2020年12月15日火曜日

 今日は霜月の朔日。晴れたが寒かった。夕暮れの空には二つ並んだ明るい星があったが、木星と土星だという。
 黒百合と影の「へその緒」は名曲だと思う。生誕の取引を感じさせるよな。
 さて、『俳諧問答』の方はまた一休みで、霜月の俳諧を読んでいこうと思う。今回は「京までは」の巻。
 貞享四年十月十一日の其角亭での「旅人と」の巻、そのあとの「江戸桜」の巻の興行の後、十月二十五日芭蕉は『笈の小文』の旅に出て、東海道を上る。そして十一月四日、尾張鳴海の知足亭に到着する。
 知足亭はかつて『野ざらし紀行』の旅のときにも訪れている。貞享二年の四月四日で、

 杜若われに発句のおもひあり   芭蕉

の句を発句とし、

   杜若われに発句のおもひあり
 麦穂なみよるうるほひの末    知足

と知足が脇を付けている。この後四月十日には芭蕉は江戸への帰りの途に就く。
 あれから二年半、ふたたび知足亭を訪れた芭蕉は、十一月五日には同じ鳴海の菐言亭で興行を行う。発句は、

 京まではまだなかぞらや雪の雲  芭蕉

 「なかぞら」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 「①空の中ほど。中天。
  出典伊勢物語 二一
  「なかぞらに立ちゐる雲のあともなく」
  [訳] 空の中ほどに現れて漂う雲があとかたもなく(消えてしまうように)。
  ②中途。旅の途中。
  出典後拾遺集 雑六
  「道遠みなかぞらにてや帰らまし」
  [訳] (あの世への)道のりが遠いので、旅の途中から帰ってしまおうかしら。」

とある。この場合は京までの旅の途中という②の意味と、空の中ほどに雪の雲があるという①の意味とをうまく両義的に用いている。
 『笈の小文』本文には、

 「飛鳥井雅章(あすかいまさあき)公の此宿にとまらせ給ひて、『都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてて』と詠じ給ひけるを、自らかかせたまへて、たまはりけるよしをかたるに」

とある。飛鳥井雅章はウィキペディアに、

 「飛鳥井 雅章(あすかい まさあき、1611年(慶長16年)~1679年(延宝7年))は、江戸時代前期の公卿・歌人。権大納言・飛鳥井雅庸の四男。官位は従一位・権大納言。飛鳥井家16代当主。」

とある。延宝の時代まで生きた人で、まだ記憶に新しかった。和歌の方は最初の五文字が抜けているが「うちひさす」だという。飛鳥井雅章が泊まった時は日が差していたようだが、芭蕉が来た時には雪雲だった。
 脇は亭主の菐言が付ける。

   京まではまだなかぞらや雪の雲
 千鳥しばらく此海の月      菐言

 菐言は寺島氏だというが、あとはよくわからない。鳴海に千鳥というと、

   最勝四天王院の障子に、
   なるみの浦かきたるところ
 浦人の日もゆふぐれになるみがた
     かへる袖より千鳥なくなり
              源通光(新古今集)

の歌にも詠まれている。ここでは芭蕉さんを千鳥に喩え、しばらくこの海の月を見ていってください、と受ける。
 第三。

   千鳥しばらく此海の月
 小蛤ふめどたまらず袖ひぢて   知足

 蛤と踏むというのはコトバンクの「蛤にじる」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「潮干狩の時、足で探るなどして蛤を取ることをいう。蛤を踏む。
 ※浮世草子・好色盛衰記(1688)二「汐ならむ川ばたに蛤(ハマグリ)にぢりて」

とある。足で探りながら蛤を取っていたが、我慢できずに手も使い袖を濡らしてしまう。前句はその背景となる。
 四句目。

   小蛤ふめどたまらず袖ひぢて
 酒気さむればうらなしの風    如風

 「うらなし」の「うら」は心のことで、心なくということ。裏がない、隠し事がないといういみもあるが、この場合は心なくであろう。
 袖まで濡らして取ってきた小蛤を肴に酒を飲んだが、心ない風に酔いもさめてしまった。
 五句目。

   酒気さむればうらなしの風
 引捨し琵琶の嚢を打はらひ    安信

 興に乗って琵琶を弾こうと琵琶の嚢を引き捨てたが、それを拾って埃を打ち払う。酔いがさめてしまい、興も失せたからだ。
 六句目。

   引捨し琵琶の嚢を打はらひ
 僕はおくれて牛いそぐ也     自笑

 下僕が琵琶の嚢を打ち払っている間に、牛は先に行ってしまった。

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