今日は神無月の晦日。
前に少し述べた「生存の取引」についてやや詳しく。
「生存の取引」という考え方はまだ学生だった頃、一年留年したがそろそろ就職しなくてはという頃思いついたものだったと思う。
基本にあるのはハイデッガーの実存哲学で、現存在の本来性が何で頽落という形で失われるのか、まだなんでそれを「死への存在」によって取り戻すことができるのか、それがあまりに大雑把な議論しか行われてなかったからだ。
本来性と非本来性を転倒させた和辻倫理学についても同じだった。「人間存在(人と人との間の存在:人-間-存在)」がどのようにして否定され「個人」が生じるのか、「個人」がどのように否定され「人間存在」になるのか、最初から図式として提示されているだけで、具体的なものがなかった。
基本的に人間はたった一人の「個人」として生まれてくるが、生まれた瞬間から社会の中に取り込まれる。すくなくとも誰かに育てられなければ生きてゆくことはできない。そこで最初から人は人間関係の中で生きてゆかなくてはならなくなる。「個人」はまずは泣き叫んで一方的に要求し、親や何らかの親代わりの者、医者、それらを取り巻く社会がそれを認めたところですべてが始まる。不幸にして産み落とされてすぐに殺されたり遺棄されたりする赤ちゃんもいる。その最初の関門を突破してから人生というものが始まる。
最初はそれを「生誕の取引」と呼んでいた。「生存」という言葉は現存在の別訳だし、しばしば実存(existenz)の訳語としても用いられる。「生存競争」も英語ではthe struggle for existenceという。
生誕は個人の側からすれば突如この世界に投げ出されることであるのに対し、社会の側からすればこの世界に共に暮らす仲間が一人増えることであると同時に、生存競争のライバルが一人生まれることでもある。
このとき個人は社会の側から生きてゆくことを許された瞬間から、社会への所属を、つまり生存競争の敵ではなく仲間になることを要求される。生まれた時から始まる様々な躾けや教育を通じて、そしてそれができなかった時に受ける様々な罰によって、社会の側からの要求は絶えることはない。これに対し個人もまた自分の欲求を主張し続け、わがままを言い駄々をこねる。この過程のすべてが個人との社会との取引であり、それによって個人は社会の中で自分の居場所を確保してゆく。
この取引は社会契約ではない。誰だってそんな契約書にサインした覚えなどない。社会全般に対してではなく、具体的に自分の周囲にいる人間に対し欲求をぶちまけ、押し通したり妥協したりあきらめたりを繰り返しながら、その都度取引を繰り返してゆく。生存の取引は社会一般に対してなされることはなく、あくまで個々の周囲の人との間のものだし、生存の取引は一定の期間互いを拘束するものではなく、その都度なされ、更新されてゆく。社会契約はあくまで抽象的な概念で、人は実際には生存の取引の繰り返しの中で生きている。
これを思いついた後しばらく忘れていたが、結局社会に出てトラックの運転手になり、その傍ら暇つぶしのいろいろな本を読んでゆく中で、ニホンザルの研究の本にはまった。それをきっかけに人類の進化の過程に興味を持ち、わかったのは人間の生存競争が個と個の順位争いから多数派工作の勝負に変わったということだった。この考え方は様々な人間の利他行動とその裏腹の残虐さを説明するのに便利だった。仲間を作ることは生存競争を有利にすることであり、仲間でないものを排除することも生存競争を有利にするからだ。
人は生まれ落ちた時からこの「仲間を作り、仲間でないものを排除する」という社会の中で、仲間になるための取引を繰り返していたんだ。排除に関してはミシェル・フーコーの哲学がぴったりとあてはまった。
生存の取引は排除されないためにどこかの集団の所属しなければならないところから、集団に帰属するために自分の一部を切り捨てる。自分を捨てて集団に同化することで安全を得られる代わりに、自分の持って生まれた何かを我慢しなくてはならない。
こうして捨ててきたものは心の中から消えるとことはなく、どこかで本来の自分に戻ろうとする。本来の自分に戻ろうとする声は心の底に風のように吹いている。
ハイデッガーは集団への同化を頽落と呼び、それによって失われることなく心の底に吹く風を「死への存在」を契機とする「可能性の声なき声」と捉えた。
和辻は個人を人間存在の否定とし、この否定には人間存在の発展の可能性をもたらすものとし、とくに芸術に人間存在の否定の役割を与えた。これは伝統的に風流の道が社会生活の中で抑えている感情の表現の役割を担っていたことを受け継ぐものだったし、その一方で西洋の個の哲学のこの役割を担うものとした。これに対し、人間存在の側からの個人の否定は社会秩序のための排除で、この二つの「否定」は人間存在そのものに内在するもので「空」と呼ばれ、天皇と結びつけられていた。これも天皇のもとに芸能が保護されてきた歴史を踏まえている。
