今朝のニュースでトンガの津波が15メートル何てあったが、どこから出てきた数字なのか。昨日の航空写真を見ても、灰に埋もれてはいても建物や木などが流されたふうではない。当初言っていた1~2メートルが妥当な感じがする。英語版のウィキペディアには、
As a result of the eruption, a 1.2 m (3 ft 11 in) tsunami, struck the Tongan capital Nukuʻalofa. Tide gauges in the city recorded waves 1.5–2 m (4 ft 11 in–6 ft 7 in) in height.
とある。
ソースはどうやら駐日トンガ王国大使館のfacebookだったようだ。そこには、
generating tsunami waves rising up to 15 metres, hitting the west coasts of Tongatapu Islands 'Eua, and Ha'apai Islamds.
とあった。
トンガタプ島は首都のある一番大きな島で、エウア島はその少し南東にある島、ハアパイ諸島は火山を挟んで反対側の北東の方にあり、リフカ島、フォア島、ハアアノ島、ウイハ島などがある。これらがトンガの主要な島になるため、これはほぼ全土にと言っていいだろう。
「未だトンガとの通信が困難なため、在トンガオーストラリア高等弁務官事務所のご協力によりトンガからこの情報を伝達いただきました。」とあるところから、この情報は在トンガオーストラリア高等弁務官事務所から何らかの形で伝わったものと思われる。
問題はこの津波の高さに関する情報が正確なものかどうかだ。十五メートルの津波の破壊力は、東日本大震災を経験した日本人なら誰もが知っている。あの時の東北の惨状と比べて、昨日公開された航空写真に違和感を感じるのは筆者だけだろうか。希望的には1.5 metresの間違いであって欲しい。
まあ、でも15メートルって宣伝しておいた方が募金集まるかな。
話は変わるが、そういえば「男は敷居を跨げば七人の敵あり」なんて諺があったななんてふと思って。「敷居を跨げば」だから女房子供や同居親族のことではない。一歩外に出れば、という意味。
基本的には昔の男社会にあって、男の敵は男しかいなかったのだろう。みんなライバル。生存競争でも恋でも。
女だって、女同士はライバルで、家の中では嫁舅、恋をすれば友情より愛情。男と女は愛し合うものだから、結局男の敵は男、女の敵は女というのは自然な結論になる。
人間の敵はというと、やはり人間が一番怖い。野生動物で死ぬ人なんてそんなにいないが、戦争では大勢の人が死んでいる。
Dアニメにマイメロディのアニメ「おねがいマイメロディ」があったので見てみたが、そのうちこういうのもダメということになるのかな。一つわかったのはマイメロディは異世界から来たということだ。
それでは「俳諧秘」の続き。
「第六 きき発句之事 色々有之。略之。」(俳諧秘)
「きき発句」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「聞句」の解説」に、
「〘名〙 謎のような句で、意味が容易に解けない俳句。句の言いまわしの技巧や切れるところによって解釈の変わるような俳句をいう。聞発句(ききほっく)。
※俳諧・去来抄(1702‐04)同門評「むかし、聞句といふ物あり。それは句の切様、或はてにはのあやを以て聞ゆる句也」
とある。
『去来抄』「同門評」の用例は、
「まんぢうで人を尋ねよ山ざくら 其角
許六曰、是ハなぞといふ句也。去来曰、是ハなぞにもせよ、謂不応と云句也。たとへバ灯燈で人を尋よといへるハ直に灯燈もてたづねよ也。是ハ饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよと謂へる事を、我一人合点したる句也。むかし聞句といふ物あり。それハ句の切様、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句也。此句ハ其類にもあらず。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,41~42)
とある。具体例はない。
其角の「饅頭で」の句は元禄九年刊の李由・許六編『韻塞』にも収録されているが、元禄十年の桃隣編『陸奥衛』の巻に「むつちどり」には、
「遙に旅立と聞て、武陵の宗匠残りなく餞別の句を贈り侍られければ、
道祖神も感通ありけむ。道路難なく家に帰り、再会の席に及び、此道
の本意を悦の餘り、をのをの堅固なる像を一列に書て、一集を彩ものなり。
