ふと思ったが、人は厳しい生存競争の中で、ともに戦うから友情というのがあるのではないか。戦わないなら一緒にいる理由もない。戦うのをやめた現代人がボッチになるわけだ。
それでは「俳諧秘」の続き。
「第十四 第三之句の事
第三、て留、らん留、なへの事也。様子により、に留ももなし、とも留る事有。
貞徳老の第三、紅梅千句に、
春の末天下に名あるほととぎす
とこれあり。此留やう、百韻俳諧にはなき事也。
に留もなし、と留る事、勿論習ひある事なれば、師伝なき人は得せぬ事と云ながら、又、其習ひを得れば、別の事もなき事也。
かやうの曲は常にせぬ事也。只、て留、らん留第三にたけ高く、景気うつり、思ひ入ふかく、第三めきて聞ゆるに浅からぬ伝も工夫もある事也。」(俳諧秘)
第三に「て留」「らん留」が多用されるのは、第三は発句の心を去らなくてはならない難しさがあるのと、興行の際に発句脇は事前に用意される場合が多く、第三が即興の始まりになる場合が多いから、ここで長考して進行が妨げられるのを防ぐために、迷わないようにパターンを決めておくという意味があったのだと思う。
「て」留は、脇の内容に対し、その原因とか理由とかを発句と違えて展開するパターンになる。そして「て」留に限って言えば、長句(上句)から短句(下句)へ読み下すのではなく、短句から長句へ77575と読み下すような付け方が許されている。これも迷わないように、という配慮であろう。
「らん」留は「らん」と疑うことで、実際にない仮定や想像の事象や主観的内容で展開できるという利点がある。そして、次の句では疑問の「らん」を反語の「らん」に取り成すことができる便利さがある。
要するに、悩むくらいならこの二つのパターンで紋切り型に付けろということだった。
宗砌の時代の『千句連歌集 二』(古典文庫 405、一九八〇)の三千句を見ても、
文安月千句 第一 発句「哉」脇「秋風」第三「て」
第二 発句「哉」脇「雲井路」第三「て」
第三 発句「月」脇「露」第三「て」
第四 発句「かな」脇「明仄」第三「にて」
第五 発句「清し」脇「漣」第三「て」
第六 発句「都鳥」脇「友」第三「て」
第七 発句「哉」脇「頃」第三「て」
第八 発句「顔」脇「枕香」第三「て」
第九 発句「秋」脇「大空」第三「て」
第十 発句「哉」脇「て」第三「らん」
文安雪千句 第一 発句「深雪」脇「ころ」第三「て」
第二 発句「かせ」脇「こほれる」第三「て」
第三 発句「雪」脇「ころ」第三「らん」
第四 発句「かな」脇「て」第三「らん」
第五 発句「雪」脇「空」第三「にて」
第六 発句「雪」脇「らん」第三「て」
第七 発句「山」脇「たふる」第三「て」
第八 発句「はな」脇「竹」第三「て」
第九 発句「なし」脇「しく」第三「て」
第十 発句「哉」脇「かさなる」第三「にて」
顕証院会千句第一 発句「柏」脇「声」第三「て」
第二 発句「松」脇「葉かくれ」第三「て」
第三 発句「枝」脇「霧」第三「て」
第四 発句「哉」脇「露」第三「て」
第五 発句「薄」脇「来る」第三「て」
第六 発句「かな」脇「ころ」第三「らん」
第七 発句「草」脇「秋風」第三「て」
第八 発句「朝ねかみ」脇「秋」第三「に」
第九 発句「秋」脇「覧」第三「て」
第十 発句「哉」脇「本」第三「て」
と、三十句中二十五句が「て」四句が「らん」一句が「に」で留まっている。
ちなみに宗因判『大阪独吟集』十百韻は「らん、て、らん、て、て、て、らん、て、て、て」松意編『談林十百韻』は「て、て、し、らん、らん、に、らん、て、て、て」で「らん」が三割を占めている。
「に」留が希に混ざるのは、千句興行の場合、一回くらい変化を求めてのことで、貞徳の体言留の第三も「此留やう、百韻俳諧にはなき事也」とあるのは、千句興行であれば一句くらいあっても良いという意味だろう。
蕉門でも『冬の日』の第五歌仙に、
田家眺望
霜月や鸛の彳々ならびゐて 荷兮
冬の朝日のあはれなりけり 芭蕉
樫檜山家の体を木の葉降 重五
という、第三のみならず発句、脇とも変則的な一巻がある。これも五歌仙六句興行の中の曲の一つと見ていいだろう。『ひさご』でも五歌仙の最後の巻は、