戦前戦中の和辻はこの両者のバランスを取ろうとしたが、戦後は日本の伝統文化を破壊する方に重点が置かれた。
戦後の西洋哲学は基本的にはナチズムとスターリニズムの残虐な現実の前に、西洋哲学の根底が厳しい批判にさらされ、長い形而上学の伝統を乗り越えようとしていた時代で、「哲学の終わり」というところから「ポストモダン」が強く意識されていた。ナチズムもスターリニズムも激情に駆られて闇雲に人を殺したのではなく、理性の名において「汝なすべき」の定言命令によってあくまでも冷静に行われた犯罪だった。
カミュの『異邦人』のムルソーは一時の激情で人を殺したが、それに対する死刑の執行はあくまでも冷静な手続きの中で行われ、その二つが対比された。あの悲惨な戦争も激情で人を殺すようなものではなかった。冷静に計画され作戦は実行された。それが膨大な数の屍の山を築いた。そして戦後しばらくたって明かされた共産圏での飢餓と粛清の嵐もまた激情によるものではなく理性によるものだった。共産圏は生存競争を止揚することができず、密告・讒言のゲームに変えただけだった。
自分の哲学がそういう徹底した理性の幻想、形而上学の支配の危険の告発の中で形成されたのは間違いなかった。だから今の人権派の人たちがマルクス・ガブリエルを持ち上げて古い形而上学を復活させようとしていることには納得できない。差別を「ヘイト」と呼んでいるが、差別は個々の人間の一時の憎しみから生じるものではない。差別もまた社会を維持しようとする理性から生じている。生存競争は人間においては排除の競争であり、それは一時の憎しみによってではなく、禁止・狂気・非合理のすべてが動員される。この「非合理」の中には理性の名に於いた排除が含まれる。
我々が暮らす社会は抽象的な理念としての「社会」ではない。具体的に生活の中でかかわる周囲の人たちに他ならない。周囲の人たちはみんな一人一人顔形が違うように考え方も違う。常識といっても人それぞれに常識がある。
言葉の意味は無数の会話の中で用例を積み重ねることで生じるもので、会話に先だった超越的な概念が存在するわけではない。そのため形而上学が普遍的であったためしはない。ただ哲学者の数だけ哲学があっただけだ。それが真の多様性だ。
人権思想といってもそういう「一つの思想」があるのではなく、人権を人それぞれ様々に解釈する無数の人権思想があるにすぎない。ただ、人権派が集まれば、自ずと彼らの間で排除の原理が働き、何らかの共通認識は生まれるが、それすら排除されたものは排除されたもので独自にセクトを立ち上げ、分裂を繰り返す。
社会契約はこうした無数の生存の取引を繰り返す人間の社会にあって、それをよりよく制御するための諸仮説だと思っている。つまり、法制度を作り、それでうまく治まったなら残り、不満が爆発したものは消え去る。何度もさまざまな法制度が考案されては自然淘汰を繰り返し、生き残ったシステムが暫定的に最良のものとなる。それだけのものではないかと思う。何が真の人権かを決めるのは哲学者ではない。民衆だ。
民主主義はこの自然選択の繰り返しを円滑に行える勝れたシステムだと思っている。独裁政治は「一つの思想」が支配し、それに従わないものを厳しく排除し、そこに密告と讒言のゲームが生じる。その結果システムは固定され、進歩を止めてしまう。
芸術も同じで、多くの人に親しまれ残ってゆくもの優れた芸術であり、つまらないものは淘汰されてゆく。過去の良い芸術を学び、それを発展させるものが新たな流行を作り出し、芸術は時代が変わっても手を変え品を変え生き残ってゆく。
不易は作品ではない。よく流行する作品を生み出し続ける人の心の中にある。美学や評論はただそれを後から分析するだけのもので、美学や評論から次のすぐれた作品が生まれることはない。ただ自然選択だけが芸術を進化させてゆく。その道筋も一つではなく、むしろ多様な社会の多様な人間に合わせて適応放散してゆくのが正常な姿だ。
人の世を作ったのは唯一絶対の超越的理性ではない。無数の人間がそれぞれに生きようとして繰り返す生存の取引が人の世を作っている。かの夏目漱石も『草枕』のなかで書いている。
「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」
生存の取引による自然の秩序を否定して独裁政治を敷けば、必ず「人でなしの国」になる。二十世紀の多くの社会主義国家がそれを証明した。
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