さて、今年もあとわずか。一年の始まりはゴーンさんだったが、それがずいぶん昔の話というか、すっかり忘れられているといってもいい。それほど今年一年はコロナコロナに明け暮れて、まだ終わりは見えない。
世界に混乱が起きると、これを機会に一気に変えようという人々、そうはさせるかと何とか元に戻そうとする人が激しくぶつかり合う。
ネット社会は一気に加速したのはいいが、情報にかつてないほどの混乱が生じている。何がファクトか何がフェイクか、何も今決めることではない。ファクトチェックをする人たちも決して中立ではないし、ファクトチェックにさらにファクトチェックが必要となると、それにもさらにファクトチェックが必要になり、きりがない。
こういう時は白か黒かを性急に決着付けるのではなく、真偽不明のまま保留し、どっちもあるなと思い、両方の可能性を常に頭に入れておく柔軟さが必要だ。
Aが真実かどうかよくわからないなら、真実だった場合はこう、嘘だった場合はこう、BもよくわからないならAが真でBが真なら、Aが真でBが嘘なら、Aが嘘でBが真ならば、Aが嘘でBが嘘ならば、とあらゆる場合を想定しておく。これにCやDが加わって来れば選択肢はかなり増えてしまうが、時間がたつにつれ真実は真実に嘘は嘘に、自然に整理されてゆく。無数の変異を生み出し、自然に淘汰されて真実だけが残る。これは一種の思考のダーウィニズムだ。
総じて世界にはわからないことが多すぎる。それを一方だけを信じてわかったふりをするのはやめよう。量子コンピュータのように、常に右スピンと左スピンを同時に思考することが大事だ。真でもありかつ偽でもある重ね合わせ思考をしないと、今の状況には対応できない。
地球温暖化問題も今年一年でかなり加速し、ガソリン車の時代の終わりが具体的に示されるようになった。ただ、原発復活の圧力だけは注意しなくてはならない。
来年もまだ混乱は続くだろう。夏を乗り切ったコロナはさらに夏に強く進化するかもしれない。これに対しワクチンがどの程度効果を発揮するのか。それにコロナ対策でどこの国も派手に金をばらまいたから、それが収束期に入るとどうなるのか。来年はわからないことだらけだ。頭を量子ビットにして乗り切ろう。
さて、俳諧の方だが、貞享四年十一月五日に菐言亭で「京までは」の巻の興行を行った芭蕉は、翌日六日にも如意寺如風亭で同じメンバーによる興行を行う。
発句は、
はせをの翁を知足亭に訪ひ侍りて
めづらしや落葉のころの翁草 如風
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には「如風が知足亭に芭蕉を訪ねた時の発句『めづらしや』の句を立句として、如意寺で興行したか」とある。これは芭蕉の提案かもしれない。如意寺如風亭での興行であれば芭蕉が発句で如風が脇となるところだが、知足亭での如風の発句を無駄にしないための配慮だろう。この前書きがあれば知足亭で興行されたと思うから、如風もゲストになる。
句意は明瞭で、芭蕉は翁とみんなから呼ばれて親しまれているから、「翁草」は当然芭蕉のことで、こんな落葉の頃に珍しや、となる。
翁草(オキナグサ)はウィキペディアに「白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。 ネコグサという異称もある。」とある。晩春から初夏にかけて咲く。
なお「めづらしや」の巻は羽黒山での「めづらしや山をいで羽の初茄子 芭蕉」を発句とする巻に用いたので、ここでは「翁草」の巻と呼称する。
脇。
めづらしや落葉のころの翁草
衛士の薪と手折冬梅 芭蕉
翁草だと思ったのは衛士が焚き木にしようとして折った寒梅のことでしょう、と受ける。世間から見捨てられた世捨て人ですよ、といったところか。
衛士というと、
みかきもり衛士の焼火の夜はもえ
昼は消つつ物をこそおもへ
大中臣能宣(詞花集)
の歌が『小倉百人一首』でも有名だ。「衛士」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「古代,律令の兵制において,諸国の軍団から選ばれて1年 (のち3年) 交代で上京し,衛門府,衛士府に配属され,宮門の警衛にあたった者。」
とある。
第三。
衛士の薪と手折冬梅
御車のしばらくとまる雪かきて 安信
「衛士」が出たところで王朝時代に転じ、皇族などの雪の日の牛車での外出の場面とするとする。
四句目。
御車のしばらくとまる雪かきて
銭を袂にうつす夕月 重辰
銭は雪かきの駄賃だろう。京では御所の牛車が通ると、こうやって小銭を稼ぐ人がいたのだろうか。アメリカ映画に出てくる車の窓拭きみたいだが。
五句目。
銭を袂にうつす夕月
矢申の声ほそながき荻の風 自笑
「矢申(やまうし)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「矢の中り外れを告げる声」とある。いわゆる「矢場(やば)」の光景だろうか。ダーツのように賭けをしてたのだろう。負けて賭け銭は相手の懐に収まり、矢申しの声だけが荻の風のように寒々と響く。
六句目。
矢申の声ほそながき荻の風
かしこの薄爰の筿庭 知足
「筿」は「篠」と同じだがここでは「ささ」と読むようだ。
没落した武家の庭で、笹の植えてあった庭も薄に埋もれ、それでも弓矢の練習は怠らない。
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