2022年1月26日水曜日

 最悪の場合を考えてみよう。ロシアがウクライナに侵略すると同時に中国が台湾を侵略した場合、第三次世界大戦の様相を呈するのは間違いない。
 米軍の多くがウクライナと台湾の両方に割かれてしまえば、韓国が手薄になる。北朝鮮がこのチャンスを逃すかどうか。
 中国とロシアに挟まれた隠れた大国、カザフスタンが、このチャンスに周辺国へ動き出すかもしれない。
 中国とロシアに挟まれたモンゴルも、そのままでは中国とロシアの睨み合いになるところだが、何らかの密約が生じれば危ない。あともう一つ危ないのは、軍事クーデターを起こして西側を敵に回したミャンマーだ。中国はここを制すればインド洋へのルートが開かれるし、東南アジアを孤立させることができる。
 また、台湾戦が膠着すれば、中国は重要な補給基地である沖縄を攻撃してくるだろう。日本本土も無傷では済まないかもしれない。国内の十五パーセントの左翼層が無抵抗と米軍排除を唱えて実質的に中国側に回れば、大きな混乱が生じることになる。
 この戦争はアフガニスタン・イラン・シリアなどの反米諸国にも大きなチャンスがある。どさくさに紛れて動き出す可能性がある。
 核の使用はお互いにリスクが大きいので可能性としては低い。ただ、経済的損失の少ないフロンティアが戦場になった場合は起こりうる。
 ただ、第三次世界大戦に発展すると、逆に反米勢力が一気に掃討されて終わる可能性もあるので、ロシアも中国もそれを避け、一気に決着付けるよりも緊張を持続させることを選ぶだろう。北朝鮮同様の瀬戸際外交である可能性が高い。
 威嚇して西側の譲歩を引き出すのが目的なら、それに屈するべきではない。太陽政策の失敗は北朝鮮だけでいい。
 逆に北朝鮮のようなじり貧を嫌い、一気に決着をつけるなら、コロナの混乱の収まらない今が狙い目なのは確かだ。すべてはプーちんとプーさんの決断にかかっている。

 それでは「俳諧秘」の続き。

  「第十八 月花之事
 月、面の七句まで、花、裏の十三句目を定座といへり。され共、脇、第三にも花をする也。
 裏の月ははやく出した可也。月をおそく出せば、花の句につかへてわるし。また、花の句に月を結てする事有。月は四季共有。ゆへに花にひかれて春になる也。花紅葉しては雑也。」(俳諧秘)

 定座は基本的に月は初表は七句目、二表、三表、名残表は十三句目。花は初裏、二裏、三裏の十三句目と名残裏の七句目。これが共通認識として根底にあり、それに付け加える形で説明している。これは式目ではなく紹巴の時代辺りから江戸時代初期にかけて作られた慣習にすぎない。
 「月、面の七句まで」は初表の八句目に月を出すのを嫌うという意味で、定座を繰り上げる分には問題ない。歌仙の六句目の月もこれに準じれば嫌うことになる。
 蕉門では、貞享四年十一月二十八日、名古屋昌碧亭興行の「ためつけて」の巻六句目に、

   水浅く舟押ほどの秋の暮
 もう山の端に月の一ひろ      聴雪

の句があるが、これは数少ない例外と言っていい。
 「され共、脇、第三にも花をする也」というのは、脇か第三に花を出すのは問題ないということ。
 紹巴の時代でも「天正十年愛宕百韻」では、

 ときは今天が下しる五月哉     光秀
   水上まさる庭の夏山      行祐
 花落つる池の流れをせきとめて   紹巴

と、紹巴自身が夏の発句と脇に対し、第三で季移りさせて花を出している。
 ただ、天和二年春『武蔵曲』所収の「錦どる」の巻では、

 錦どる都にうらん百つつじ     麋塒
   壱 花ざくら 二番 山吹   千春
 風の愛三線の記を和らげて     卜尺

と脇で花を出している例があるが、これも例外で、蕉門では「桜」をだすことはあっても正花を脇や第三で出すことはなかった。
 月は面に定座があり、裏にもそれぞれ一句月を出すが、位置に関してはかなり柔軟に対応している。ただ、連衆が遠慮して月を出しそびれて、花の定座と重なってしまうことは度々あった。
 延宝六年秋の「のまれけり」の巻十七句目、

