今朝は晴れていた。雪もすぐに解けていった。
夕飯には七草粥を食った。
オミ株は一日で1.5倍のペースで増えて行く。これだと四万人もあっという間だろうな。何が起こるのか、問題はどれだけ正確な情報が伝わるかだ。
あと、闇雲に誰が悪いと叩きまくる連中、こいつには耳を貸さないことだ。相手はウィルスだ。怒ったところでどうなるものではない。反ワク連中も無視しろ。
一口に反ワクと言っても、多分本気でデマを信じている人はごく少数で、反ワクの大多数は政府を転覆したいがために信じているふりをしているのではないかと思う。こっちの方がたちが悪いのは、手を変え品を変えやってくることだ。
2ちゃんなんかでもよくあるのは、ニュースの言葉尻を捉えるような形で、あたかもワクチン非接種者がオミ株に感染しにくいかのように印象操作するやり方だ。基本的には「ワクチン接種していても感染した」→「ワクチン接種してない人は感染していない」というものだ。
こういう連中だから、反ワクをいくら「間違っている」と非難してもびくともしない。間違っているのは先刻承知だからだ。反ワクはただワクチン接種を妨害し、コロナを蔓延させて社会を混乱させたいだけだ。そのためには、どんな嘘でも利用できるものは利用する。
それでは『阿羅野』歳旦の続き。
けさの春寂しからざる閑かな 冬松
正月はみんなも仕事を休み、穏やかだけど、大勢人が集まったりして寂しくはない。
「閑寂」という言葉はあるが「閑」はあっても「寂」はない。
あいあいに松なき門もおもしろや 柳風
江戸時代でも、どの家も一斉に門松を飾るわけでもなかったんだろう。「おもしろや」というからには、悪い理由で飾らなかったわけでもないのだろう。
貝原好古の『日本歳時記』には、
「又、むかしは、門松を貴家には立ざる事にや、藤原為尹、都の立春に題する歌に、
けさはまたみやこのてぶり引かへて
千いろのみしめしつの門松」
とある。門松を貧乏臭いと思う人もいたのか。
大服は去年の青葉の匂哉 防川
大服は大服茶のことで、コトバンクの「飲み物がわかる辞典「大服茶」の解説」に、
「関西地方などで正月に無病息災を祈って飲む、若水を用いて梅干しや結び昆布などを入れた煎茶。951(天暦5)年、空也上人が都に流行した疫病平癒のため十一面観音像を作って市内をひきまわり、病人にこの茶を飲ませたと伝えられ、この観音像を安置して開創された六波羅蜜寺では、こんにちも三が日にこの茶が振る舞われる。また、当時の村上天皇がこれにあやかって正月に服したとも伝えられ、「皇服茶」「王服茶」とも書く。◇「だいぶくちゃ」ともいう。」
とある。
梅の実の匂いが、去年の梅の実の季節、青葉の季節を思い出させる。
鶯の聲聞まいれ年おとこ 昌勝
「年おとこ」は前述の正月行事を取り仕切る役目の人で、元は家長がやっていたが、この時代は下々のものに割り当てることが多かったのだろう。
大役を仰せつかってすっかり緊張しているのか、鶯の聲を聞く余裕もないのを、家長がからかって言ったのだろう。
傘に歯朶かかりけりえ方棚 夕道
恵方棚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恵方棚」の解説」に、
「〘名〙 歳徳神(としとくじん)をまつる神棚。正月の神が恵方から来るという信仰に基づき、その年の恵方にあたる鴨居につるす。毎年作りかえるものであるが、常設のものもあり、天井からつるしてどの方角にも回るように作ったものもある。注連(しめ)、松竹を飾り、供物、灯火を供える。歳徳棚(としとくだな)。年神棚(としがみだな)。《季・新年》
※俳諧・増山の井(1663)正月「年徳のかみ え方(エハウ)棚」
とある。
恵方棚は高い所にあるので、そこに飾ったシダが唐傘に掛る。
袖すりて松の葉契る今朝の春 梅舌
「松の葉契る」は、
小塩山神のしるしを松の葉に
契りし色はかへるものかは
慈円(新古今集)
が出典であろう。松の葉に契れば色が変わらないということで、男と女がそこで契りを交わす。古典の趣向で作った話であろう。
