今日は『鬼滅の刃』最終巻の発売日で、朝の新聞には大きな広告も入っていた。十五人のキャラを五つの新聞社で三人ずつ分け合うのだが、どういう過程で選ばれたのか知りたいものだ。朝日はさすがに力関係からか善逸と禰豆子と美味しいところを押さえている。産経は猪と不死川兄弟で暑苦しい。うちに来た新聞はいきなり煉獄さんで、その他も甘露寺・伊黒のカップルで、なかなか良いところを押さえている。
さて、ようやく最後まで読んだが、最後はやはり花の定座で目出度く終わっていた。こういうところでも伝統というのは生きているんだなと思った。そして基本はやはりコノハナサクヤヒメ神話だった。この「永遠の命なんて欲しくない」というテーマの反復、クリスチャンの人はどう思っているのだろうか。
最近は『呪術廻戦』押しの記事をよく見るが、『鬼滅の刃』に続けということなのか。ただ、何か最初の設定の所で赤城大空の『出会ってひと突きで絶頂除霊!』が思い浮かんでしまって、下ネタのない絶頂除霊って感じがする。
それでは「俳諧問答」の続き。
「一、第二年の追善ニ、深川芭蕉庵にてのべたり。予自画の像をかかせたる故に、其前書して、
鬢の霜無言の時の姿かな 許六
とせし也。無言の時といへるハ西行の事也。うば・かか、又ハ名もなき者の追善のごとく、『焼香すれバ袖がぬるる』の、『涙が氷る』の、『霜に香を継かゆる』の『生前旅をすかれたる檜笠・はり笠等が破れたる』の『芭蕉が枯たる』の、などといへる事のミにて、一天下果てたり。誰一人秀たる句も見えず。扨々はかなき志にて、あハれ也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.170)
「無言の時」の句は『韻塞』の「乾(李由選)」に、
亡師一周忌に手づから画像を写し
て、野坡に贈て、深川の什物に寄附
す。
鬢の霜無言の時のすがたかな 許六
とある。
「什物」は秘宝のことで、元禄三年の芭蕉・尚白両吟の「月見する座にうつくしき顔もなし 芭蕉」を発句とする俳諧の三十一句目に、
さても鳴たるほととぎすかな
西行の無言の時の夕間暮 芭蕉
の句がある。
とはいえこの句は、ホトトギスは夜通し待ってようやく明け方に聞くのを本意とするので、夕方から鳴いてても歌にならないというだけのもの。それを亡くなって無言になった姿に取り成すのも何か違う気がする。 許六さんは新味を出さねばということにとらわれすぎて、追悼句の基本が追悼する心であるのを忘れているのではないか。「焼香すれバ袖がぬるる」、「涙が氷る」、「霜に香を継かゆる」、「生前旅をすかれたる檜笠・はり笠等が破れたる」、「芭蕉が枯たる」という言葉は確かに月並みではあるが心はある。
「なき人の裾をつかめば納豆哉 嵐雪
師の追善に、かやうのたはけを尽す嵐雪が俳諧も、世におこなハれて口すぎとする世上、面白からぬ事也。晋子ハかやうの所をはづさぬやつめ也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.170)
この嵐雪の句は桃隣の『舞都遲登理』を読んだ時にも触れたが、嵐雪の『玄峰集』に
元禄乙亥十月十二日一周忌
夢人の裾を掴めば納豆かな 嵐雪
とある。
夢に芭蕉さんが現れて、去ってゆく裾をつかもうとしたら目が覚めて、気づくと早朝にやってきた納豆売りの着物の裾をつかんでいた。いとあぢきなし(むなしい)、というものだ。元禄八年の句で、一年もたつとまあそれなりにみんな余裕も出てきたのだろう。亡き師芭蕉の夢枕も笑いに転じようとする。
「口すぎ」は生計のことで、俳諧師も食っていかなくてはならないのは確かだ。ただ、亡き師をネタにして笑いを取るのは、別に金のためということでもなかろう。いつまでも悲しい句ばかり詠んでもいられないし、一年の喪が明けたなら、悲しみを乗り越えて明日に向かって生きてゆかなくてはならない。そんな喪明けの宣言ともいえる句であろう。
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