月夜涙さんの『回復術士のやり直し』の二巻に、ケヤルが楽しいから敵(かたき)を討つんだというようなことを言う場面があった。
「楽しくて気持ちいい。それ以上は何も望まない。」
「ひとによっては楽しくもないのに、そうしないといけない強迫観念に突き動かされる。そういう連中は不幸だ。復讐を楽しむのではなく復讐にとらわれている。」
曾我兄弟もそうだったのだろうか、と思いを馳せる。
兄弟は家督を争うライバルで、しばしば殺し合いにもなるような時代に、まだライバルとして意識することもない無邪気な年齢で父親が殺され、一緒に仇を討とうということで意気投合し、この上もない仲のいい兄弟になって行った。
兄が所領を得て、弟が僧にさせられるのも、普通なら恨みを残し、ぎくしゃくした関係になりかねないところだが、仇討という共通の目標があったから最後まで仲良くいられた。
あの兄弟も自分の幸せのために仇討を行ったのかもしれない。
そう考えると忠臣蔵も、今まで同じ藩の仲間だったのが、お取り潰しで散り散りバラバラになる運命だった。だが、仇討という共通の目標があった。今までどうりの仲間たちとの幸せな日々が、この目標のために続けることができた。
案外、仇討の真実というのはそういうことだったのかもしれない。
敵討ちの物語がみんな好きなのも、仇討が快楽だという所で同意できるからなんだと思う。
まあ、世界中から可哀想な人たちのことを拾い上げて戦っている人たちも、少なからずこの快楽のとりこになっているのかもしれない。BLMデモの白人も、「義によって助太刀いたす」ってところなのかな。
仇討は快楽だが、その一方で報復の連鎖を生む。それを消して行くのは、時間はかかるが忘却だ。日本人はそれを知っている。
そういえば小林湖底さんの『ひきこまり吸血姫の悶々』七巻も報復が一つのテーマになっていたな。
それでは「俳諧秘」の続き。
「第十五 四句目之事
脇の句のおもふりとは、一くらゐ替りて、いかにもかろく仕立たるよし。其故に、てにをは、たる、なり、めり、など、留る由、紹巴の口伝には侍れ共、又、文字にて路、雪、歌などと留りたるもあるなり。
連歌には面連歌とて、かるきを専にし侍れ共、俳諧にはかろきばかりにて、なまつきなるはおもしろげなき也。能心得べき。」(俳諧秘)
紹巴の『連歌教訓』に、
「四句目をば脇の句より引さげ、やすやすと付候を四句目振といふ也、留りをば、なりか、けりかにて留る也、」
とある。後に「けり」のような強い断定は好まれなくなったか。発句でもあまり用いられない。
面連歌は面八句のことか。『連歌教訓』に、
「惣じて面八句、十句の内は各心得候間、許しなき者也、四句目をば脇の句より引さげ、やすやすと付候を四句目振といふ也、留りをば、なりか、けりかにて留る也、五句目をば第三の句を形どり長高く、覧どまりか、けらしなどにて留めらるべし、六句目は脇の様に打添ひてやり候なり、七句目、五句目より句柄をやすやすと(風景)風情ばかりにて可有也、八句目は詞つまりぬる故に、唯何となくかろがろと其体をもてやり候を、八句目振といふ也、九句目は殊つまり行ものにて、前句のてにをはに、そとあたりて可有、さりながら紙移りの事にて候間、たけを引立られ候やうに心得有べし。」
とある。また、紹巴の『至寶抄』には、
「面八句の内十句までも不仕事、神祇、釈教、恋、無常又は名所、其外さし出たる言葉など不仕候、」
とある。
実際に紹巴同席の「天正十年愛宕百韻賦何人連歌」を見てみようか。
初表
ときは今天が下しる五月哉 光秀
水上まさる庭の夏山 行祐
花落つる池の流れをせきとめて 紹巴
風に霞を吹き送るくれ 宥源
春も猶鐘のひびきや冴えぬらん 昌叱
かたしく袖は有明の霜 心前
うらがれになりぬる草の枕して 兼如
聞きなれにたる野辺の松虫 行澄
初裏
秋は只涼しき方に行きかへり 行祐
尾上の朝け夕ぐれの空 光秀
四句目の、
花落つる池の流れをせきとめて
風に霞を吹き送るくれ 宥源
は、「なり」「けり」ではなく文字留(体言留め)になっている。内容的には落花に風と打ち添えて、「風に霞みを吹く送る」という言い回しに一工夫ある。
五句目。
風に霞を吹き送るくれ
春も猶鐘のひびきや冴えぬらん 昌叱
「らん」留は定石通りで、「猶‥ひびきや冴えぬ」に力強さが感じられる。時刻を告げる鐘は釈教にはならない。
六句目。
春も猶鐘のひびきや冴えぬらん
かたしく袖は有明の霜 心前
前句の鐘を夜明けの鐘として、有明を打ち添える。「かたしく袖」に寝ざめの生活感を与える。
七句目。
かたしく袖は有明の霜
うらがれになりぬる草の枕して 兼如
かたしく袖の霜を草枕とし、草の末枯れを添える。第三や五句目のような丈高さはなく、「やすやすと」付けている。
「草枕」は羇旅になるが、十句目までは神祇、釈教、恋、無常、名所を嫌うだけで、羇旅は問題ない。
八句目。
うらがれになりぬる草の枕して
聞きなれにたる野辺の松虫 行澄
末枯れの草に松虫、草枕の旅に聞きなれたる、と付く。これも特にかろがろと付けている。
九句目。
聞きなれにたる野辺の松虫
秋は只涼しき方に行きかへり 行祐
「前句のてにをはに、そとあたりて」とあるが、ここでは「そ(ぞ)」ではなく「は」を当てている。
