「星崎の」の巻の続き。挙句まで。
二裏。
三十一句目。
薄はまねく荊袖引
朝霧につらきは鴻の嘴ならす 重辰
コウノトリはウィキペディアに、
「成鳥になると鳴かなくなる。代わりに『クラッタリング』と呼ばれる行為が見受けられる。嘴を叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、威嚇、求愛、挨拶、満足、なわばり宣言等の意味がある。」
とある。
前句を夜の通いではなく霧の中の田舎道とし、ススキやイバラはともかく、コウノトリのクラッタリングは恐ろし気でどきっとする。
『校本芭蕉全集 第三巻』の注は遊郭の比喩とする。そうなると「鴻の嘴」は朝帰りの夫への女房の罵倒ということか。
三十二句目。
朝霧につらきは鴻の嘴ならす
あかがねがはらなめらかにして 自笑
「あかがねがはら」は銅瓦のことで、お城などによく用いられる。緑青を吹いて緑色に見える。
銅瓦は滑るのでコウノトリも降りることができず嘴を鳴らす。前句の「つらき」をコウノトリの辛きとする。
三十三句目。
あかがねがはらなめらかにして
氏人の庄薗多キ花ざかり 菐言
「庄薗」は「荘園」に同じ。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 奈良・平安時代から室町時代に至るまでみられた私有地の称。八世紀に班田制が有名無実化し、公家・社寺による大規模な開墾地が私有地として認められたのをはじめとし、後に口分田・国衙領も併せられた。荘地。荘領。しょう。そう。そうえん。しょうおん。
※東南院文書‐天平宝字三年(759)一一月一四日・越中国東大寺荘惣券「越中国諸郡庄園惣券第一」
とある。
前句の銅瓦の建物を大きな神社とし、氏人たちはそれぞれ荘園を持ち、多額の寄付を受けて今が花盛りとばかりに栄えている。
ちなみに藤原氏の氏神の春日大社の屋根は檜皮葺で銅瓦ではない。ほかの氏族だろう。
三十四句目。
氏人の庄薗多キ花ざかり
駕籠幾むれの春とどまらず 如風
花盛りの神社には花見の人が押し寄せ、たくさんの駕籠を仕立てた一団が何組もやってきて留まることを知らない。
三十五句目。
駕籠幾むれの春とどまらず
田を返すあたりに山の名を問て 安信
前句の駕籠を背負い篭を背負ったお遍路さんのこととした。熊野から吉野へ向かう春の「順の峰入り」であろう。そこら辺の農夫に山へ行く道を聞いてゆく、農村の風景にする。
挙句。
田を返すあたりに山の名を問て
かすみの外に鐘をかぞふる 執筆
霞の向こうから聞こえてくる鐘の音に、何というお寺なのか、山号を尋ねる。
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