「俳諧問答」の続き。
「あら海や佐渡に横たふ天の川 翁
時鳥声横たふや水の上 同
両句、『横たふ』も、『塵なき』に似たりといへ共、愚案ずるに、『あら海』の『横たふ』ハ、佐渡・越後さしむかひたる事をいはむ噂也。橋をかけべしなどの俗語も、おもひ出られ侍る。
『ほととぎす』の『声横たふ』ハ、専『水光接天、白露横江』のちから也。是似たる詞にして、出所大きに相違せり。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.178~179)
芭蕉の「荒海や」の句は、本当に天の川が空に横たわっているのではなく(実際七夕の頃の天の川は佐渡の方にはかからない)、佐渡・越後差し向かいにあり、その間に横たわっている荒海が織姫・彦星の仲を冷酷に引き裂いている天の川のようだという比喩の句だ。「佐渡・越後さしむかひたる事をいはむ噂也」と許六が言っているように、佐渡が流刑の地で荒海がその前に横たわっていることは当時の多くの人の共通認識で、いわゆる「噂」だった。
許六編の『風俗文選』所収の芭蕉の俳文『銀河ノ序』にも、
「彼佐渡がしまは。海の面十八里。滄波を隔て。東西三十五里に。よこおりふしたり。みねの嶮難谷の隈々まで。さすがに手にとるばかり。あざやかに見わたさる。むべ此島は。こがねおほく出て。あまねく世の宝となれば。限りなき目出度島にて侍るを。大罪朝敵のたぐひ。遠流せらるるによりて。ただおそろしき名の聞えあるも。」(『風俗文選』伊藤松宇校訂、岩波文庫、一九二八、p.103)
とある。
「橋をかけべし」の俗語はよくわからないが、佐渡に橋を架けるのは天の川にカササギの橋を渡すようなものか。
「時鳥」の句の「水光接天、白露横江」は蘇東坡の『赤壁賦』で、「白露横江、水光接天」が正しい。水辺の景色の美しさに、ホトトギスの声も横たうや、というもので、まったく発想が違う。
0 件のコメント:
コメントを投稿