田野
疇道や苗代時の角大師 正秀
明れば霞む野鼠の顔 珍碩
觜ぶとのわやくに鳴し春の空 珍碩
と体言留が三句続く展開になっている。
『猿蓑』巻五の四歌仙では、第一第二が「て」留で第三が「に」留、第四が、
餞乙州東武行
梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉
かさあたらしき春の曙 乙州
雲雀なく小田に土持比なれや 珍碩
と、「や」留になっている。ここにも、変化をつけるという意識があったのではないかと思う。『俳諧秘』の言う「かやうの曲は常にせぬ事」というのは、蕉門でも守られていたと考えていいと思う。
「梅の花見にこそ来つれ雪はきて 可全
御所車花にくるくるみすまきて 梅清
にくや風花と散てぞ吹ぬらん 昌珎
後々も見よとや古歌を集むらん 正慶
大方かやうの風情なるべし。前句を聞ざれ共、面白し。第三のみにかぎらず、前句なしに面白き上品の句也。中品の迄は前句の光りにて能聞へて、前句なしにはさもなきことなり。
それさへあるを、前句をかり前句にもたれんは作者の無念歟。
され共、前句にもたるる句を聞知人も稀也。前句にもたれぬやうにと年比心かくれ共、甚なりがたし。」(俳諧秘)
土芳『三冊子』「しろさうし」には「「第三は師の曰、大付にても轉じて長高くすべしとなり」とあるが、この「長高く」の解説と見ていい。
「長け高く」というと「居丈高」という言葉もあるように、力強い調子を言う。
付け句の場合は次に付ける人の付け易さを考えると、あまり力強く言い切らずに、ある程度曖昧にしておいた方がいいが、第三はそこはあまり気にするな、ということなのだろう。そのために「て」留「らん」留があると言っても良いのかもしれない。
一句の情報が多いとそれだけ内容が限定される。例えば『山中三吟評語』で、北枝の四句目「鞘ばしりしを友のとめけり」を「やがてとめけり」に直したのは、次の展開を考えると「友の」とすれば複数の人間のいる場面になるが、「やがて」とすれば一人だとして展開できる。また、「友」は人倫になるので次の次の句で人倫を出せなくなる。
この『山中三吟評語』の第三は芭蕉の句で、「月はるゝ角力に袴踏ぬぎて」を「月よしと」に案じかえたという。「月よしと」という主観的な言葉の方が確かに一句として力強い響きがある。これも「長高く」であろう。
付け句は、あまり情報や景物を詰め込み過ぎてはいけないが、それによって句としての力強さが失われてはいけない。
梅の花見にこそ来つれ雪はきて 可全
この句も「見にこそ来つれ」に力強さがある。「見に来てみれば」では情けない。
御所車花にくるくるみすまきて 梅清
この句は「くるくる」のオノマトペに取り囃しがある。
にくや風花と散てぞ吹ぬらん 昌珎
この句も「にくや風」に力強さがある。
後々も見よとや古歌を集むらん 正慶
この句も「後々も見よ」に力がある。
第三に限らず、それ以外の付け句でも、力強い句は好句といっていい。『猿蓑』の「灰汁桶の」の巻三十句目、
堤より田の青やぎていさぎよき
加茂のやしろは能き社なり 芭蕉
の句も情報量は少なくして、同語反復で力強いリズムを生み出している。
力なく、景物を並べただけのような句は、それだけでは何を言おうとしているかわからないし、一句としての面白さもない。
ただ、蕉門では前句の突飛な取り成しなどによる二句一章の好句も多い。『炭俵』の八句目、
御頭へ菊もらはるるめいわくさ
娘を堅う人にあはせぬ 芭蕉
などがそれだ。
「前句をかり前句にもたれんは作者の無念歟」はこういう句のことではなく、前句の趣向にさほど新たな趣向を加えられなかった凡句のことではないかと思う。
堤より田の青やぎていさぎよき
村のやしろに向かう旅人
では、いくらなんでも残念だ。ただ旅人がいるというだけで、前句の田の青やいだ潔い景色にもたれただけの句になる。「加茂」という名所があって、それを「やしろ」の反復で取り囃す所に一句の面白さがある。
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