2022年1月5日水曜日

 日本でもオミ株の急拡大が始まった。沖縄で623人、東京で390人、大阪で244人、今までにないペースでの感染拡大は間違いない。
 ただ、オミ株はこれまでのコロナとは別種だくらいに考えた方が良い。大体武漢肺炎にならないコロナなんてのはもはや武漢病毒ではない。ほとんどの人は風邪のような症状で終わるという。
 とにかく急がなくてはならないのはブースター接種と飲み薬の認可を前倒しすることだ。重症化さえ防げれば、いくら感染が拡大しても医療崩壊は起こらない。
 まあ、こんなことを言うと、それを阻止すれば岸田政権を倒せるなんて馬鹿もいそうだが。
 「鬼滅の刃」の無限列車編で伊之助が「こいつが化物か」と機関車に向かって刀を抜いたが、今思えば一年前に「コロナはただの風邪」と言ってた人はそれに近かったなと思う。

 さて、今年一年の仕事始めに、まずは『阿羅野』の歳旦から読んで行こうか。

   歳旦

 二日にはぬかりはせじな花の春  芭蕉

 正月は寝てしまったが、二日はしっかりと餅を食うぞ、という句。
 この句は『笈の小文』には、

 「宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、
   二日にもぬかりはせじな花の春」

とあり、また、土芳の『三冊子』には、

 「二日にもぬかりはせじな花の春
 この句は、元日のひるまでいねてもちくはづしたりと前書あり。此句の時、師の曰、等類氣遣ひなき趣向を得たり。此手爾葉は。二日には、といふを、にも、とは仕たる也。には、といひてはあまり平日に當りて聞なくいやしと也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.109)

とある。
 「等類氣遣ひなき」とあるが、こんななさけないことは誰も詠まないと思ったか。

 二日にはぬかりはせじな花の春

だと、元日は昼まで寝ててもいいが二日には、となる。「二日にも」でも、この「も」を力も(強調の「も」)だとすれば意味は変わらない。ただ並列の「も」とも取れるので「正月も二日も」という意味にも取れる。
 芭蕉の意図としては、正月に餅を食いそこなったから二日は必ず食うぞ、ということだったのだろう。ただ、「も」とすれば、そういう個人的なことだけでなく、一般的に正月とはいってもあまりぐうたらするなよという戒めの句になる。
 二日には餅を食うぞという思いで作った句だが、それが露骨に出ると卑しいと思って「にも」で治定したと見ていい。
 「花の春」は正月のことで、俳諧では正花の扱いになる。

 たれ人の手からもからじ花の春  古梵

 「手から」は「手+から」で手柄ではない。人の手から何かを借りるということもなく、正月を迎えられた。貸し借りなして全部自分の正月だ、という意味。草庵で一人過ごす正月であろう。
 何のしがらみもない、悠々自適の正月は他に代えがたい。

 わか水や凡千年のつるべ縄    風鈴軒

 「若水」はウィキペディアに、

 「若水(わかみず)とは、往古、立春の日に宮中の主水司から天皇に奉じた水のもとを指した。後に元日の朝に初めて汲む水、井戸から水を汲んで神棚に供えることを指すこととなった。若水をハツミズ、アサミズと呼ぶところも存在する。」

とある。元は宮廷儀式で、

 袖ひちてむすびし水のこほれるを
     春立つけふの風やとくらむ
              紀貫之(古今集)

もこの若水を詠んだものであろう。
 江戸時代にはそれぞれが井戸で汲む最初の水になる。正月だから、いつも使っているつるべの縄も、今日は千歳(ちとせ)の縄になるというわけだが、それではいかにも大袈裟なので、「およそ千歳」とするところに俳諧がある。

 松かざり伊勢が家買人は誰    其角

 これは、

   家を売りてよめる
 飛鳥川淵にもあらぬ我が宿も
     瀬にかはりゆくものにぞありける
              伊勢(古今集)

が出典。「瀬に」が「ぜに」との掛詞になっていると言われている。
 正月と言えば松飾りに蓬莱飾りということで、蓬莱飾りから蓬莱への入口の伊勢という連想で繋がっている。古来、二見ヶ浦から見える富士山が蓬莱山に見立てられている。
 松かざり→蓬莱→伊勢の連想から伊勢の和歌への連想で、伊勢が家を売ったというが誰が買ったのだろうか、となる。

 うたか否連歌にあらずにし肴   文鱗

 和歌か、否、連歌でもない「にし肴」。「にし肴」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「西肴・螺肴」の解説」に、

 「〘名〙 新年の祝儀に用いる、三方や折敷に柑橘類、干し柿、梅干し、野老(ところ)、伊勢海老などを積んだもの。蓬莱。一説に、タニシの煮たものとも、また、ニシンともいう。《季・新年》
  ※俳諧・犬子集(1633)一「三方につみしをいかに西ざかな」

とある。西肴(螺肴)は和歌の言葉でも連歌の言葉でもなく俳諧の言葉になる。

 月雪のためにもしたし門の松   去来

 正月に月はない。満月になる小正月には門松はない。両方揃って、それに雪までもあれば良いのに。

 かざり木にならで年ふる柏哉   一晶

 松と柏は漢詩などでは「松柏」とセットにされ、墓地を表す。艮(うしとら)の方角、鬼門を表す九星の「八白」に木偏を付けたという説もある。
 一年の変わり目の正月は、益で言えば冬の子(ね)から春の卯(う)へと変わる途中の丑寅(うしとら)の方角に当る。ただ、松は飾るが柏を飾る習慣はない。

 元朝や何となけれど遅ざくら   路通

 花の春と言いながらも我が世の春はついに来ず、不遇のうちにまた花の春が来る。いつものことではあるが、いつになったら我が遅桜は咲くのだろうか。
 同じ『阿羅野』の歳暮のところに、

