今日は午後から雨が降った。
それでは「俳諧問答」の続き。
「一、第三の事。
三月は関の足軽置かえて 此句、出替と五文字あらバ、くさるべし
あたたかに成る日ハ鋤のさし合て
ゆり若のきびすの跡も雪きえて
芋種の角ぐむ比の朧月
など、専新ミをはしらせたり。ことしの第三ニ、
柳の風に梅にほふなり
かずの子の水あたたかにぬるミ来て
と云第三ハ、三ツ物の第三故に出したり。脇に初春の詞なし。かずのこ、初春の物なれ共、かずのこの水のぬるむハ三月也。わるくさく成て、やや春ふかく意味を弥生にかよはせたり。
其上句作り、『かずのこを漬たる水のぬるミ来て』などするハ、世間十人が十人也。漬と云字をぬきて、『かずの子の水あたたかにぬるミ来て』といへるにて、幽玄にハ成侍れ共、世間此味をしらず。同じ事とおもひ侍る社、口おしけれ。しかし見る人あれバ、其人ハのがす事ニあらず。自由をする也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.168~169)
歳旦三つ物の第三は、発句の心と違えるため晩春に転換することが多い。
三月は関の足軽置かえて
出替(でがわ)りの句だが、三月という季語があるので、重複を避けて「置かえて」としている。
出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合2月2日と8月2日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(1688‐1704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668年(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」
とある。許六の時代は全国的に三月と九月だった。
あたたかに成る日ハ鋤のさし合て
「差合(さしあう)」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、
「[1] 〘自ハ四〙
① 出会う。行きあう。でくわす。
※落窪(10C後)一「あまた火ともさせて、小路ぎりに辻にさしあひぬ」
② 映り合う。光などを受けて、それに応じて輝く。
※源氏(1001‐14頃)若菜上「山際よりさし出づる日の、花やかなるにさしあひ、目も輝く心ちする御さまの」
③ さしさわりがある。不都合がある。さしつかえる。
※源氏(1001‐14頃)葵「大宮の御かたざまに、もてはなるまじきなど、かたがたに、さしあひたれば」
④ 「さしあい(差合)④」の状況である。
※浮世草子・傾城禁短気(1711)五「さしあふをしらぬ顔であげ屋に来り」
⑤ 破損する。こわれる。
※醍醐寺新要録(1620)「所二打折一之桁の端も指合ては子木を作入云々」
⑥ 隣り合う。境を接する。近接する。また、向きあう。対峙する。
※今昔(1120頃か)三一「陸奥の国の奥に有夷の地に差合たるにや有らむ」
⑦ 重なり合う。集中する。
※源氏(1001‐14頃)真木柱「かたがたのおとどたち、この大将の御いきほひさへさしあひ」
[2] 〘他ハ四〙
① (酒などを)互いにつぎあう。さしつさされつする。
※今昔(1120頃か)一九「世に不似ず美き酒にて有ければ、三人指合て」
② 互いに言いあう。また、非難しあう。
※太平記(14C後)二七「喩へば山賊と海賊と寄合て、互に犯科の得失を指合が如し」
③ 相撲で、互いに手を、相手の脇腹と腕の間に入れる。
※相撲講話(1919)〈日本青年教育会〉四十八手の裏表「四つとは互に腕を差合(サシア)って、敵の褌(まはし)を引いて組んだ形を言ひ」
とある。脇が分からないので意味は決定できない。四句目を付ける時にもいろいろな取成しが可能で便利な言葉だ。
ゆり若のきびすの跡も雪きえて
「ゆり若」は百合若大臣でウィキペディアには、
「百合若大臣(ゆりわかだいじん)は、百合若という名の武者にまつわる復讐譚。これを題材にした幸若舞、それを読み物として流布させた版本(「舞の本」)、人形を使った説経操り、浄瑠璃(室町後期〜江戸時代)などがあり、日本各地、特に大分県や壱岐に伝説として伝わる。
百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、神託により持たされた鉄弓をふるい、遠征でみごとに勝利を果たすが、部下によって孤島に置き去りにされる。しかし鷹の緑丸によって生存が確認され、妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、裏切り者を成敗する、という内容である。」
とある。確か筒井康隆の『乱調文学大辞典』にはユリシーズの盗作だがどうやって原典を知ったかが不明とかあって、ユリシーズの項目には百合若大臣の盗作だがどうやって原典を知ったかが不明とかあったような。坪内逍遥の頃から『オデュッセイア』との類似が話題になっていたようだ。(ユリシーズはオデュッセイアのラテン語名ウリュッセウスの英語読み。)
戦に勝った将が冷遇されるのはよくあることで、昔から似たような物語はどこにでもあったのだろう。ただ「ユリ」の一致でネタにしやすかったのだろう。現代だとアネコユサギの『盾の勇者の成り上がり』もオデュッセイアのバリエーションではないか。
句の方は苦難の旅をした百合若の足跡も雪解けともに消えてゆくというものだ。正月の宇佐八幡宮の弓始で本懐を遂げるので、脇は弓始の句だったか。
芋種の角ぐむ比の朧月
「角ぐむ」は角が生えるように芽が出るという意味。仲秋の名月は里芋の収穫の頃で芋名月と呼ばれるが、晩春の朧月の頃はその芋の芽が出る頃になる。発句にしてもよさそうなネタだが、種芋の芽は第三道具という判断か。
柳の風に梅にほふなり
かずの子の水あたたかにぬるミ来て
これは普通に晩春に転換するのではなく、あえて「かずのこ」を出すことで正月からの時間の経過を出したかったのだろう。今はかずのこは正月くらいしか食べないが、昔は塩水に漬けて保存して三月くらいまで食べたのだろう。弥生の梅もそろそろ終わりという頃に柳も芽吹き始め、数の子を漬けていた水もぬるくなり、早く食べないといけなくなる。「かずのこを漬たる水のぬるミ来て」だと「水ぬるむ」が漬け汁だけに限定されてしまう。漬け汁だけでなく、井戸の水も小川の水も苗代の水もおしなべてぬるむ頃という広がりを持たせるには、「かずの子の水あたたかにぬるミ来て」の方がいい。
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