2022年1月27日木曜日

 『曽我物語』の仇討とその事後処理の場面まで読んだ。今日の我々とは違うのは、不平等を前提としたルールが存在することだ。
 不平等は常に恨みを生む。前に比喩で言ったような、定員の限られた船に全員が乗れないという社会では、誰が乗るべきか、乗れなかった者はどう振舞うべきか、厳密なルールがなくてはならない。そうしないとわれ先に乗ろうとして殺し合いになる。
 多分、一番重要なのは、船に乗れた側のものに、乗れなかった者の無念の分を相殺できるほどの責務を負わせる、ということではなかったかと思う。
 そのルールが一度ほつれると、恨みの連鎖が生まれる。恨みの連鎖を残さないための暗黙のルールがそこにあった。ひとたび仇討が起きてしまったとき、それが新たな仇討を生まないように、その連鎖を断っていくにはどうすればいいか。そこに昔の人が知恵を絞ったのは確かだ。
 その思考の跡を今の我々が再現するのはかなり難しい。当時の人なら誰でも知っていた基礎設定が今では忘れられてしまっている。でもその基礎設定が分かった時、多分本当に『曽我物語』を読んだと言えるんだろう。
 「驕る平家は久しからず」というのは、本来は平治の乱で源義朝を倒した時、その恨みを断ち切るべく頼朝も処分するとともに、その罪を背負って自制しながら政務に当る、というのが筋だったのだろう。敵を殺すことで、自分も殺す。そこでバランスが取れていた。
 それを敵を生かすことで、その罪を背負わずにすまそうとした。それが「驕り」だったのではないか。
 おそらく、殺した敵の人生を自分が背負って生きることが、日本の武士道の根底にあったのだろう。それがいつでもまた自分が死ぬ覚悟に繋がる。
 曾我兄弟がなぜ本懐を遂げた後、関係ないそこにいた武士たちと無双をやったのか。多分その答えもそこにあると思う。「俺たちは死ぬ覚悟でここに来た、おまらにその覚悟があるのか!」
 前近代社会では、世界中にたくさんの異なるルールが存在していた。それは近代と違い、不平等を前提として、それぞれに民族が知恵を絞った結果だった。
 平等を前提とするルールに慣れている我々には、それがともすると野蛮なものに映るかもしれない。だがそれは間違っている。
 近代化を達成した国でも、フロンティアの国々でも、その根底にある文化はかつての不平等時代に悪戦苦闘した結果生み出されたもので、それに敬意を払わないなら、今のこの世界の問題を解決することはできない。
 「一家心中」というのは、おそらく古い時代の習慣の名残で、親がルールに従って死ななくてはならなかった場合、子供にそのルールを無視して仇討をさせないため、親自らが子供を殺して恨みの連鎖を断ち切る、という所から来たのではないかと思った。
 現代の一家心中の多くは借金によるものだが、一家心中を防ぐには子供の権利を説くよりも、債務者の権利を説く方が効果的なのではないかと思う。
 一家心中をするのは、借金をした自分が全面的に悪いという罪悪感によるものだからだ。子供の権利だけ説いて、親は勝手に死ねというのは、人権を理解している人間の論理ではない。

 それでは「俳諧秘」の続き。

  「第十九 呼出し花引上華の事
 呼出しの花、大方はせぬ事也。裏の六句目より後に春の句出せば、花呼出しになる。其ゆへ、裏の六句目以来、春をせぬ也。春は三句せずば、かなはぬ事也。六、七、八句と来て、九句目より十二句目迄四句なれば、定座の花の句、五句去りに一句近き故也。
 され共、貴人、高家、六句目以後に春をせられし時、悪きと云がたし。」(俳諧秘)

 裏十四句の十三句目が花の定座なので、春の句になる。春と春は連歌式目では五句去りなので、十三句目に春を出すには、十二、十一、十、九、八、と最低五句隔てなくてはならない。
 七句目に春の句があるということは、春の句は三句続けなくてはならないので、五句目、六句目、七句目と三句並ぶことになる。
 五句目に春を出しても、五、六、七と春の句を続け、八、九、十、十一、十二と五句隔てて、十三句目の定座には春を出せることになる。
 それゆえ、懐紙の裏に入った時は五句目までは春の句を出せる。六句目以降だと十三句目に花を出せなくなる。
 「花呼出し」という言葉は、ここでは花の付けやすいような句を出してやるという意味ではなく、六句目以降に春を出すと、強制的に次の長句で花を出さざるを得なくなる、ということを言う。
 「呼出しの花、大方はせぬ事」は、裏の懐紙の六句目になったら春の句を付けるな、という意味になる。
 ただ、貴人、高家などの上客を接待するときの連歌会なら、咎めるようなことはしない方が良い。「悪きと云がたし」というのは、「そりゃ言えないよな」というような含みがある。
 六句目以降に春の句が出た時には、基本的には定座を繰り上げて次の長句で花を出す。もっとも花を短句にした所で、式目に反することはない。
 もう一つの解決法は、春を花なしで終わらせて、十三句目に春にはならないが正花として扱われる言葉を出す。貞徳の『俳諧御傘』には、