 もち花の後はすすけてちりぬべし 野水

の句がある。

 元日は明すましたるかすみ哉   一笑

 元日に春の霞は目新しいものではないが、「明すましたる」が一句の取り囃しになる。
 「すます」は「研ぎ澄ます」「成り済ます」のなどのように、完全にそれを成し遂げるという意味がある。「明(あけ)すます」もそこから来た造語で、完全に日が昇ってしまったにもかかわらず、なおかつ霞がかかっている、という意味になる。
 この言葉を見つけたということが一句の手柄といえよう。

 歯固に梅の花かむにほひかな   如行

 「歯固(はがため)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「歯固」の解説」に、

 「〘名〙 (「歯」は齢(よわい)のことで、齢を固め長寿を祝うという意)
  ① 正月の三が日(地方によって異同がある)鏡餠・大根・瓜・猪肉・鹿肉・押鮎などを食べて長命を願った行事。《季・新年》
  ※土左(935頃)承平五年一月元日「いもじ・あらめも、はがためもなし」
  ② 江戸時代、大坂地方で、陰暦六月一日にかき餠を食べて長寿を祝ったこと。〔大坂繁花風土記(1814)〕
  ③ 「はがためもち(歯固餠)」の略。
  ※御湯殿上日記‐天文一二年(1543)正月二日「御はかためまいる」
  ④ 歯茎を固めるために、歯が生える前の幼児にしゃぶらせる玩具。」

とある。貝原好古の『日本歳時記』には、

 「又、歯固といひて、もちゐかがみにむかふ。‥‥略‥‥但人は歯をもつて命とする故に、歯といふ文字をよはひともよむ也。歯固はよはひをかたむるこころなり。」

とあり「かたみにむかふ」としかない。実際に嚙んだのかどうかはよくわからない。
 「梅の花かむにほひかな」も本当に梅の花を噛んだのではなく、正月に鏡餅に向かうと、梅の花を噛んだような香ばしい香りがします、という比喩に取っておいた方が良いだろう。

 ふたつ社老にはたらねとしの春  落梧

 社には「コソ」とルビがある。係助詞の「こそ」で、神社に願を掛ける時に「今年こそ」と言うように願う所から社の字を当てるらしい。ここでは特に神祇の意味はない。
 落梧は承応元年(一六五二年)の生まれ。元禄二年(一六八九年)の正月で数え三十八歳になる。当時は四十で初老と言われたから、それにはまだ二つ足りない。

 若水にうちかけて見よ雪の梅   亀洞

 若水は風鈴軒の句の所で触れた。元旦の朝一番の水をくむ時に雪が肩に掛れば、それは梅の雪であろう。

 伊勢浦や御木引休む今朝の春   亀洞

 伊勢神宮の御木曳(おきひき)はウィキペディアに、

 「御木曳(おきひき)は、伊勢神宮の神宮式年遷宮における大衆参加の行事。三重県伊勢市で行われ、御木曳初式は同県志摩市および度会郡大紀町でも開催される。」

とあり、

 「式年遷宮で用いられる檜の用材を、内宮用材は橇に積み五十鈴川を遡り内宮境内まで曳き上げ(川曳:かわびき)、外宮用材は奉曳車に積み宮川河畔より伊勢市内を通り外宮境内まで曳く(陸曳:おかびき)のが基本的な形態である。」

とある。元禄二年は伊勢遷宮の年で、芭蕉と曾良も『奥の細道』の旅を終えた後伊勢へ行き、遷宮を見物している。
 その遷宮の御木曳も、正月はお休み。

 ことぶきの名をつけて見む宿の梅 昌碧

 「ことぶき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寿」の解説」に、

 「① 慶事をことばで祝うこと。また、そのことば。ことほぎ。ほぎごと。祝言。
  ※枕(10C終)八〇「卯杖(うづゑ)のことぶき」
  ※実隆公記‐明応七年(1498)八月紙背「老鶴のかことの事先年申候し、めてたきことふきを申て候とこそ存候へ」
  ② いのち。よわい。また、いのちの長いこと。長命。寿命。
  ※類従本賀茂女集(10C後)「草の庵に久しきつまを飾りて、戒をば保たずして、ことふきを保てるさまども」
  ③ めでたいこと。いわい。また、そのいわいの儀式。現代では、そのときに、祝儀袋などに書く文字をもいう。
  ※太平記(14C後)一七「早く是を天に祭(まつ)て寿(コトブキ)をなすべし」
  ※読本・雨月物語(1776)蛇性の婬「其志の篤きに愛(めで)て、豊雄をすすめてつひに婚儀(コトブキ)をとりむすぶ」
  ④ 祝いの品。
  ※筑紫道記(1480)「宿坊の院主あるじこまやかにして、ことぶきさへとりそへて」

 「ことぶき」は日文研の和歌検索で見ると、十五世紀の正徹の歌にあるだけだった。

 諸人の春の初のことふきに
     行末あへる御代の年かな
              正徹(草魂集)
 ねかふことあまりおほきはなきににて
     春の初のことふきもせす
              正徹(草魂集)

 正月は慶事であり年を一つ取るということでは長寿の祝いでもある。ただ旅の途中でともに正月を祝う人も無くて、宿の梅を「ことぶき」と呼んで、梅のみを友として正月を祝う。

 去年の春ちいさかりしが芋頭   元廣

 芋頭は里芋の親芋で、里芋は秋から冬に収穫すると地下一メートルの深さに埋めて保存し、春に掘り起こして種芋として用いる。
 去年の春は小さな種芋だったが、一年たって正月前に収穫すると、大きな芋頭に育って、たくさんの子芋、孫芋が獲れる。子孫繁栄の縁起物になる。 

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