   鬼こらへずを生捕にして
 天も花に毒の酔狂月に影     似春

 貞享二年四月の「ほととぎす」の巻十七句目、

   一里までなき産神の森
 散はなを待せて月も山ぎはに   桂楫

 貞享四年の春の「久かたや」の巻十七句目、

   軍の加減うとき長追
 去ほどに心にそまぬ月も花も   去来

 元禄四年七月の「蠅ならぶ」の巻十七句目、

   室の八島に尋あひつつ
 陸奥は花より月のさまざまに   芭蕉

などがある。
 月と花とが両方詠まれた場合は、基本的に春の句となる。月は一年中あるからだ。
 「花紅葉」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「花紅葉」の解説」に、

 「① 春の桜の花と秋の紅葉。花や紅葉。また、広く春秋の美しい自然のながめをいう。
  ※宇津保(970‐999頃)祭の使「めづらしき花もみぢ、おもしろき枝に、ありがたき紙に書きて」
  ② 花のように色あざやかな紅葉。
  ※蜻蛉(974頃)上「車のしりのかたに、はなもみぢなどやさしたりけん」

とあるが、この①の意味で用いられる「花紅葉」は春と秋の両方ということで、雑として扱われる。

 見渡せば花も紅葉もなかりけり
     浦の苫屋の秋の夕暮
              藤原定家(新古今集)

の歌も「花」の字はあるけど秋の歌になる。
 仮に「見渡せば花も紅葉もなかるらん」という付け句があったとしたら、雑の扱いになるということだろう。

 「華の後青葉なりしが紅葉して

と云句、三季あれ共秋也。」(俳諧秘)

 この句は、

   春夏秋に風ぞ変れる
 花のあと青葉なりしが紅葉して  周阿

で、

   春夏秋に風ぞ変れる
 雪の時さていかならむ峯の松   二条良基

のバージョンもある。難題に対する答えの例とされている。周阿の句は春に花、夏に青葉、秋に紅葉と平に付けているのに対し、二条良基の句は違え付けになる。
 一条兼良は『筆のすさび』にある、

   春夏秋に風ぞ変れる
 実を結ぶ梨のかた枝の花の跡

は実った梨の枝に花の跡を見つけて季節の変化を感じるという、意味的に付いているので心付け、

   春夏秋に風ぞ変れる
 都いでていく関越えつ白河や

は能因法師の歌による本歌付けになる。
 「春夏秋に風ぞ変れる」の句は、春風が夏風になり今は秋風になったという意味なので、春夏の文字があっても実質的に秋の句になる。

 「花の句おもはしからぬ句有之。

  障子のそとへもるる人声
 集りて双六をうつ花の春
  身を粉になして棒つかふ也
 渡る世やそば切を打花の春

 加様の句、他流に多し。花の春に相応とも見へず、前句には能付、花の春、付除りたるとやいはん。
 又、華の春を言葉のたらぬ所、たしにしたる様にて聞にくし。
 花の句は、花と云字なくて聞之難きやうなるよし。
 花をやとひたるは花の本意にあらず。」(俳諧秘)

 これは「放り込み」という談林以降多く見られるもので、「花」の字を付け足して、形式的に花の句にするというやり方だ。
 蕉門でも月や露や春夏秋冬などの放り込みはしばしば見られるが、花の句の放り込みはほとんどない。
 元禄七年の夏の「秋ちかき」の巻十七句目の、

   持寄にする医者の草庵
 結かけて細縄たらぬ花の垣    木節

は、食料を持ち寄りにするくらいの流行らない医者だから、垣根を結ぶにも縄が足りない、という句だから、「花」にする必然性はそれほどない。これなどは「放り込み」と言ってもいいかもしれない。
 放り込みかどうかは、その言葉を抜いても意味が通じるかどうかでわかる。
 貞享五年秋の、

