様もお留守。
帰望
和歌はみつふけゐの月を夜道哉 晋子
ふけゐは和泉国の吹飯の浦で、今も深日(ふけ)という地名が残っている。和歌の浦の一山越えた北側になる。
「和歌はみつ」は、
若の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして田鶴鳴き渡る
山部赤人(続古今集)
の「満つ」であろう。加太淡島神社に寄っているので、海沿いのルートの大川峠越えルートで吹飯に入ったと思われる。和歌の浦に潮が満ちるのを「見つ」に掛けて、前を見れば吹飯の浦に月が見える。
粟島奉納
拝殿の雛をあらすなはまちどり キ翁
加太淡島神社であろう。雛流し神事が行われ、今でも沢山の雛人形が並べられていることでも知られている。当時もやはり雛人形が並べられていたか。当時は紙や布で作られた立雛が主流だった。軽いから簡単に千鳥に荒らされてしまったのだろう。
一対の鷺ぞより来る浦の波 横几
雛人形が男雛女雛一対であるように海から来る鷺もペアを組んでいる。
ふけゐのうらに出たれば
大網引馬夫駕籠のもの従者ましりに走りつきて力を添てとよみけるに
魨ひとつとらへかねたる網引哉 晋子
魨はフグで、吹飯の浦でも取れたのだろう。
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