それでは旧暦ではまだ冬なので、冬の俳諧に戻ることにしよう。
今回は『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)から、元禄四年刊路通編の『俳諧勧進帳』の「あはれしれ」の巻を読んでみようと思う。
発句は、
俳諧連歌勧進始曲水亭
あはれしれ俊乗坊の薬喰 路通
俊乗坊は俊乗坊重源のことで、ウィキペディアに、
「重源(ちょうげん、保安2年(1121年) - 建永元年6月5日(1206年7月12日))は、中世初期(平安時代末期から鎌倉時代)の日本の僧。房号は俊乗房(しゅんじょうぼう、俊乗坊とも記す)。
東大寺大勧進職として、源平の争乱で焼失した東大寺の復興を果たした。」
とある。
別に重源が薬食いをしていたということではなく、ここで重源を真似て俳諧の勧進の旅に出ようという路通と、この時曲水亭に集まった曲水、其角、里東、芹花が薬食いをしたという意味だろう。
肉食は仏教の影響で戒められていたが、冬には薬食いと称してシカやイノシシを食べた。下層の者は犬を食うこともあったようだ。幕末の寺門静軒の『江戸繁盛記』では狐も売られていたという。
この俳諧の勧進については、『俳諧勧進帳』の路通の序に、
「元禄三年霜月十七日の夜、観音大士の霊夢を蒙る。あまねく俳諧の勧進をひろめ、風雅を起すべしと、金玉ひとつらね奉加につかせ給ふ。
霜の中に根はからさじなさしも草
覚て後、感涙しきりなるあまり千日の行を企畢。広く続て一言半句の信助を乞。大願の起かくのごとし。」
とある。
千日の行は比叡山の「千日回峰行」に見立てたものか。ウィキペディアの「千日回峰行」の所に、
「この行に入るためには、先達から受戒を受けなければならない。その後、作法、所作を先達から学び、その上で最初の百日行に入る。これを初百日満行という。仏教の所作の中に、初七日、四十九日、百日とあるが、その百日目にあたる。」
とあるから、観音大士の霊夢を受戒として、まずは百日行を行い、その後千日に渡る勧進の旅を始めるという意味であろう。
「あはれしれ」の巻の興行はこの霜月十七日からそう経ってない頃に行われたのであろう。その後実際のどのような百日行を行ったのかは定かでないが、これを終えた後、
三月三日 勧進当日之句
なげく事なくて果けり雛の世話 路通
の句を詠み、
路通餞別
花に行句鏡重し頭陀嚢 露沾
の句で送られて旅に出ることになる。これから二年九か月の旅が勧進ということになる。元禄四年三月三日から二年九か月ということは、元禄七年の春に終了ということになる。ただ、実際は終りのない旅路といっていい。
路通は元禄三年春に冤罪を受けて芭蕉の元を離れ、陸奥を行脚して江戸に戻り、そこで其角、曲水などの江戸の門人に暖かく迎えられた。そして、上方方面へと旅立ち、七月には再び芭蕉の下に合流し、七月には、
蠅ならぶはや初秋の日数かな 去来
を発句とする興行に参加する。
脇は、
あはれしれ俊乗坊の薬喰
紙子のつぎに國々の衣 曲水
で、前句の「あはれしれ」を受けて、継ぎはぎの紙子にその哀れな姿を現す。ボロボロの紙子は古い時代から乞食僧の描写に用いられてきた。
第三。
紙子のつぎに國々の衣
借す事の面白きより金持て 其角
借金は借りる側の方が強いと、今でも言われている。デフォルトが恐くて、何のかんの言って借り手の言いなりになってしまう所がある。国家でも債務国は強い。
まあ、そういうことだからどこの国でもいつの時代でも借金大王というのがいるのだろう。人から金を借りまくって姿を消したと思ったら、金がなくなった頃又ひょっこりとやってきて借りようとする。カール・マルクスも石川啄木も借金大王だったという。そりゃじっと手を見るわな。
四句目。
借す事の面白きより金持て
日剃はげたるさかやきの色 里東
日剃(ひぞり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「日剃」の解説」に、
「〘名〙 毎日、髭や髪をそること。
※俳諧・俳諧勧進牒(1691)下「借(か)す事の面白きより金持(もち)て〈其角〉 日剃はげたるさかやきの色〈里東〉」
とある。
月代(さかやき)を毎日剃ってはいても、次第に剃る毛もなくなってゆき、剃った時の青々とした色は昔のこと、今はてかてか光っている。
前句の借金大王の老いてく様とする。
五句目。
日剃はげたるさかやきの色
関守に狂言見する月の影 芹花
前句の老いてゆくのを止めることができないという頃から、関守も月日は止められないという所へ持って行く。
須磨の浦に秋をとどめぬ関守も
のこる霜夜の月は見るらむ
藤原信実(新勅撰集)
の歌の心であろう。
狂言はこの時代は歌舞伎狂言のことであろう。この時代には関守は過去のものになっていたので、関守を演じる歌舞伎役者の衰えとする。
六句目。
関守に狂言見する月の影
雨かとおもふ露ぞばらつく 路通
芝居で使われる「本水」のことか。
初裏、七句目。
雨かとおもふ露ぞばらつく
むしの音やわり木積たる軒の下 曲水
前句の露を本物の露として、軒の下に積んだ薪に降りた露が、割り木を取ろうとするとばらばらと雨のように落ちて来る。
八句目。
むしの音やわり木積たる軒の下
洗ふた足袋をぬすまれにけり 其角
軒下の薪の上に干して置いた足袋が盗まれた。これも「あるある」だったのか。
九句目。
洗ふた足袋をぬすまれにけり
山伏の水をひとつともらひよる 里東
山伏に水を貰いに行って、山伏がそれに応対しているうちにもう一人が泥棒を働くということか。山伏の家では足袋くらいしか盗る物もないだろうに。
十句目。
山伏の水をひとつともらひよる
よむ顔したる文のかけもの 芹花
山伏の家にある掛け軸見て、読めるふりをする。
十一句目。
よむ顔したる文のかけもの
恋しりの猶ものよはくとしたけて 路通
「恋しり」は色恋の道に通じているということだが、この時代だと遊郭の遊女の攻略法に通じているということだろう。年取って弱々しい。昔の文を掛け軸にしていたのか。
十二句目。
恋しりの猶ものよはくとしたけて
羽織出しては又いれて置 曲水
昔遊郭通いに着ていった羽織を懐かしそうに眺めては、また仕舞う。
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