2022年1月21日金曜日

 欧米はロシア、アジアも中国で世界的に緊張が高まってきている。コロナ下の混乱に付け入るなら、この春が最後のチャンスということか。もちろんそういう連中は内側にもいる。
 コロナが当初は生化学兵器でなかったにしても、後付け兵器として利用できる。既にされていると言っていいだろう。コロナを痛快だと言った人が出てきた辺りから、コロナは政争のための兵器だった。
 オミ株の感染力で強毒のウイルスが変異する可能性があるなんて言っている人がいるが、それを人工的に作っちゃおうなんて馬鹿が現れたら、本当にこの世界は終わるかもな。小松左京の「復活の日」だ。
 ゼロコロナはそのための演習だったりして。
 冷戦が終わった頃のあの希望に満ちた時代はどこに行ってしまったんだろうか。冷戦を終わらせたくないという、平和に反対する勢力が何でこんなに勢いづいてしまったんだろうか。
 鈴呂屋は平和に賛成します。

 それでは「俳諧秘」の続き。

  「第十 三段切発句之事

 花はひも柳は髪をときつ風
 織女は何れの薄ぎり雲の帯    則常」(俳諧秘)

 これは梵灯庵主の『長短抄』では三体発句ではなく、「大廻」の方のように思われる。
 『長短抄』には、

  「発句大廻ト云 在口伝、
   山ハ只岩木ノシヅク春ノ雨
   松風ハ常葉ノシグレ秋ノ雨
   五月雨ハ嶺ノ松カゼ谷ノ水
  三体発句
   アナタウト春日ノミガク玉津嶋
  此等ハ切タル句也、
   庭ニミテ尋ヌ花ノサカリ哉
   山近シサレドモヲソキ時鳥
   花ハ今朝雲ヤ霞ノ山桜
 此三句キルル詞ハアレドモ不切、」(『連歌論集 上』伊地知鉄男編、一九五三、岩波文庫p.180)

とある。
 「山ハ只」の句は「山は只岩木のしづくが春の雨や」という意味で、この末尾の治定の「や」が省略されているとみていい。
 「松風ハ」の句も「松風(の音)は常葉の時雨や、秋の雨や」という意味で、治定の「や」が省略されている。
 「五月雨ハ」の句も「五月雨は嶺の松かぜ(に)谷の水(をそえる)や」で、いずれも治定の言葉が省略されている。それを補えば「〇〇は〇〇や」という主語述語整った形になる。

 蚤虱馬の尿する枕もと       芭蕉
 目には青葉山ホトトギス初鰹    素堂

もこの類といえよう。「蚤虱や馬の尿する枕もと」「目には青葉山(には)ホトトギス(口には)初鰹や」となる。
 これでいうと、

 花はひも柳は髪をときつ風

の句は「花はひもや、柳は髪をときつ風」であろう。
 花は紐だろうか、と謎掛て、何でそう思ったかというと、柳の髪は風が解き放つが、桜は解き放たれることなく動かないから、紐で髪をくくっているのだろう、ということになる。「ときつ風」は「時津風」に「解く」を掛けている。この句の上五は「花や紐」でも良かったのではないかと思う。
 「織女は」の句も、「織女は何れの薄ぎり(や)雲の帯」の省略と考えればいい。「や」を置かなくても「何れ」があるので省略できる。むしろ「何れ」が切れ字の役割を果たしているといった方がいいか。
 雲の帯だけが見えるがどこに織姫の本体があるのか、薄霧しか見えないという句。

  「第十一 はね字とめ発句

 名ぞ高き月や桂を折つらん
 歌もなし老やめいぼくなかるらん  季吟」(俳諧秘)

 らん留め発句は『新撰菟玖波集』に、

 月ほそしかつらやしげりかくすらん 法眼専順

の句がある。
 「月ほそし、かつらのしげりかくすらんや」「名ぞ高き月に桂を折つらんや」「歌もなし、老のめいぼくのなかるらんや」の倒置で、「や」「らん」を合わせて「らんや」という切れになる。

  「第十ニ 大まはし発句事

 あなたうと春日のみがく玉津嶋   古句
 花さかぬ身はなく計犬ざくら    元隣

 右の三通の発句、甚深の相伝有事也。其道の堪能ならずしては、仕立やう知とも無益の事也。僣踰の罪のがるるに所なけれ共、とてももの事に愚句一句書付侍し。」(俳諧秘)

 三通とあるが、二句しかない。「愚句一句書付侍し」の一句が抜け落ちたか。
 これは梵灯庵主『長短抄』の三体発句になる。ここにも、

 アナタウト春日ノミガク玉津嶋

の句が例示されている。
 これは形容詞の活用語尾の省略で、「春日のみがく玉津嶋はあなとうと(し)」になる。この「し」があれば、それが切れ字ということになる。

 あらたうと青葉若葉の日の光    芭蕉

もこれにあたる。形容詞の語尾は今日の口語でも頻繁に省略されている。「でかっ」「こわっ」の類。
 踰僭は僭越と同じ。分限を越えること。愚句一句は記されてない。

  「宗養より伝授の書に云、
   永享年中北野万句
 みづかきのふりて久しく松の雪   御所様御句

と被為遊しを、梵灯庵主宗匠にて、是は久しきと御沙汰候はば、珍重の御句なるべきを、大廻し御存知なきゆへと被申しをきこしめさせられ、御機色あしかりければ、都のすまゐ叶ずして、する河のかたはらに侍しと也。」(俳諧秘)

 宗養は宗長の弟子の宗牧の子で十六世紀の中頃に活躍した人。永享年は一四二九年から一四四一年までで、宗養からすれば百年以上も前になる。
 何度が北野社法楽万句が興行されているが、日文研の連歌データベースにある永享五年と永享七年のものにこの発句はなかった。
 ただ、梵灯が応永二十四年(一四一七年)頃の没なので、時代が合わない。宗砌や心敬の時代になる。
 要は「久しく」の形で切れているということで、これを三体発句の例としている。この場合は「瑞垣の経て久しく(なりぬ)松の雪」の省略であろう。「久しき」だと「松の雪」に係るので、切れない。

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