散歩していると、鳥の声が変わったような気がする。ちょっと前はヒヨドリの声ばかりだったが、この頃はシジュウカラの声を聞くし、メジロの姿もよく見る。
オミ株の新規感染者は毎日1.5倍のペースで増えて行く。このままいくと一か月後には、コロナに罹らないのは馬鹿だけだとか言われそうだな。
まあ、冗談はこれくらいにして、コロナ前はインフルエンザによる死者が一年で一万人と言われていたし、オミ以前のコロナの死者も二年で一万八千人だから、それ以下に収まってくれればいいな。
それでは「鴨啼や」の巻の続き、挙句まで。
二十五句目。
雪あそびてん寺の入あひ
八景の月と鴈とを見尽して 去来
八景というと瀟湘八景で、日本のあちこちにある何とか八景も皆瀟湘八景に倣ったものだ。
前句の「雪」の入相は江天暮雪 、「寺の入あひ」は煙寺晩鐘。それに加えて、月は洞庭秋月、鴈は平沙落雁。
月が美しく雁の飛来する風光明媚な土地を廻り尽くした風狂人は、次は雪の日の寺に行って江天暮雪と煙寺晩鐘を楽しむ。
二十六句目。
八景の月と鴈とを見尽して
越のきぬたのいとあはれ也 去来
「越のきぬた」は何か出典があるのか、よくわからない。琵琶湖の近江八景に見飽きて北陸の旅に出たということか。
山里で聞く砧は、
みよしのの山の秋風さよふけて
ふるさと寒くころも打つなり
飛鳥井雅経(新古今集)
の歌の心になる。
二十七句目。
越のきぬたのいとあはれ也
狩倉にもよほされたる秋の空 去来
狩倉はウィキペディアに、
「元は荘園の在地領主が荘園内や公領の一部であった山野を占拠して狩猟・騎射の場としたことに由来している。在地領主が武士として台頭するとともに狩猟や騎射が軍事訓練の一環として行われるようになり、一般の立入を規制して広大な狩倉を持つようになった。また、狩倉とされた山野から排除された狩猟民を自己の家臣に取り立てて軍事力を強化する者もいた。14世紀に入ると社会の変動に伴って、狩倉であった山野が売買や譲渡の対象とされたり、領主である武士の没落に乗じて周辺の農民の開墾地になるなど衰退していったが、近世の幕藩体制の下で将軍や大名の狩猟場として再び置かれるようになり、狩場・狩庭・鹿倉山(かくらやま)などとも呼ばれた。」
とある。
秋の小鷹狩に転じる。狩倉の外からは里人の砧を打つ音が聞こえてくる。
二十八句目。
狩倉にもよほされたる秋の空
贈りものには酒ぞたうとき 去来
小鷹狩の後の打ち上げは、やはり酒盛りか。
二十九句目。
贈りものには酒ぞたうとき
今こんと云しばかりに床とりて 嵐雪
「今こんと」と言えば、
今来むといひしばかりに長月の
有明の月を待ち出でつるかな
素性法師(古今集)
の歌だが、ここでは友が酒を持って訪ねて来るのを待つだけ。
三十句目。
今こんと云しばかりに床とりて
火燵を蹴出す思ひあまりか 其角
「思ひあまり」は恋しさにどうして良いのかわからない状態で、なかなか来ない相手に火燵を蹴り出す。
二裏、三十一句目。
火燵を蹴出す思ひあまりか
手形かく恋の隈リと成にけり 其角
手形は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手形」の解説」に、
「① 手の形。てのひらに墨などを塗って押しつけた形。手を押しつけてついた形。
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「背中に鍋炭(なべすみ)の手形(テガタ)あるべしと、かたをぬがして、せんさくするにあらはれて」
② 手で書いたもの。手跡。筆跡。書。
※譬喩尽(1786)五「手形(テガタ)は残れど足形は不レ残(のこらず)」
③ 昔、文書に押して、後日の証とした手の形。
※浄瑠璃・日本振袖始(1718)一「繙(ひぼとく)印の一巻〈略〉くりひろげてぞ叡覧有、異類異形の鬼神の手形、鳥の足、蛇の爪」
④ 印判を押した証書や契約書などの類。金銭の借用・受取などの証文や身請・年季などの契約書。切符。手形証文。また、それらに押す印判。
