2022年1月6日木曜日

 今日は昼から雪が降り出して二センチは積ったか。
 ベラルーシに続いて今度はカザフスタンか。中国も情報統制強化で何で自分の首を絞めるようなことをするかな。自由にしておけばもっと大きな繁栄があったのに。
 あと、グルテン・アレルギーはワクチン拒否の理由にならないということで、反ワクの人も覚えておいた方が良い。

 それでは『阿羅野』歳旦の続き。

 小柑子栗やひろはむまつのかど  舟泉

 小柑子(せうかうじ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小柑子」の解説」に、

 「〘名〙 柑橘の一種。コウジの小形のものか。
  ※伊勢物語(10C前)八七「その石のうへに走りかかる水は、せうかうじ、栗の大きさにてこぼれ落つ」

とある。コウジは柑子で柑橘類一般をさす。金柑のことか。
 小柑子から栗を導き出すのは、この辞書の例文の『伊勢物語』によるものであろう。摂津芦屋の布引の滝を見に行った時の話で、

 「さる滝の上に、藁座の大きさして、さしいでたる石あり。その石の上に走りかかりたる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府の督、まづよむ、

 わが世をば今日か明日かと待つかひの
     涙の滝といづれ高けむ

 あるじ、次によむ、

 ぬき乱る人こそあるらし白玉の
     まなくも散るか袖のせばきに

とよめりければ、かたへの人、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり。」

とある。
 金柑の甘露煮は今でもお節料理になっているので、この句も金柑を拾っていきたいという句で、『伊勢物語』の一節を思い起こして、あえて季節外れの「栗」を加えたのであろう。

 とし男千秋楽をならひけり    舟泉

 千秋楽は雅楽の楽曲にもあるが、一般的には謡曲『高砂』の最後の歌を指していたのかもしれない。

 「さす腕には、悪魔を払ひ、をさむる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ。相生の松風 颯颯の声ぞ楽しむ颯颯の声ぞ楽しむ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.1921-1927). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 年男はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「年男」の解説」に、

 「家々の正月行事を司る男。もと家長の役であったが,家族や下人もこれをつとめた。暮れの松迎え,注連縄 (しめなわ) 張り,元旦早朝の若水汲み,歳徳棚 (としとくだな) の飾りつけなどを行う。現在ではもっぱら節分の豆まきをするその年の干支 (えと) に生れた人をいう。」

とある。今の「年男」とはまったく意味が違うので注意。
 正月行事の中心となる人だから、千秋楽の一つも歌えなくてはならない。
 毎年年男を務める家長なら、急に習う必要もないから、当番制で割り当てられたのだろう。 

 山柴にうら白まじる竈かな    重五

 裏白は正月飾りに用いられるが、火を焚くために刈ってきた柴にも混じってたりする。

 松高し引馬つるる年おとこ    釣雪

 引馬はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引馬」の解説」に、

 「① 貴人または大名などの外出の行列で、鞍覆(くらおおい)をかけて美しく飾り、装飾として連れて行く馬。
  ※吾妻鏡‐元暦二年(1185)五月一七日「能盛引馬、踏二基清之所従一」

とある。『春の日』に、

 元日の木の間の競馬足ゆるし   重五

の句もあり、正月に競うように引馬をしてたのだろう。前述の年男がその役になっていたのだろう。

 月花の初は琵琶の木とり哉    釣雪

 「木とり」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「木取り」の解説」に、

 「原木や大型の木材から,必要な寸法,品質の木材を製材することをいう。木取り法には,板目木取りと柾目木取りがある。柾目のほうが,木理が平行で乾燥収縮率が小さく,狂いが少いが,板目に比べると広幅材が取りにくく,木取りも複雑で作業能率も落ちる。」

とある。
 枇杷の木は堅くて、杖の材料とされてきた。月花を求めての風流の行脚ということになれば、まず最初は手づから杖を作る所から、ということか。

 連てきて子にまはせけり万歳楽  一井

 万歳楽はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「万歳楽」の解説」に、

 「[1] 雅楽の曲名。唐楽、平調の曲。舞楽でも演奏される。左の平舞で舞人は四人、まれには六人で襲(かさね)装束を着けて舞う。祝賀の宴に用いられた。右舞の延喜楽と共に平舞の代表的なものである。ばんざいらく。ばんぜいらく。まざいらく。鳥歌万歳楽。
  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「からうじて、万歳楽、声ほのかに掻きならして、弾くときに」
  [2] 〘名〙
  ① 「とうか(踏歌)」の異称。〔釈日本紀(1274‐1301)〕
  ② =まんざい(万歳)②
  ※塵塚物語(1552)二「いかにも長袖にて大紋のかたびらをめし、御手には鼓をもたせたまひ〈略〉扨は子細なき万歳楽なり」
 
とある。この時代なら[2]の②の千秋万歳のことであろう。正月に万歳を舞う旅芸人がいたが、子連れで来ることもあったのだろう。こうして芸が継承されてゆく。

 うら白もはみちる神の馬屋哉   胡及

 馬屋にも正月ということで裏白を飾るが、馬だからそれを食べてしまう。

 見おぼえむこや新玉の年の海   長虹

 新玉(あらたま)は年に掛る枕詞だが、あらたまの年を越える、あらたまの年浪から海という発想が出て来るのであろう。

 あらたまの年もこえぬる松山の
     浪の心はいかかなるらむ
              元平のみこのむすめ(後撰集)

