今日の東京の新規感染者数は949人。それでも街はいつもの通りにイルミネーションが灯り年末商戦で賑わい、テレビはグルメスポットをよいしょしている。
夏の第二波がたいしたことなく収まったということで、夏に確立されたウイズ・コロナの新しい生活様式のまま修正されることなく今も続いている。
だからといって国や自治体に何ができるかというと、同じく夏頃に主に野党の側の主張から自粛と補償はセットという考え方が定着し、補償金を出せる範囲内でしか自粛を要請できないが、既に第一波と第二波でかなりの予算を使ってしまっている。結局医療従事者に感謝の手紙を書こうくらいのことしか言えない状態になっている。
この手詰まりの原因となっているのは、憲法二十九条第三項の解釈に他ならない。
第29条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
この場合の財産権の対象となる私有財産は、一般的には不動産や動産で、土地の収容や物品の徴用を念頭に置いたものだが、これを拡大解釈して自粛と補償はセットだと主張している。
営業の自由は通常は憲法二十二条の、
第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
によって保障された職業選択の自由によるとされているが、学者によっては営業の自由は財産権を前提とするもので、憲法二十九条第三項の対象だとしている。
野党はロックダウンの可能性そのものを否定しているわけではない。ロックダウンは憲法二十五条第二項、
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
の「公衆衛生の向上及び増進」に含まれるとしている。ただ、ロックダウンは可能だが補償の義務を伴うということで、政府や自治体のコロナ対策を手詰まりにしてしまっている。
もちろん、日本国憲法は緊急事態における例外というのは規定していない。だから日本でロックダウンが行われるとしたら、野党側が憲法二十九条第三項の解釈に関して何らかの妥協案を示すか、野党の同意なく政府の側の憲法解釈で強行するか、そのどちらかになる。
ただ、年明けでこのことが議論されるかどうかはわからない。野党はスキャンダルの追及を優先させる可能性が高いし、コロナの蔓延は政府批判の格好の材料になり、政局の為にはむしろ政府のコロナ対策が失敗することを望んでいるからだ。ただ、政局より人命が大事という世論が圧倒的になれば、野党も動くかもしれない。
それでは「星崎の」の巻の続き。
二表。
十九句目。
山も霞むとまではつづけし
辛螺がらの油ながるる薄氷 如風
「辛螺(にし)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「外套(がいとう)腔から出す粘液が辛い味をもっている巻貝類の意であるが,辛くない巻貝にもあてられている。テングニシ,アカニシなどがあるが,ナガニシ,イボニシはとくに辛い。【波部 忠重】」
とある。
「辛螺がらの油」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、
「田螺の殻に燈油を入れて燈火を点す。その燈油がこぼれて薄氷に流れて行く山辺の家の景。山辺の庵住の体。」
とある。貝殻を灯明皿の代わりにするということか。
単に田螺の粘液のことを「油」と言い、田螺の這った跡が文字のように見えるということなのかもしれない。よくわからない。
二十句目。
辛螺がらの油ながるる薄氷
角ある眉に化粧する霜 芭蕉
田螺にはカタツムリのような角がある。そこに霜が降りかかり、化粧したみたいになる。前句の「薄氷」から冬の景とする。
二十一句目。
角ある眉に化粧する霜
待宵の文を喰さく帳の内 菐言
前句を鬼女に取り成す。嫉妬に狂い恋文を口で引き裂く。
二十二句目。
待宵の文を喰さく帳の内
寝られぬ夢に枕あつかひ 如風
手紙の冒頭を文句を案じては破り捨て、ということか。「枕」は頭に敷くということで、ある言葉を言い出すそのきっかけとする言葉を枕言葉という。『枕草子』も会話のきっかけにでも、ということでその名があるのだろう。
二十三句目。
寝られぬ夢に枕あつかひ
罪なくて配所にうたひ慰まん 安信
元ネタは源顕基(中納言顕基)の「あはれ罪無くして、配所の月を見ばや」という言葉で、鴨長明『発心集』、吉田兼好『徒然草』、作者不詳『撰集抄』などに記されている。
RADWIMPSの『揶揄』という曲の中に「無実の罪を喜んで犯すの」というフレーズがあるが、要するにこの馬鹿々々しい世の中で罪が有るの無いのなんてどうでもいいことで、無実の罪をなすりつけられたなら、それはそれで配所で月を見る楽しみが増えるだけだ、とそういうことではないかと思う。
二十四句目。
罪なくて配所にうたひ慰まん
庶子にゆづりし家のつり物 知足
庶子は正室ではない女性から生まれた子。「つり物」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① (━する) 路上などで出会った見知らぬ者をさそって情を交わすこと。