※虎明本狂言・盗人蜘蛛(室町末‐近世初)「手形をたもるのみならず、酒までのませ給ひけり」
※読本・昔話稲妻表紙(1806)三「母さまの手形(テガタ)をすゑて証書を渡し、百両の金をうけとり」
⑤ 一定の金額を一定の時期に一定の場所で支払うことを記載した有価証券。支払いを第三者に委託する為替手形と、振出人みずからが支払いを約束する約束手形とがある。もとは小切手をも含めていった。
※経済小学(1867)上「悉尼(シドニー)より来れる千金の手形倫敦にて千金に通用し」
⑥ 江戸時代、庶民の他国往来に際して、支配役人が旅行目的や姓名、住所、宗門などを記して交付した旅行許可証と身分証明書を兼ねたもの。往来手形。関所札。
※御触書寛保集成‐二・元和二年(1616)八月「一、女人手負其外不審成もの、いつれの舟場にても留置、〈略〉但酒井備後守手形於在之は、無異儀可通事」
⑦ 信用の根拠となるもの。身の保証となるもの。また、信用、保証。
※歌舞伎・心謎解色糸(1810)三幕「あの東林めが、お娘を殺さぬ受合ひの手形」
⑧ 首尾。都合。具合。また、人と会う機会。
※随筆・独寝(1724頃)下「源氏がなさけは深しといふ人もあれども、しれにくき事の手がたあらんもの也」
⑨ 表向きの理由。口実。だし。
※洒落本・睟のすじ書(1794)壱貫目つかひ「おおくは忍びて青楼(ちゃや)へゆく。名代(テガタ)は講参会の外、おもてむきでゆく事かなわず」
⑩ 牛車の箱の前方の榜立(ほうだて)中央にある山形の刳(えぐ)り目。つかまるときの手がかりとするためという。
※平家(13C前)八「木曾手がたにむずととりつゐて」
⑪ 武家の鞍の前輪の左右に入れた刳(く)りこみのところ。馬に乗るときの手がかりとするもの。
※平治(1220頃か)中「悪源太〈略〉手がたを付けてのれやとの給ひければ、打ち物ぬいてつぶつぶと手形を切りてぞ乗ったりける。鞍に手がたをつくる事、此の時よりぞはじまれる」
⑫ 釜などに付いている取っ手。〔日葡辞書(1603‐04)〕
[補注]④は「随・貞丈雑記‐九」に「証文の事を手形とも云事、証文は必印をおす物也。上古印といふ物なかりし時は、手に墨を付ておしてしるしとしたると也」と見え、手印を押したところから「手形」といわれるようになったという。」
とある。確約のない、保証のない、という意味であろう。
「隈リ」は「くもり」か。暗雲垂れ込める恋に火燵を蹴り出す。
三十二句目。
手形かく恋の隈リと成にけり
にくまれつつも宮仕へする 去来
『源氏物語』の朧月だろうか。
三十三句目。
にくまれつつも宮仕へする
顔なをし賑はふ方のめでたきに 去来
恋の争いに負けても同じ職場で、愛しい人の外の女との祝言の宴席も断れなかったのであろう。時折席をはずしてはひそかに涙を流し、化粧をし直して戻ってくる。
「身をば思はず」というところか。
三十四句目。
顔なをし賑はふ方のめでたきに
長をくらべてむすぶ水引 嵐雪
お目出度の席で偉い人が集まっても、その力を見極めながら、結ぶ水引にも差をつける。
三十五句目。
長をくらべてむすぶ水引
花のもとに各当座つかまつり 其角
花の本の連歌の席であろう。長点の数を競って、優勝者には水引を結んだ景品が授与される。
挙句。
花のもとに各当座つかまつり
柳にうかむ絃管の舟 嵐雪
雅な花の宴には、川に管弦の舟を浮かべる。『源氏物語』の紅葉賀を春に移したような景色と言えよう。
「れいの、がくのふねどもこぎめぐりて、もろこし、こまと、つくしたる舞(まひ)ども、くさおほかり。
楽の声、鼓の音、世を響かす。」
(例によって、船首を龍などで飾った二艘の船の上にステージを組んだ楽団の乗る双胴船が漕ぎ廻り、唐楽、高麗楽などありとあらゆる舞が舞われ、その種類も豊富でした。
管弦の声、鼓の音、辺り一帯に響き渡ります。)
そして、源氏の君と頭の中将の青海波の舞が始まるのだろうか、というところで一巻は目出度く終了する。
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