「は」は切れ字の「や」に近く、係助詞同様に「は」以下の文を強調し、秋が涼しき方に行きかえったので、松虫の聞き慣れると原因結果で繋がる。この句は「秋ぞ只」としても通じる。
強調する言葉が入ることで、丈が引き上がる。
以上、概ね紹巴先生の教えの通りの展開と言えよう。
ただ、季吟もことわっているように、「俳諧にはかろきばかりにて、なまつきなるはおもしろげなき也」ということで、俳諧は神祇、釈教、恋、無常、名所などを避けつつも、一句一句に面白い笑いを展開しなければならない。
季吟門の作風ということで、宗房(芭蕉)同座の「貞徳翁十三回忌追善俳諧」を見てみよう。
初表
野は雪にかるれどかれぬ紫苑哉 蝉吟
鷹の餌ごひに音おばなき跡 季吟
飼狗のごとく手馴し年を経て 正好
兀たはりこも捨ぬわらはべ 一笑
けうあるともてはやしけり雛迄 一以
月のくれまで汲むももの酒 宗房
長閑なる仙の遊にしくはあらじ 執筆
景よき方にのぶる絵むしろ 蝉吟
初裏
道すじを登りて峰にさか向 一笑
案内しりつつ責る山城 正好
四句目。
飼狗のごとく手馴し年を経て
兀たはりこも捨ぬわらはべ 一笑
前句の「飼狗(かひいぬ)」を張り子の犬と取り成して、禿げてボロボロになった張り子を捨てられないでいる子供へと展開する。
一句としてもあるあるネタとして成立していて、独立性も高く、笑いもある。
これも文字留(体言留め)になる。
五句目。
兀たはりこも捨ぬわらはべ
けうあるともてはやしけり雛迄 一以
前句を雛人形とともに飾る張り子として、ひな祭りの日まで捨てずにもてはやす。「らん」留にこだわってはいない。「もてはやしけり」と強く断定することで、丈高く作っている。
六句目。
けうあるともてはやしけり雛迄
月のくれまで汲むももの酒 宗房
これは芭蕉の句だが、前句の「雛」に「ももの酒」を打ち添えている。春の句になったところでためらわずに定座を引き上げて月を出すところは堂々としている。ただ、「まで」を重ねてしまったところは若さか。式目上の問題はない。
七句目。
月のくれまで汲むももの酒
長閑なる仙の遊にしくはあらじ 執筆
「ももの酒」が不老不死の桃から作られた仙薬に見立てられていたので、ここは仙人を登場させる。
八句目。
長閑なる仙の遊にしくはあらじ
景よき方にのぶる絵むしろ 蝉吟
「絵むしろ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「絵筵」の解説」に、
「〘名〙 種々の色に染めた藺(い)で、花模様などを織り出したむしろ。花むしろ。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」
とある。前句の「しく」を「敷く」との掛詞として、「絵むしろ」を敷く、とする。「かけてには」になる。
九句目。
景よき方にのぶる絵むしろ
道すじを登りて峰にさか向 一笑
「さか向(むかへ)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、
「平安時代,現地に赴任した国司を現地官が国堺まで出迎えて行った対面儀礼。《将門(しょうもん)記》に常陸(ひたち)国の藤氏が平将門(まさかど)を坂迎えして大饗したとみえる。新しい支配者を出迎えてもてなした行為に由来し,堺迎・坂向とも書く。また中世伊勢参詣などからの帰郷者を村堺まで出迎えて共同飲食した行為を,坂迎えといい,酒迎とも記した。」
とある。前句の絵むしろを国境の対面儀礼のためのものとする。
ここまで、連歌の面十句の穏やかな雰囲気を踏襲しつつも、一句一句の展開に俳諧ならではの面白みを出そうとしているのが分かる。これは蕉門の、貞享三丙寅年正月の「日の春に」の巻でも変わってないように思える。
初表
日の春をさすがに鶴の歩ミ哉 其角
砌に高き去年の桐の実 文鱗
雪村が柳見にゆく棹さして 枳風
酒の幌に入あひの月 コ斎
秋の山手束の弓の鳥売ん 芳重
炭竃こねて冬のこしらへ 杉風
里々の麦ほのかなるむら緑 仙花
我のる駒に雨おほひせよ 李下
初裏
朝まだき三嶋を拝む道なれば 挙白
念仏にくるふ僧いづくより 朱絃
九句目に「三嶋を拝む」と神祇があり、十句目が「念仏にくるふ」と釈教があるように、神祇、釈教、恋、無常、名所などの制は面八句にまで短縮されている。
「第十六 五句目之事
是は、たけ高く、第三のおもかげに仕立たる能也。すべて上句、てどめ、らん留の句は、第三つかうまつる心にて仕立たるよし。」(俳諧秘)
これは、
「五句目をば第三の句を形どり長高く」(紹巴『連歌教訓』)
を引き付いてはいるけど、てにはに関しては「覧どまりか、けらしなどにて留めらるべし、」(紹巴『連歌教訓』)は取らずに、一般論として「て」留「らん」留の句は第三と同じように仕立てるとしている。
「第十七 面八句之事 九句目
八句之事は大方の法度、貞徳の十首の歌をもつて、類せし給ふべし。歌略之。」(俳諧秘)
俳諧式目歌十首というのがあるらしいが、ネット上では見つからなかった。
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