※評判記・色道大鏡(1678)二五「釣者(ツリモノ)といふは、物見物参りの道路にて、近付ならぬ女を引ゆく事也」
② 路傍で客をさそって売春する女。
※俳諧・鷹筑波(1638)二「つきだされたる寝屋の釣(ツリ)もの 後夜時に鐘楼の坊主目は覚て」
③ だまして金などをまきあげる相手。えもの。
※浄瑠璃・奥州安達原(1762)四「結構な釣者がかかったと思ひの外、あちこちへ釣られてのけた」
④ (釣物) つるすようにしたもの。また、つってあるもの。簾など。特に歌舞伎の大道具の一つで、天井につっておいて、必要なときに綱をゆるめておろして背景などに用いるもの。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※歌舞伎・浮世柄比翼稲妻(鞘当)(1823)大切「大柱、吊(ツ)り物(モノ)にて水口を見せ」
とある。
「家に釣ってある物」ではなく「つり物の庶子にゆづりし家の、罪無くて配所に」の倒置であろう。遊女か行きずりの女との間にできた子に家督を譲り、本妻の子である自分は無実の罪で配所に、ということか。
二十五句目。
庶子にゆづりし家のつり物
式日の日はかたぶきてこころせく 如風
「式日(しきじつ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 特定の行事あるいは職務に当てられた定日。しきにち。
※小右記‐寛弘二年(1005)四月一八日「今日式日也。湏レ令レ申二廻諸卿一」
※随筆・守貞漫稿(1837‐53)二四「朔日・十五日・二十八日、是を三日と云ひ、さんじつと訓じ式日とも云。〈略〉幕府にては諸大名旗本御家人に至る迄総登城也」
② 儀式のある日。祝日。祭日。大祭日。
※俳諧・千鳥掛(1712)上「庶子にゆづりし家のつり物〈知足〉 式日の日はかたぶきてこころせく〈如風〉」
※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉三「特別の客来若は式日を除くの外」
③ 江戸時代、幕府評定所での定式寄合の一種で、裁判・評議を行なう日。立合(たちあい)に対するもの。宝暦元年(一七五一)以後は二日、一一日、二一日と決められ、寺社奉行、町奉行、勘定奉行の三奉行と、目付各一人が出席し、裁判・評議を行ない、うち一日には老中一人が大目付とともに列座した。→式日寄合。
※禁令考‐後集・第一・巻二・享保四年(1719)一二月「式日立合之御目付出座之儀に付御書付」
とある。②の式日は主に五節句(人日、上巳、端午、七夕、重陽)を言う。③は幕府の重要事項の裁判なのでこの場合は関係なさそうだ。庶子に家督を譲ったものの、要領を得ず、節句の儀式がスムーズでないことへの焦りか。
二十六句目。
式日の日はかたぶきてこころせく
あさくさ米の出る川口 重辰
「あさくさ米(こめ)」は「浅草御蔵(あさくさおくら)」の米のことであろう。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、
「江戸幕府が天領郷村から収納する年貢米や買上げ米を出納,保管する倉庫を御蔵または御米蔵といい,元和6 (1620) 年,江戸浅草橋の近くに設置された御米蔵を浅草御蔵という。収納米の多くは旗本,御家人などの幕臣の給米 (切米 ) にあてられ,出納に要する費用は,浅草御蔵前入用として天領郷村に課せられた。ほかに大坂,京都の御蔵が有名。」
とある。
前句の「式日」を①の意味で武士の給料の支給日(年に三回、二月・五月・十月にあったという)のこととして、米が支給されるのを今か今かと待っているという意味か。
浅草橋は隅田川と神田川の合流する辺りにある。舟で運び出されたのであろう。
二十七句目。
あさくさ米の出る川口
欄干に頤ならぶ夕涼 芭蕉
これは米の支給日とは関係なく、支給口のある辺りという場所を表すもので、すぐ近くに両国橋がある。夏になると夕涼みの人で賑わった。
頤(おとがい)はあごのことだが、欄干から川の方へ身を乗り出していると頤を突き出すような姿勢になる。特に舟か河原の方から見上げると顎ばかりが目立つ形になる。なかなか面白い描写だ。
二十八句目。
欄干に頤ならぶ夕涼
笠持テあふつ蛍火の影 自笑
「あふつ」は煽って払い除けること。昔は蛍も別に珍しいものではなく、蠅のように笠で打ち払うほどわらわらといたのだろう。
二十九句目。
笠持テあふつ蛍火の影
初月に外里の嫁の新通ひ 知足
初月は最初に見える月、二日月、三日月などをいう。「外里」は「とさと」と読む。人里離れたところをいう。
古代は男が女の元に通う通い婚だったが、江戸時代には「嫁迎え婚」が一般的になる。ただ、田舎の方では通い婚も残っていた。
これは「外里の嫁の(もとへの)新通ひ」で男が通うのだと思う。初月だと月はすぐに沈んであたりは闇、群れ飛ぶ蛍をかき分けての通いとなる。
三十句目。
初月に外里の嫁の新通ひ
薄はまねく荊袖引 芭蕉
遊郭だと張見世の遊女に手招きされたり、客引きに袖を引っ張られたりするが、田舎ではススキが手招きし、イバラが袖を引っ張る。
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