子の彌生 日」
と前書きし、調和、立志以下二十人、一人一ページ座像入りで一句ずつ掲載している。ただ、ここには故人である芭蕉も含まれているため、全部がこの時の餞別の句ではない。
確かにそこには、
餞別
饅頭て
人を尋よ
やまさ
くら 其角
と記されている。
そして巻五の「舞都遲登理」の桃隣の紀行文の序文の最後に、
首途
何國まで華に呼出す昼狐 桃隣
の句がある。これはおそらく、「饅頭へ」の句への返しのようにも見える。饅頭を持って行って人を尋ねてこい。それにたいして「どこまで行かせる気だよ」と返すやり取りは面白い。昼狐は其角のことだろう。
饅頭の句の最初に作られた時の意図とちがっていたにしても、集を盛り上げるために転用した可能性はある。
許六はこれをあざ笑うかのように、
「此人にハいろいろおかしき咄多し。ミちのくの旅せんといひしハ春の比也。其春晋子が句に、
饅頭で人を尋ねよ山ざくら
と云句せしに、此坊ミちのくの餞別と意得て、松島の方へ趣たるもおかし。戻りて後の今日ハ、餞別にてなきとしりたるや、かれにききたし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.203~205)
と記しているが、『去来抄』を読む限りでは許六は「是ハなぞといふ句也」というだけで、正解を知っているわけではない。
饅頭の句は、酒の苦手な芭蕉さんの足跡を訪ねて陸奥へ行くなら饅頭を持って行くと良い、という句とみなして良いと思う。
これは聞句ではない。ということで、聞句の具体的なことは、とりあえず今はわからない。季吟も語らない。
「第七 詞をのこす発句
千代も経ん丁固が夢を春の門
是丁固が古事也。千代もへんといひ、春の門といへるにて、松といふ事をいはずして、言外にあらはしたり。」(俳諧秘)
「丁固が夢」はウィキペディアにある、
「宝鼎3年(268年)2月、司徒に昇進した。以前丁固が尚書であった際、松の木が腹の上に生えるのを夢に見て、ある人に「松の字は十・八・公からなる。十八年後、私は三公になっているであろう」と言っており、結局夢のとおりになった。」
のことであろう。
丁固が夢の時代から既に千年以上が経過した今も、やはり出世の夢を見せてくれるのか、正月の門松は、という句になる。「春の門」には門松の「松」が省略されている。
「星祭る香の煙や蚤のいき 季吟
是は、蚤のいき天へ上るといへる世話也。」(俳諧秘)
「蚤のいき天へ上る」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蚤の息さえ天に上る」の解説」に、
「力の弱い者でも、一心になって行なえば何事でもなし遂げることができるというたとえ。蟻の思いも天に届く。農民の息が天に上る。蚤の息が天。
※名語記(1275)一〇「のみのいき天へのぼるといへる対記あり、蚤の息のそらへのぼれる証拠ある歟」」
とある。
百姓の思いも天に届くように、先祖を祀る香の煙も天に届いてくれ、という句か。
「彼在原の中将、我身ひとつはもとの身にして、と云はなちて、二条の后はましまさぬとい事を言外にもたせたると、事こそかはれ大方心通ひ侍る也。此体初心ならぬ体也。」(俳諧秘)
「我身ひとつはもとの身にして」は在原業平の有名な、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
在原業平(古今集)
の歌で、『伊勢物語』では、東の五条に大后の宮の西の対に住む人の所に通っていたが、やがていなくなってしまっい、次の年に尋ねて行った所、正月の梅の花盛りだが、去年とはうって変わった荒れた空き家のあばらなる板敷に月も傾き、去年を思ひ出して詠んだ、とある。
「我身ひとつはもとの身にして」の後には「二条(五条の間違い?)の后はましまさぬ」が省略されている。
上句は「月はないのだろうか、昔と同じように輝いている、春は昔の春ではないのか、いや、昔のように梅の花が咲いている。」となる。
「又、賓主差別の事、仮令ば松の雪といふ時は松は主也。雪は賓也、客也。又、宿の秋、秋の宿など云心持也。他准之。」(俳諧秘)
賓主差別は、この例によれば、松の雪は松が主人で、その松の所にお客さんとして雪が来ている、というもので、「宿の秋」は宿が主で秋が賓なら、宿に秋が来ている、「秋の宿」なら秋が主で秋の景色の中に宿がある、ということになる。
これでいうと、「秋の暮」は秋が主で暮(終わり、あるいは夕暮れ)となり、「暮の秋」は季節の終わりが主で秋が客になる。
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