2020年12月6日日曜日

  コロナの新規感染者数は頭打ちで、全国だと一日二千五百人程度で安定してきた。実効再生産数も1.06と1に近い。このまま高止まりの均衡に至るのか、それともこれからさらに寒くなることで再び増加が始まるのか、予断を許さない。その一方で死者の数は一日四十人のレベルで増えている。
 国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授の説のようなのを信じる人が政府や自治体の中にもいるのだろうか。マスコミがこうした説を報道しているのだから、マス護美の中にも信者がいて、旅行や外食を煽って感染を広げることがコロナを収束させると信じちゃっているのかもしれない。
 この説の基本にあるのは、感染しなくてもウィルスを体内に吸引し、免疫細胞と接触しさえすればその段階で免疫が獲得できるため、感染してなくてもウィルスが広範囲に拡散していれば集団免疫が獲得できるという考え方で、ワクチンも基本的には感染させずに抗原との接触だけで免疫を作ることになる。
 この吸引しただけの状態を「暴露」というようだ。日常的な言い回しと全く違う用法なので注意する必要がある。
 夏の間でウィルスの密度が低く、感染しにくい状態で吸引する者が多く、クラスターが出ても発症率が低ければ二次感染する確率は低く、放置しておいても拡大もせず収束もしない状態で安定することになる。この状態だと寒い時期に比べて重症化率、致死率が減少する。
 問題は夏の間に広範囲な暴露が起きて集団免疫の獲得に至ったかどうかだが、抗体検査は誤差が多く、類似するウィルスの抗体に反応する場合があるので、データは信用できない。今年の初夏に世界中で抗体検査が行われたが、あまりにも高い数値が出たばかりか、去年献血された血液からも抗体が見つかったりして(最近報道されたイタリアの研究もこれだが)、結局抗体検査はあてにならない、ということになっていった。
 京都大学の方の研究ではすでに集団免疫ができたから十一月には収束するなんて予想をしてたが、結果は見ての通り十一月に感染が再拡大した。
 なぜ予測が外れたかというと、考えられるのはコロナに暴露した人の数はPCR検査に引っかかった人の数よりそれほど多くなく、実際に本命の新型コロナの抗体はほとんど獲得されてなかったからであろう。
 そして、冬になって密度の濃くなったウィルスに暴露すると、高橋さんの例えで言う「巡査」程度の免疫では対応できなくなり、「軍隊」の出動になるが、コロナウィルスはこの軍隊にも感染し、免疫系を異常化させるため、あっというまにサイトカイン・ストーム(免疫システムの暴走)や血栓の形成を引き起こし重症化してしまう。
 実際欧米であれほど多くの感染者や死者を出していながら(夏には欧米のコロナの弱体化も伝えられていた)、この冬再び同じことが繰り返されている。日本よりはるかに早く集団免疫ができているはずの欧米で、日本以上に感染者も多く死者も多いのはどう説明するのだろうか。
 だから、GoToを広げて早くたくさんの人に暴露させて集団免疫を作ろうなんてのはとんでもなく無謀なことで、菅政権が騙されてないことを祈る。

 それでは「俳諧問答」の続き。

 「一、不易流行の事。翁ノ句に、
 青柳の泥にしだるる汐干哉
と云句したり。予つくづくと見て、此句景曲第一也。
 しかれ共新古の事いぶかしくて、数篇吟じ返し、大きに驚き、初て此風の血脈を得たり。是正風体たるべし。
 津の国の難波の春はゆめなれや
   あしの枯葉にかぜわたるなり 西行
 風そよぐ奈良の小川の夕ぐれは
   御祓ぞ夏のしるし也けり   家隆
 青柳の泥にしだるる汐干哉
と此次ニ書ても、少もおとらず。句作り幷細ミ・魂魄の入やう・趣向の取廻し、毛頭かはる事なし。
 此句の後、愚句、
 峯入の笠とられたる野分かな
 かげろふの中から上る雲雀哉
専青柳の汐干より発明せし也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.173~174)

 青柳の泥にしだるる汐干哉    芭蕉

の句は元禄七年三月の句で、『炭俵』には「柳」ではなく「上巳」の所に収録されている。
 上巳は三月三日の桃の節句のことで、ウィキペディアには、「『上巳』は上旬の巳の日の意味であり、元々は3月上旬の巳の日であったが、古来中国の三国時代の魏より3月3日に行われるようになったと言われている。」とある。ひな祭りの日である一方で、潮干狩りの日でもあった。
 柳の枝が干潟の泥の方に垂れている様と、貝を掘ろうとして腰を曲げている人の姿との類似に着目した句であろう。
 ただ、その類似の笑いの要素を取り除いても、一つの海辺の景として成立している。ここに許六は流行と不易との一致を見たのであろう。西行や家隆の和歌と並べたのはそのためではないかと思う。

