2020年12月1日火曜日

  今日も十七夜の月が見えた。昨日の半影月食の月と何が違うのか、やはりわからなかった。
 まあ、それでもやはり月はいいね。時差はあっても世界中の人があの月を見ていると思うと、月は世界をつないでいるんだと思う。あの月は北朝鮮の上にもウイグルの上にも出ているんだろうな。
 月は国際宇宙ステーション(ISS)でも見えていて野口さんのアップした写真が話題にはなっていたが、宇宙は何か怖そうだな。壁一枚向こうは果てしなく続く死の世界で、結局人生というのは広大な死の宇宙の中の小さな宇宙船のようなものなんだろうな。時間的にも何百億という長い死の時間の中のほんの数十年。奇跡の島。
 それでは「俳諧問答」の続き。

 「一、脇の仕やうの事。
 座頭の袖にかかる門松
 俵かさねて中戻りする
 女子六尺長閑成けり
 二日の朝ハ年玉の酒
などいへる脇は、師再生すといふ共、かハる事ハあるまじとおもひ侍れ共、一人分て褒美する人さへなし。
 俵重ぬると云季ハ、はなひ草ニも見えず。是正月元日・二日ならでハいはぬ言葉也。三日ハはやおかしからず。
 『きぞ始』といふ発句の脇に、『俵重て中戻りする』と云事、天下三べんさがねたり共、此脇より外ニハあるまじとおもふ也。俵重ぬる事、おかしき季とて、発句道具にてハなし。脇・第三の道具也。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.167~168)

 「俵かさねて」を脇とする「『きぞ始』といふ発句」は、岩波文庫『俳諧問答』の横澤三郎注に、

 「『篇突』に出てゐる歳旦三ツ物の発句で、句形は『きぞ始裏を探らす大夫殿』。作者は程己。」

とある。つまりこの脇は

   きぞ始裏を探らす大夫殿
 俵重て中戻りする

となる。
 きぞ始(はじめ)は前にも、

  「一、去々年、愚歳旦ニ
 干鮭にかえてやゑぞがきぞ始
ト云句せしに、大津尚白が句に、
 干鮭に衣かえけりゑぞの人
と云句せし、翁も笑ハれたるよし、等類不吟味沙汰のかぎりと申侍る。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.144~145)

の時に出てきたが、「着衣始(きそはじめ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 江戸時代、正月三が日のうち吉日を選んで、新しい着物を着始めること。また、その儀式。《季・春》
 ※俳諧・犬子集(1633)一「きそ初してやいははん信濃柿」

とある。
 「大夫(太夫)」はいろいろな人に用いられるが、「大夫殿」だとコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 御師(おし)の通称。また、御師のいとなむ宿のこともいう。
  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)四「供二三人召つれ。太夫殿(タユフトノ)の案内者に任せ山田を出し時」
  ② 三河万歳の大夫。転じて、主役。
  ※狂歌・徳和歌後万載集(1785)一二「まんざいはわれらが家の太夫殿はらづつみうつとく和歌の集」

を意味するようだ。
 この場合は歳旦なので②の方か。

 犢鼻褌(ふんどし)を腮(あご)にはさむや着そ始 汶村
 つまさきを引出す糸やきそ始   孟遠

といった句が『彦根正風体』にあるように、この句も着慣れないものを着る上、三河万歳の大夫殿が来たので急いで、どっちが表でどっちが裏かわからなくなるということなのだろう。
 これに対して脇は、転んで途中で引き返した、というものだ。ドタバタした感じがまた正月の目出度さでもある。
 「俵重(たわらがさね)」は正月に「転ぶ」「臥す」という言葉を縁起が悪いとして嫌いことから生じた言い換えの言葉で、許六によれば「正月元日・二日ならでハいはぬ言葉也。三日ハはやおかしからず。」という言葉になる。
 立圃の『増補はなひ草』では季語として扱われていないが、正月しか言わない言葉なので歳旦の言葉としている。発句には用いにくいが、脇や第三に使うにはちょうど良い。

 座頭の袖にかかる門松

の句は、眼が見えないから袖が門松に引っかかったということか。

 女子六尺長閑成けり

の「女子六尺」は女六尺・女陸尺(おんなろくしゃく)のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 昔、貴人に仕えて、その女乗物を奥から玄関までの間かついだ女中。⇔男六尺。
  ※浮世草子・浮世栄花一代男(1693)一「物静に長郎下まで御駕籠を女六尺かき込て」

とある。

 二日の朝ハ年玉の酒

 お年玉が子供に現金を渡す行事になったのは戦後のことだともいう。「駒沢女子大学/駒沢女子短期大学」のサイトの「お年玉の謎」(下川雅弘)によると、「室町時代に書かれた日記などの史料には、新年に贈り物の刀や銭などを持参してお世話になった人を訪問し、お返しとして扇や酒などが振る舞われるといった記事が、数多く残されています。」という。
 芭蕉の時代でもお年玉は基本的には年賀の挨拶の時の贈り物のことだったと思われる。元日にもらった酒を二日の朝に飲むのは「あるある」だったのだろう。「年玉」の発句をあまり見ないのは、脇道具ということか。

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