2022年1月9日日曜日

 ヨーロッパじゃ反ワクデモが盛り上がっているようだが、これも日本と一緒で、コロナにかこつけた単なる反政府デモと見た方が良いのかな。パリじゃ年中行事だ。
 芭蕉のまだ伊賀にいた頃の句で、

   二十九日立春なれば
 春やこし年や行きけん小晦日   宗房

の句が、二十九日が立春になるのは寛文二年だということで、これまで寛文二年に扱われてきた。
 一応確認しようと思って、こよみのページ(http://koyomi.vis.ne.jp/)というサイトで調べたが、寛文二年の旧暦十二月二十九日は新暦一六六三年の二月七日で、立春はその三日前だった。
 えっ、と思ってその前後の年を調べてみたら、寛文五年旧暦十二月二十九日が新暦一六六六年の二月三日で立春になっていた。
 立春の日付は太陽暦でもその年によって前後するが、mk-mode Siteの「カレンダー - 二十四節気一覧(年別)」(https://www.mk-mode.com/rails/calendar/sekki24)によると、一六六六年は二月三日だった。
 だとすると、これは寛文五年の暮の句で、寛文五年刊重頼編『佐夜中山集』に入集した、

 姥桜さくや老後の思ひ出     宗房
 月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿  同

の方が先ということにならないだろうか。

 それでは「あはれしれ」の巻の続き。

 十三句目。

   羽織出しては又いれて置
 大橋をこさぬ中なれやかた船   其角

 大橋は両国橋のことで、日本橋から屋形船で隅田川に出て遊ぶわけだが、両国橋を越さないというのは吉原までは行かないという意味だろう。前句の吉原通いを引退した老人の遊びとする。
 十四句目。

   大橋をこさぬ中なれやかた船
 茶でもとまらずのどかはく月   里東

 酒を飲み過ぎると喉が渇くもので、船の上では水をがぶ飲みするわけにもいかない。
 十五句目。

   茶でもとまらずのどかはく月
 ながき夜にをりはうつ客取込て  芹花

 「をりは」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折羽」の解説」に、

 「① 双六(すごろく)の打ち方の名称。両方共に一二個の駒を持ち、二個の賽(さい)を竹の筒に入れて振り出し、出た賽の目の数だけ駒を取り合って、多く取った方を勝ちとする。折羽双六。
  ② 「おりはばん(折羽盤)」の略。
  ③ 「すごろく(双六)」の異称。
  ※浄瑠璃・道成寺現在蛇鱗(1742)三「嫁御さんがたとおりは打ち隙が入った」

とある。双六のこと。
 博奕というのはやはり緊張するのか、喉がカラカラになる。
 十六句目。

   ながき夜にをりはうつ客取込て
 いくらもむしの覗くあぶら火   路通

 飛んで火にいる夏の虫ということだろう。博奕のカモはいくらでもいる。後ろで眺めている連中がみんな次のカモだ。
 十七句目。

   いくらもむしの覗くあぶら火
 散花をさつとかけたるゆふだすき 曲水

 「ゆふだすき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木綿襷」の解説」に、

 「[1] 木綿(ゆう)で作った襷。神事に奉仕するとき、これを用いて袖をからげた。中古以降は、歌語として、たすきをかける意で「かく」を引き出す序詞などとして用いられることも多い。
  ※書紀(720)允恭四年九月(図書寮本訓)「是に諸人各木綿手繦(ユフタスキ)を着して釜に赴きて探湯(くかたち)す」
  ※源氏(1001‐14頃)賢木「かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆるゆふだすきかな」

とある。
 花の下で灯火を灯し、何かの神事だろうか。虫が飛び込んだと見えたのは散った桜だった。
 真っ暗で桜の木の本体は見えないが、火を灯せば舞い散る桜の姿が映る。これが当時の夜桜だった。
 十八句目。

   散花をさつとかけたるゆふだすき
 たこよくあげて子に渡すらん   其角

 境内で子供が凧揚げをしているが、なかなかうまく揚がらなくて、見かねた神主さんが見本を示してやる。ただ、大人の方がついつい夢中になって、なかなか子供に返してやらないのも「あるある」で、「らん」という推量が利いている。
 この時代は正月に限らず、春風の季節には凧あげをしたのだろう。新暦だと正月の凧あげは木枯らしの凧揚げになってしまう。
 二表、十九句目。

   たこよくあげて子に渡すらん
 びしょびしょと雪間はゆるき日陰にて 里東

 春の雪は薄日が射すとすぐに融けてびしょびしょになる。そんなところに凧を落とさぬように、子供に代わって揚げてやる。
 ニ十句目。

   びしょびしょと雪間はゆるき日陰にて
 隠居屋ひとつすまふ藪医師    芹花

 隠居屋というと薮の中にあるイメージがあるので、そこから薮医者の隠居とする。薮が薮に住んでいる、といったところか。冬にはさぞかし怪しげな風邪薬でも売って稼いだのだろう。
 二十一句目。

   隠居屋ひとつすまふ藪医師
 鼻かめといふさへきかぬ下女が形 路通

 医者の不養生というか、紺屋の白袴というか。医者の下女は鼻もかまず、これじゃ患者も信用しない。
 二十二句目。

   鼻かめといふさへきかぬ下女が形
 かいつくばふて手のくぼのめし  曲水

 前句を下女が子供に「鼻かめ」という体に取り成す。
 「かいつくばふ」は這い這いのことだが、ここではもう少し大きな子供が飯を盗んで掌に載せたまま、見つからないように四つん這いで歩いている様子であろう。
 鼻かめと言っても従わないような悪ガキの様を付ける。
 二十三句目。

   かいつくばふて手のくぼのめし
 つきはづす鼠を見れば無念也   其角

 鼠を追っ払おうとして棒で突っついたが突き外して、飯は手のひらに乗る程度しか残ってなかった。
 二十四句目。

   つきはづす鼠を見れば無念也
 寐着は曲に腰をうたする     里東

 寐着は「ねまき」とルビがある。そうなると「曲」は「くせ」か。寝巻についた癖が邪魔になって鼠を打ちそこなったか。

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