はぴほりー。
クリスマスはもとは北欧の冬至祭りで、あとからキリストの生誕に結び付けられたというから、日本で言うと天の岩戸神話のような太陽の復活の儀式なのか。新嘗祭も旧暦だと時期的に冬至の前後になる。
さて、俳諧の方だが、貞享四年十一月五日に菐言亭で「京までは」の巻の興行を行った芭蕉は、翌日六日にも如意寺如風亭で同じメンバーによる興行を行い、その翌日七日にも安信亭で同じメンバーで歌仙興行を行う。
発句は『笈の小文』にも収録された、
星崎の闇を見よとや啼千鳥 芭蕉
古代だと鳴海は海に面し、対岸に松巨島があってその南端が星崎だった。やがて寒冷化とともに水位が下がり、鳴海と松巨島は陸地でつながり、間を天白川が流れるだけになった。江戸時代の東海道は海を渡ることなく台地となった松巨島を通り宮宿へと向かうことになる。星崎の辺りは浜辺で塩作りが行われていたという。
七日で半月、夜半近くになると月も沈み闇となる。冬の寒々とした夜に鳴く千鳥の声は、あたかもこの闇を見よと言っているように聞こえる。
今では満天の星を多くの人が美しいと感じるが、かつては満天の星は別に珍しいものでもなく、むしろ月のない夜の闇に恐怖を感じていた。星空の美しさを広く世界に広めたのはアルベール・カミュだったのかもしれない。
安信亭での興行なので、脇は安信が付ける。
星崎の闇を見よとや啼千鳥
船調ふる蜑の埋火 安信
「埋火(うづみび)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 灰の中にうめた炭火。いけ火。いけずみ。うずみ。《季・冬》
※落窪(10C後)二「うづみ火のいきてうれしと思ふにはわがふところに抱きてぞぬる」
とある。表に出ない心の中の恋の炎にも喩えられる。
ここでは漁に出る海士に殺生の罪と闇との連想が働くが、その一方でそれでも生きてゆかなくてはという命の炎が感じられる。
第三。
船調ふる蜑の埋火
築山のなだれに梅を植かけて 自笑
「なだれ」はweblio辞書の「デジタル大辞泉」に、
「《動詞「なだる」の連用形から》
1 (雪崩)山の斜面に積もった大量の雪が、急激にくずれ落ちる現象。表層雪崩・全層雪崩に分けられる。《季 春》「夜半さめて―をさそふ風聞けり/秋桜子」
2 斜めにかたむくこと。傾斜。
「これから近道を杉山の間の処から―を通って」〈円朝・真景累ヶ淵〉
3 押しくずれること。くずれ落ちること。
4 (頽れ)陶器で、釉(うわぐすり)が溶けて上方から流れ下がったもの。やきなだれ。」
とある。この場合は2の意味であろう。築山の斜面に梅を植えるのだが、築山は庭園に限らず人工的な山のことを言う。この場合は堤防のことではないか。
四句目。
築山のなだれに梅を植かけて
あそぶ子猫の春に逢つつ 知足
梅を植えた築山で子猫が遊んでいる。
五句目。
あそぶ子猫の春に逢つつ
鷽の声夜を待月のほのか也 菐言
鷽(うそ)はウィキペディアに、
「ウソ(鷽、学名:Pyrrhula pyrrhula Linnaeus, 1758)は、スズメ目アトリ科ウソ属に分類される鳥類の一種。和名の由来は口笛を意味する古語「うそ」から来ており、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから名付けられた。その細く、悲しげな調子を帯びた鳴き声は古くから愛され、江戸時代には「弾琴鳥」や「うそひめ」と呼ばれることもあった。」
とある。「春宵一刻値千金」の詩句も思い浮かぶ春の宵の景色になる。
六句目。
鷽の声夜を待月のほのか也
岡のこなたの野辺青き風 如風
野辺を吹く風は若草の匂いで青く感じられる。晩秋から初夏の風になる。
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