海外で高評価を得るものほど日本では当らないというパターンはすっかり定着してしまったが、「ドライブ・マイ・カー」も御多分に漏れずということか。見てはいないが、あらすじを聞く限りでは、ビートルズというよりは西岡恭蔵の「ぷかぷか」という感じがする。
まあ、治安の悪い欧米の「あるある」が日本では「ありえない」になるし、多民族の下層に吹き溜まる世界も日本ではリアリティーがない。フリーセックスも七十年代にはリアリティーがあったが、今ではとっくにリアリティーを失っている。
同じように、欧米では反ワクデモが盛り上がっていても、日本の反ワクは匿名のネット上でいきってるだけ。
それでは「あはれしれ」の巻の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
寐着は曲に腰をうたする
聾にはものいふ事のむづかしき 芹花
手話のなかった時代には、聾とどのようなコミュニケーションを取っていたのかよくわからない。
芭蕉追善の「なきがらを」の巻八十六句目にも、
味噌つきは沙彌に力をあらせばや
かな聾の何か可笑しき 游刀
の句がある。
なお許六の『俳諧問答』には、
「一、杉風 廿余年の高弟、器も鈍ならず、執心もかたのごとく深し。花実ハ実過たり。
常ニ病がちにして、しかも聾也。」
とある。
二十六句目。
聾にはものいふ事のむづかしき
御感の時は釣簾。まきあげ 路通
「釣簾。」の横に「を」とある。「釣簾」の読みが「すだれ」だとすれば、「ヲ」を入れると字余りになるので「釣簾。まきあげ」としたが、「を」を補って読めということか。
「御感(ごかん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御感」の解説」に、
「① 天皇、将軍、高貴の人などが深く感動すること、気に入ること。→ぎょかん。
※浄瑠璃・用明天皇職人鑑(1705)四「姫君の御こと御息所にさし上げ給はば、御かん有るべきとの仰せ」
② 「ごかん(御感)の御書」の略。
※松隣夜話(1647頃)下「雲州は故為景公・当謙信公両殿の御感を、廿三まで御取候由」
とある。偉い人がお褒めの言葉をかけるにも、耳が聞こえないから御簾の向こうで話すだけでは伝わらないので、御簾を上げて顔を見せながら喜びを伝える。
二十七句目。
御感の時は釣簾。まきあげ
くつさめにうちかけしたる朝の月 里東
「うちかけ」は時代によって異なる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「打掛」の解説」に、
「〘名〙 (①~⑥は衣服の上にうちかけて着るものの意で、「裲襠」とも書く)
① 儀仗の布帛製の鎧。朝廷の大儀に武官が、束帯の上に着用するもの。長方形の布帛の中央に孔を穿って頭を入れ、背部と胸部に当てて着ける貫頭衣。りょうとう。うちかけよろい。〔十巻本和名抄(934頃)〕
② =けいこう(挂甲)
※讚岐典侍(1108頃)下「あるは錦のうちかけ」
③ 行幸の際、輦(れん)の轅(ながえ)をかつぐ駕輿丁が肩にあてる貫頭衣。
④ 舞楽や田楽の装束の一つ。
※太平記(14C後)二七「赤地の金襴の打懸(うちかけ)に」
⑤ 旅をするとき、衣服の上から着る、袖口が細く裾の広いもの。
※鹿苑院殿厳島詣記(1389)「うちかけといふものを同じ姿に着給ふ」
⑥ 「うちかけこそで(打掛小袖)」の略。近世の上層婦人が重ね小袖の最上衣を帯付とせずに打ち掛けて着たことによる。かいどり。かけ。
※浄瑠璃・嫗山姥(1712頃)二「打かけひらりと取て捨」
とある。時代的には⑥であろう。基本的には、衣服の上にうちかけて着るもの一般を意味していたと思われる。
秋の冷えまさる朝、月を見ようとして御簾を上げたら、寒さでくしゃみが出たので、上に一枚羽織る。
二十八句目。
くつさめにうちかけしたる朝の月
馬子の千話する身の上の秋 其角
千話(ちわ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「痴話・千話」の解説」に、
「① 情人同士がたわむれ合ってする話。いろばなし。むつごと。転じて、情事。いろごと。
※俳諧・鷹筑波(1638)二「二道かくる人のさいかく ちはながらさせるむさしは上手にて〈正平〉」
② 「ちわげんか(痴話喧嘩)」の略。
※雑俳・すがたなぞ(1703)「千話すれば娘が泣てとりさゆる」
とある。馬子が仕事に行く時に妻と会話を交わす情景であろう。「寒いからこれ一枚着て行きなさい」「これくらい何のこれしき‥‥へーーくしゅん」「ほれごらんなさい」という感じか。
二十九句目。
馬子の千話する身の上の秋
やや寒み大肌ぬぎてけはう也 曲水
「けはう」は化粧すること。吉原の馬子(付き馬)としたか。吉原には送迎のための馬子がいて、料金を踏み倒されないように、客について行って取り立てもしたという。
三十句目。
やや寒み大肌ぬぎてけはう也
居風呂桶はうつぶけに干ス 芹花
居風呂(すゑぶろ)は水風呂のことで、湯舟にお湯を張った風呂のこと。サウナが主流だった中で、この時代に急速に広まっていった。
大きな木製の風呂桶を昼間はうつ伏せにして干していたか。
二裏、三十一句目。
居風呂桶はうつぶけに干ス
かたまりて何やら拾ふ雀の子 路通
風呂桶を干している庭に、雀が集まり、何かをついばんでいる。居風呂にはお寺のイメージもあって、舞台を薮が近くにあるお寺としたか。
三十二句目。
かたまりて何やら拾ふ雀の子
御與べ屋より蛇のつら出す 里東
「御與べ屋」は御輿部屋(みこしべや)。境内には雀もいれば、それを狙う蛇もいる。
三十三句目。
御與べ屋より蛇のつら出す
折花になかば言をかまへたり 其角
「なかば言」は何と読むのか。「なかばことば」か。
狂言『花折新発意』であろう。住職に花見の人を境内に入れるなと命じられた小僧が、花見客にうまく言い込められてしまう物語だという。
三十四句目。
折花になかば言をかまへたり
息災過て風雅まけぬる 曲水
長閑さを求めるあまりに、花の下の風流を犠牲にするということか。
世の中にたえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
在原業平(古今集)
花見にと群れつつ人の来るのみぞ
あたら桜のとがにはありける
西行法師
の歌の心による。閑寂を求めるのも風流だが、花に浮かれるのも自然の心。恋もまた同じ。徒に我が身の平穏のみを求めるのは、本来の風流の心ではない。
謡曲『西行桜』もそういうストーリーだし、狂言『花折新発意』もおそらく同じテーマであろう。
三十五句目。
息災過て風雅まけぬる
さしなれていまにはなさぬ長刀 芹花
身の安全が大事だとばかりに風雅の席にも長刀を手放さない。
『阿羅野』の、
何事ぞ花みる人の長刀 去来
の句を彷彿させる。
挙句。
さしなれていまにはなさぬ長刀
わらはぬ顔や人くはぬ鬼 筆
路通、曲水、其角、里東、芹花がそれぞれ七句づつ付けたあとで、最後は執筆が一句付ける。
長刀を差して怖い顔している武士は、人は食わなくても鬼のようだ。みんな俳諧で笑いましょう、ということで一巻は目出度く終わる。
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