の歌もある。
 「見おぼえむ」は記憶に刻んでおこうということか。新春の富士山の見える二見ヶ浦の海であろう。今でも日本人の心に刻まれている。

 今朝と起て縄ふしほどく柳哉   鼠弾

 「縄ふし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縄節」の解説」に、

 「〘名〙 縄の節(ふし)状になった部分。縄の結びめ。なわめ。
  ※狂歌・詠百首誹諧(16C後)「なはふしをゆふ手もほそくやせぬれば卯花がきににた小者哉」

とある。
 柳は特に冬構えをしないので、これは柳の風に靡く様を、注連縄を解いたかのようだという比喩だろうか。

 さほ姫やふかいの面いかならむ  鼠弾

 「ふかいの面(おもて)」は能面の種類。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「深井」の解説」に、

 「② 能楽の面の一つ。女面のうち、中年で、多く狂女を表わし「隅田川」「桜川」「三井寺」などに用いる。
  ※俳諧・曠野(1689)二「さほ姫やふかいの面いかならむ〈鼠弾〉」

とある。
 謡曲『佐保山』の佐保姫の面は増女(ぞうおんな)で、狂女の面ではない。
 正月で女房も増女の顔をしていて、いつもの深井はどこへ行ったんだ、ということか。
 あるいは佐保姫はいつも正月でほほ笑んでくれているけど、普段は苦労しているんだろうなという思いやりか。

 蓬莱や舟の匠のかんなくず    湍水

 蓬莱はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「蓬莱(神仙思想)」の解説」に、

 「中国の神仙思想に説かれる三神山の一つ蓬莱山のことで、東方の海上にあって仙人が住み、不老不死の霊薬があり宮殿が建っているといわれる想像上の山を台の上につくった飾り物で、正月の祝儀に用いられるもの。蓬莱飾りの略。新年の三方台(さんぽうだい)、食積(くいつみ)ともいわれ、三方の上には、海老(えび)、熨斗鮑(のしあわび)、昆布、穂俵(ほんだわら)、裏白、栗(くり)、橘(たちばな)、柿(かき)、橙(だいだい)、蜜柑(みかん)、米、梅干しなどを積み重ねて、新年の来客に勧める。主人は箸(はし)に昆布などを挟んで客に勧め、主人と客の間の長寿と安穏を祈るもの。食積は江戸時代になると、積み重ねた果物を食べて長寿を願う祝儀になった。さらに後には、松竹梅をかたどるようにもなった。歯固(はがた)め、餅鏡(もちいかがみ)と関係が深い。」[山中 裕]

とある。
 蓬莱飾りの三方に使う木材は僅かで、この程度なら船大工の鉋屑程度のものであろう。大工ではなく船大工なのは、三方の上に魚介が盛られているからだ。

 仏より神ぞたうとき今朝の春   とめ

 正月は仏教行事ではない。かといって神祇かというとそうでもなく、古くからの日本の慣習であるとともに、時代によってさまざまな要素が付け加わったり廃れたりしている。
 初詣は近代のもので、かつては大晦日に大祓(おほはらへ)に行った。それでも正月の神を迎えるという意味では、この日の主役は正月さんと呼ばれる年神様になる。
 おとめさんは羽紅の通常の呼び名。夫の加生(凡兆)とともに『猿蓑』の時代の立役者となる。

 のの宮やとしの旦はいかならん  朴什

 野々宮は京のはずれの嵯峨にあった、伊勢神宮に奉仕する斎宮が伊勢に向う前に潔斎を行う場所。南北朝時代に廃絶した。今は野宮神社になっている。
 ウィキペディアに、

 「初斎院での潔斎の後、翌年8月上旬に入るのが野宮(ののみや)である。野宮は京外の清浄な地(平安時代以降は主に嵯峨野)を卜定し、斎宮のために一時的に造営される殿舎で、斎宮一代で取り壊されるならわしだった(野宮神社などがその跡地と言われるが、現在では嵯峨野のどこに野宮が存在したか正確には判っていない)。斎宮は初斎院に引き続き、この野宮で斎戒生活を送りながら翌年9月まで伊勢下向に備えた。」

とあるので、斎宮は伊勢で正月を迎えるので、野々宮の正月は普通の正月だったのではないかと思う。

 かざりにとたが思ひだすたはら物 冬文

 「たはら物」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「俵物」の解説」に、

 「① 俵に入れた物。多く、米や海産物をつめたもの。
  ※鵤荘引付‐永正一八年(1521)二月一一日「俵物を被レ註、任二彼員数一に可二打賦一」
  ② 江戸時代、長崎貿易の輸出品であった水産物をいう。元来は煎海鼠(いりなまこ)、干鮑(ほしあわび)の二品であったが、のち鱶鰭(ふかのひれ)を加えて三品とした。諸色(昆布・鯣・天草など)とちがい俵に入れたところからいう。
  ※牧民金鑑‐御廻米・延宝元年(1673)二月「少成共疑敷儀有之候而俵物刎捨候は」

とある。正月の蓬莱飾りの乾物類は俵物の内容と被るところがある。
 まあ、中国からすると日本は蓬莱山ということか。

 正月の魚のかしらや炭だはら   傘下

 節分に飾る鰯の頭のことだろう。「炭だはら」もここでは正月の飾り炭で、コトバンクの「デジタル大辞泉「飾り炭」の解説」に、

 「1 正月に、松飾りに炭を結びつけて飾ること。また、その炭。黒が邪気を払う色とされるからとも、読みを「住み」に通じさせて永住を祝う意からともいう。《季 新年》
  2 茶道で、新年の床飾りに用いる炭。また、それを飾ったもの。」

とある。邪気を払うという共通点があり、正月の炭俵は立春の鰯の頭のようなものだ、という意味だろう。

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