小塩山は京都大原の西にある山で、
大原や小塩の山の小松原
はや木高かれ千代の蔭見ん
紀貫之(後撰和歌集)
などの小塩山の松が歌に詠まれている。
たてて見む霞やうつる大かがみ 野水
鏡餅とは言うけど、鏡餅は真っ白で何も映らない。いや、これは春の霞の空が映っているのだろう。
曙は春の初やだうぶくら 野水
「だうぶくら」は胴脹で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「胴脹」の解説」に、
「① (形動) 両端が狭く中央部がまるくふくれていること。また、そのさま。
② 中央部。中心。なかほど。まんなか。
※浄瑠璃・大経師昔暦(1715)上「家居も京のどうぶくら、諸役御免の門作り名高き四条烏丸」
③ 物事の主要な部分。
※雑俳・寄太鼓(1701)「爰は思案のどうぶくらなり」
④ 真最中。さなか。ただなか。
※俳諧・曠野(1689)一「曙は春の初やだうぶくら〈野水〉」
※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「悲しゅてならぬどうぶくらに、あた聞きともない」
とある。ここでは④の比喩というよりは、元の①の意味で、初日の形状が地平線付近で楕円形になることを詠んだのではないか。
はつ春のめでたき名なり堅魚魚 越人
「堅魚魚」は「かつを〱(繰り返し記号)」とルビがあるが、「かつをかつを」では字余りだし、「魚」を繰り返すということで「かつをうを」か。
塩漬けの鰹は「正月」に掛けて「しおかつお」とも呼ばれ、正月の縁起物とされている。
初夢や濱名の橋の今のさま 越人
東海道の浜名湖に架かる浜名橋は貞観四年(八六二年)に架けられたという。その後何度も掛け替えや修復が繰り返されながらも、永正七年(一五一〇年)の高波が最後になり、その後は今切の渡しとなった。
ここは初夢に掛けて、
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰に別るる横雲の空
藤原定家(新古今集)
の歌を思い浮かべ、「浮橋とだえして」を俳諧的な謎掛で「濱名の橋の今のさま」とする。
しづやしづ御階にけふの麦厚し 荷兮
「しづやしづ」は『吾妻鏡』で静御前が唄ったとされる、
しづやしづしづのおだまき繰り返し
昔を今になすよしもがな
の歌による。
正月になると万歳や獅子舞、猿引きなど角付けの芸人が回ってくる。これらも賤と呼ばれる人たちだった。猿引きは後の同和に受け継がれていく。
各家の戸を御階(みはし)に見立てて、そこで生活の糧の麦を得る。
萬歳のやどを隣に明にけり 荷兮
正月の万歳の旅芸人も大晦日はどこかに泊まっているのであろう。旅の途中で正月を迎えると、隣に万歳が泊まってたりもする。
巳のとしやむかしの春のおぼつかな 荷兮
元禄二年は巳の年。十二年前の巳年のことはと言われても、何があったかよく思い出せない。ちなみに荷兮は子年の生まれ。
「おぼつかな」は和歌でも良く用いられる言葉で、形容詞の語幹だけを用いることで強調する用法は、今日でもよく見られる。今日的に表記すると「おぼつかなっ」であろう。
我は春目かどに立るまつ毛哉 般齊
「目かど」は目尻のこと。門松に掛けて「目かど」にも「まつ毛」が立っている、とする。
我は春、というところに、春というのは門松という形ではなく、人の心に来るものだという意味を込めているのか。こういう人はわざわざ家に門松を立てないのかもしれない。「あいあいに松なき門」はこの人のことか。
我等式か宿にも来るや今朝の春 貞室
「我等式(われらしき)」は我等のような、我々風情という意味。「何のこれしき」というのと同じ用法。
春は貴賤を問わず誰の元にもやってくる。その本意を「我等式(われらしき)」という俗語を交えた所に、この貞門時代の古句の味があった。
千歳不易の春の心を以てして歳旦の締めを飾る。
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