 餅花 正花也、冬也・植物に二句也。
 花よめ・花婿 恋也、雑也、正花を持也。人倫也。植物に非ず、春に非ず。
 花かいらき 正花を持也。春にはあらず、植物にあらず。
 花うつぼ 雑也。正花にもする也。うへものにあらず。
 ともしびの花 正花を持也。春にあらず、植物にあらず、夜分也。
 花火 正花を持也。春に非ず、秋の由也。夜分也。植物にきらはず。
 花がつを 正花を持也。春にあらず。生類にあらず。うへものに嫌べからず。
 作り花 正花也。雑也。植物に二句去べし。
 花ぬり 漆の事也。雑也。正花をば持也。植物にあらず。
 花がた 小鼓にあり。正花にはなれども季はもたず、植物にならず。

などがある。
 餅花は餅搗き同様、歳暮扱いになる。『阿羅野』にも、

 もち花の後はすすけてちりぬべし 野水

の句が歳暮の所にある。
 花火は昔はお盆のものだったので秋になる。今でも八月にするところが多い。新暦の感覚だと、一般的に学校の夏休みが終わるまでは夏というイメージがある。
 蕉門ではこうした春でない正花は用いられていない。定座の繰り上げは時折見られる。

 「雑の花、他の季の花とは余花、花聟の類、また、花の後の青葉なりしが紅葉して、と云句の類也。春にてもなき花の句をする事なり。」(俳諧秘)

 季吟門では「雑の花、他の季の花」も用いられる。
 本来連歌式目では「花」は一座三句で、「にせものの花」を加えて四句だった。そのために百韻一巻の中の一句は桜の花ではなく、比喩としての花を用いなくてはならなかった。「雑の花、他の季の花」もその名残といえよう。

 「裏にても、五句目本のママニは春も仕候。花の句と五句隔有故也。
 いづくにても春一句来るには、花の句を付、二句、三句来て後は、花の匂せぬと云、田舎説也。不可信用。
 九句目より後、高き植物せず、十句目より後は低き植物もせぬ事也。」(俳諧秘)

 これも前に述べたように、五句目より前なら三句続けた後五句去りで十三句目に花を出せるのでOKということになる。
 「花の句を付云々」は、花の句を三句続く春の一句目に出さなくてはいけないという田舎説(ローカルルール)がある、ということだろう。従う必要はない。春は五句まで続けることができる。長句に出すのが普通だが、稀に短句になる例もある。句が良ければ問題ない。
 「高き植物」は木類のことで「低き植物」は草類の事と思われる。厳密に言えば、藤など木部を持つ蔓性植物も草類として扱うため、「高き植物」「低き植物」の言い方の方があっているのかもしれない。
 竹は木類でも草類でもないが、俳諧では高いか低いかで分類されたのかもしれない。詳しいことはわからない。
 俳諧では木と木は三句去り、木と草は二句去りになる。そのため、九句目に木類を出すと、十、十一、十二と三句去ってぎりぎりで木類の「花」を出せるが、十句目以降だと出せなくなる。草と木は二句去りなので、十句目で出しても十一、十二と二句去って十三句目で「花」を出せる。
 但し、植物を二句続けるのは構わないので、十二句目に植物を出すのは問題ない。
 これらは基本的に百韻五十韻、世吉など、懐紙の表裏に十四句連ねる場合の句数で、十二句の歌仙の場合は十一句目が定座になるので、二句前倒しすることになる。

 「二句去り、雰はふり物、聳物両方に嫌也。器物、同じき様成物は三句はつづかず、此去り嫌、宗匠の次第にすべきなり。」(俳諧秘)

 「雰」の訓読みは「きり」だが、霧は聳物(そびきもの)で『応安新式』には「可嫌打越物」の所に「霧にふりもの」とあるから、二句去る必要はない。
 器物は植物、降物、聳物、光物、衣裳、獣類、鳥類、虫類などの類か。二句続けるのは構わないが、三句続けることはできない。ただし『応安新式』では「山類、水辺、居所」は三句続けることができる。詳しいことは宗匠に聞くように、とのこと。

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