 初秋や海やら田やらみどりかな  芭蕉

の発句への重辰の脇、

   初秋は海やら田やらみどりかな
 乗行馬の口とむる月       重辰

の句の場合、海も田も緑で景色が良いので、乗っていた馬も止めてそれに見入る、という句なので「月」は添え物にしかなっていない。「みどり」がはっきり見えるのだから、まだ日の暮れていない、明るいうちの月であろう。
 「花をやとひたるは花の本意にあらず」の「やとひ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①賃金を払って人を使う。雇う。
  出典大和物語 一四八
  「人にやとはれ、使はれもせず、いとわびしかりけるままに」
  [訳] 人に雇われたり、使われたりもせず、たいそう貧しかったのにつれて。
  ②借りる。利用する。
  出典方丈記 
  「舌根(ぜつこん)をやとひて不請(ふしやう)阿弥陀仏(あみだぶつ)、両三遍申してやみぬ」
  [訳] 舌を借りて儀礼を整えず阿弥陀仏の名を二三回唱えてやめた。」

の②の方の意味であろう。
 定座の花はどこまでも主役であり、花を人数合わせのエキストラに使うではない、ということであろう。

 「月花の句、時宜ある也。三人以上の会には、発句の人は仕らず。月の句にも時宜ありといへ共、華の句、大切成ごとくにはあらず。
 十三句目、花の定座と定事、句毎に我人花の句を憚りて、十三句目迄延したるを、十四句目、下の句にせん事いかが迚、十三句目にせし事なり。其故に、独吟か其座の宗匠なれば、何方にも辞儀なしにする事なり。
 また、余人も珍重なる句は、宗匠、貴人へ理てする也。」(俳諧秘)

 「三人以上の会には、発句の人は仕らず」とは言っても、三吟、四吟、五吟などは順番に付けて行く場合はこの限りではない。出勝ちの場合であろう。
 「貞徳翁十三回忌追善俳諧」の場合は発句は蝉吟だが、二裏の花の定座の花の句を付けている。ただ、五人の連衆による百韻の四花八月の中で、わずか一句だけなのは、やはり季吟門では遠慮する所があったのだろう。
 貞享三年正月の「日の春を」の巻は十八人の連衆による百韻だが、発句を詠んだ其角は月も花も詠んでいない。ただ、貞享二年六月の小石川での「賦花何俳諧之連歌」では発句を詠んだ清風が二花一月を付けている。
 蕉門の場合、この習慣はそれほど守られているわけでもない。発句を詠むのは特別なゲストなのだから、ゲストに花を持たせるのも自然なことではなかったかと思う。
 月花の定座が式目ではないということは前に述べたことで、月花の句を皆が遠慮するようになったところから、月花の句が懐紙の最後に残ってしまいがちで、最後の句だと短句になってしまうので、最後の長句が自ずと定座に定まったと言われている。
 中世では月花の句はむしろ早い者勝ちのような所があった。好句を競うという連歌のゲーム性が薄れ、儀礼化していったことが、定座を生む原因だったと思われる。
 おざなりな連歌になれば、月花は偉い人に譲りなさいということにもなるが、好句を競うのであれば、身分や子弟、先輩後輩関係なく、好句があれば、定座に関係なく月花の句も取るということになる。
 「余人も珍重なる句は、宗匠、貴人へ理てする也」というあたり、あくまで偉い人にお伺いを立てなさい、という所で濁している。蕉門もその慣習を突き破れなかった辺りが、結局は俳諧の衰退につながったのではないかと思う。

 「月の句、月にしのべる、月に画を見るなど、不然。季を持たせんため計に、月に何する、月にかをするなど、月の縁なきは聞にくし。」(俳諧秘)

 「月にしのべる」は月明りに忍んで女の元に通う、「月に画を見る」は月明りで絵を見るということか。月が主役でなく、月を明りとする句も良くないというわけだが、実際の所月に宴というのも、月に相撲というのも月の明りを利用しているのではないか。
 貞享元年九月の「時は秋」の巻二十三句目の、

   弟にゆるす妻のさがつき
 物かげは忍び安キに月晴て    沾荷

 貞享四年冬の名古屋での「ためつけて」の巻二十九句目の、

   細きかいなの枕いたげに
 月しのぶ帋燭をけしてすべり入  荷兮

も駄目ということか。蕉門では嫌わない。

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