2022年12月29日木曜日

 一年ももうすぐ終わり。
 ウクライナに安倍元首相の暗殺と、今年はこれまでの平和な世界が暴力によって踏みにじられ、滅茶苦茶になってしまった年だった。
 来年こそはこの暴力が止み、平和な世界を取り戻すことができますように。久しぶりに言うけど鈴呂屋は平和に賛成します。

 はかいしにかばねをつみの年暮れぬ

 昨日の続き。
 それならこうした贈与と相互抑制による冷たい社会がどのようにして熱い社会に移行していったか、それを少し考えてみることにしよう。
 もちろんこの変化は必然ではない。実際二十世紀まで冷たい社会は地球上のあちこちに残っていた。そして、それが西洋の学者たちに発見された頃から、彼らもまた急激な変革を迫られることになった。
 ほぼ全裸に近い格好で弓矢を引いてたコイサン人は、ナイキのウエアを着て銃を手にするようになった。彼らは貨幣経済を認め、交換によってこうした物を手にするようになった。
 だが、こうした外圧がなかった時代には、変化は急激でなかったに違いない。
 変革の要因となったのは、おそらく余剰人口の問題であろう。
 二十世紀まで残った冷たい社会は、砂漠であったり極度の密林であったり、そうでなければ極寒の地であったり、過酷な環境に暮らす人たちだった。
 豊かな地域ではそれだけ大きな人口増加圧が生じる。それは二つのことを生み出す。
 一つは慢性的な戦争状態であり、もう一つは何らかの理由で共同体を追放された人たちが、狩猟のテリトリーを持たずに何等かのサービスによって生計を立てる呪術師の道を歩むということで、相互贈与でない最初の交換は後者から生まれたと考えられる。
 慢性的な戦争状態は、例えば隣の集落へ行って一人殺して帰って来れば成人として認められるというようなものもあれば、全面的な戦争になる場合もある。当然ながら殺された方の遺族はどのような理由であれ納得できるものではなく、恨みと報復の連鎖を生み出す。結果的にそれによって人口は一定に保たれることになる。
 その一方で、呪術師は何らかのサービスを提供することで、その代償に食料を得ることになるが、この取引はもはや相互贈与ではない。
 呪術師は絶えず移動し、村落共同体と永続的な関係を持つわけではない。そこで初めて一回限り、あるいは数回限りの臨時の相互贈与が行われ、これが商取引の起源となる。
 呪術師は病気の治療もすれば歌や踊りや物語などの娯楽も提供する。これらは一定時間の労働に対する対価を貰うわけではない。病気の治療は出来高払いだろうし、芸能の報酬も基本的に面白ければということになる。
 食料や生活必需品は基本的に村落共同体の中で自給できている。それは個人個人の自給自足ではなく、村落内部の相互贈与によって自給されている。呪術師への報酬はその余剰に限られる。そこでの交換価値もまた病気を治してもらった嬉しさや芸能を見ての感動から決定される。
 労働が取り引きされるようになるのは、大規模な灌漑農法が発明され、そのための大規模な工事が必要になってからであろう。あるいは永続的な戦争状態の中で傭兵の需要が生じたかもしれない。
 呪術師たちがやがて大きな集団をつくるに至るようになると、その中から先頭に特化する集団が出てきてもおかしくない。そうなると、少人数だと戦争の助っ人にすぎないが、それが戦闘集団となると村全体を逆に支配することが可能になる。
 最初は山賊のように村を襲っては略奪するだけだったかもしれないが、やがて略奪して村を滅ぼすよりも、村人を生かしておいて奴隷にするという知恵が働くようになる。こうして原始的な国家が誕生することになる。
 そして国家が巨大になり、大河の流域を専有できるようになると、そこに灌漑農法が可能になる。
 こうした武力(暴力)による支配はもちろん等価交換にはならない。生殺与奪権の掌握によって有無を言わせぬ労働と搾取が可能だからだ。そこにはまだ社会契約は存在しない。
 呪術師集団はやがて巨大化し、軍事や灌漑などを取り仕切り、強制労働と搾取を繰り返すうちに、より利益を上げる方法をまた模索しだす。その過程で交易という概念が生まれたのではないかと思う。
 また同じように生産性を高めるための支配者集団の中から、新しい技術の開発が行われ、そこに職人集団が生まれたと考えられる。
 古代の日本を見ても、職人集団は天皇の供御人として非課税と諸国往来自由などの特権を持っていた。
 そして、貨幣が誕生するのはそれよりも後になる。

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