 峯入の笠とられたる野分かな   許六

の句は支考撰『笈日記』(元禄八年刊)では「笠もとらるる」になっている。芭蕉の「鶯の笠落したる椿かな」とのかぶりが気になったか。
 「峯入(みねいり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 修験者が、大和国(奈良県)吉野郡の大峰山にはいって修行すること。陰暦四月本山派の修験者が、熊野から大峰山を経て吉野にぬける「順の峰入り」と、陰暦七月当山派の修験者が、吉野から大峰山を経て熊野にぬける「逆の峰入り」とがある。大峰入り。《季・夏》
  ※光悦本謡曲・葛城(1465頃)「此山の度々峯入して、通ひなれたる山路」

とある。この場合は「逆の峰入り」になる。台風の季節で、熊野の山の中で笠を吹き飛ばされることもあるだろう。
 芭蕉が『笈の小文』の旅に出る時の「旅人と我名よばれん」を発句とする興行の二十三句目には、

   別るる雁をかへす琴の手
 順の峯しばしうき世の外に入   観水

とあるが、順の峯入りは春の句となる。

 かげろふの中から上る雲雀哉   許六

 岩波文庫の『俳諧問答』の横澤三郎注には「『校本』かげろうをたよりに上る」とある。「中から上る」だと単なる景色の句だが、「たよりに上る」だと、陽炎の上昇気流と雲雀の上昇との共鳴が見られる。
 この二句は景色の良さを不易として、そこに何かしらの新味を加えるという点では、「青柳の泥にしだるる」に倣ったといえよう。

 「一、一とせ江戸にて、何某が歳旦開とて、翁をまねきたる事あり。
 予が宅ニ四五日逗留の後にて侍る。其日雪ふりて、暮方参られたり。其俳諧に、
 人声の沖には何を呼やらん    桃隣
 鼠は舟をきしる暁        翁
 予其後芭蕉庵へ参とぶらひける時、此句かたり出給へり。
 予が云、扨々此暁の字、ありがたき一字なるべし。あだにきかんハ無念の次第也。動かざる事大山のごとしといへば、師起あがりて云、此暁の一字聞屆侍りて、愚老がまんぞくかぎりなし。此句初ハ、
 須磨の鼠の舟きしる音
と案じける時、前句ニ声の字有て、音の字ならず、つくりかへたり。すまの鼠とまでハ気を廻らし侍れ共、一句連続せざるといへり。
 予が云、これ須磨の鼠より遙に勝れり。勿論須磨の鼠も新敷おぼえ侍れ共、『舟きしる音』といふ下の七字おくれたり。上の七字に首尾調はず。暁の一字のつよき事、たとへ侍るものなしといへば、師もうれしがりて、これ程にききてくれる人なし。只予が口よりいひ出せば、肝をつぶしたる顔のミにて、善悪の差別もなく、鮒の泥に酔たるがごとし。
 其夜此句したる時、一座の者共ニ、遅参の罪ありといへ共、此句にて腹をゐせよと、自慢せしとのたまひ侍る。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.174~176)

 この歳旦開の俳諧は今のところまだ発見されてないようだ。許六の記したこの二句だけが分かっている。

   人声の沖には何を呼やらん
 鼠は舟をきしる暁

 『源氏物語』須磨巻で源氏の君が七弦琴を弾いて歌う場面で、「おきより舟どものうたひののしりてこぎ行くなどもきこゆ(沖の方からは何艘もの船が大声で歌をわめき散らしながら通り過ぎて行く音が聞こえてきます)」、という下りがある。
 芭蕉はこの場面を思いついて、最初は、

   人声の沖には何を呼やらん
 須磨の鼠の舟きしる音

としたのだろう。源氏須磨巻を俤としつつも、人声を船に鼠が出たせいだとする。
 このとき「音」と前句の「声」と被っているのに気付き、須磨を出すのをやめて「鼠は舟をきしる暁」とする。源氏物語は消えて、船に鼠が出て騒ぐ様子に暁の景を添える句になる。
 芭蕉さんも苦肉の策で出した「暁」を褒められて、満更でもなかっただろう。

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