北陸では大雪で、近年正月前に雪が積もることが多いような気がする。昔は確か正月前に雪が積もったら何とか豪雪と名前の付くような豪雪になる、普通は正月前には積らないと聞いた気がする。これも温暖化のせいだろうか。
高校生の頃、石川県小松の方にあった尾小屋鉄道という珍しいナローゲージの鉄道があって、それが廃線になるというので冬休みに見に行ったことがある。
北陸出身の友人から、正月前は雪は降らないと言われたのに反してその年は大雪に見舞われ、おそらく自分が乗ったのが終点尾小屋駅行きの最終になってしまったのではないかと思う。
帰りは結局雪道を歩いて新小松に向かうと、途中で親切な人に車に乗せてもらえて、何とか無事に帰れた。尾小屋鉄道の方は結局春の廃線まで倉谷口─尾小屋間は復旧しなかった。この年の豪雪は「昭和52年豪雪」という名前がついている。
それでは「京までは」の巻の続き。
初裏。
七句目。
僕はおくれて牛いそぐ也
ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる 重辰
「反哺(はんぽ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 烏のひなが成長してから、親烏に食物をくわえ与えて養育の恩に報いること。転じて、恩返しをすること。
※性霊集‐八(1079)為弟子僧真境設亡考七々斎願文「林烏猶知反哺」 〔蔡邕‐為陳留県上孝子状〕」
とある。この「林烏猶知反哺(林の鴉もなお反哺を知る)」から「烏に反哺の孝あり」という諺が生じている。
親孝行な烏に対し、牧童の恩に報いず先に行ってしまう牛を対比する。まあ、普通に風景として、牛に置いていかれた牧童に鴉がかあかあと鳴いて日が暮れてゆく場面を想像すればいいか。
八句目。
ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる
明日の命飯けぶりたつ 安信
前句を鴉が塒に帰ってゆく夕暮れの景とし、人もまた明日の糧にと米を炊く。芭蕉の時代は「二時の食」で、一日二食の所が多かった。朝と夕に飯を食う。
九句目。
明日の命飯けぶりたつ
わたり舟夜も明がたに山みえて 自笑
前句を朝飯のこととする。夜も明ける頃に飯を炊く煙があちこちに見える。
十句目。
わたり舟夜も明がたに山みえて
鐘いくところにしかひがしか 芭蕉
明け方に鐘が鳴るが、それは西か東か、というわけだが、この年の春に詠んだ、
花の雲鐘は上野か浅草か 芭蕉
とややかぶっている。隅田川の渡し船に上野か浅草の鐘の音が聞こえてくる情景を、どことも知れぬ山に近い渡し場に変えたというところか。
十一句目。
鐘いくところにしかひがしか
其すがた別の後も人わらひ 知足
知足もすぐに芭蕉の「鐘は上野か浅草か」を思い起こしたのだろう。舞台を吉原だろう。遊女との後朝の別れも隣の部屋では笑い声が聞こえる。
十二句目。
其すがた別の後も人わらひ
なみだをそへて鄙の腰折 菐言
「腰折(こしおれ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘自ラ下二〙 歌や文などがつたないさまになる。腰離る。
※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一〇月十余日「空の気色もうち騒ぎてなんとて、こしをれたる事や書きまぜたりけん」
とある。腰折れ歌、腰折れ文という言葉もある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「[補注]「玉葉」や「無名抄」では、和歌の第三句を「腰句(ようく)」「こしの句」といっており、第三句から第四句へのつづき方の悪いという「腰折れ」の解釈を導いたと思われる。」
とあり、これが元の語義であろう。この言葉は今でも「話の腰を折る」という言い回しに名残がある。
前句の「人わらひ」を後朝に去っていった男の残した和歌が腰折れだったので、控えていた女房達が笑ったとする。
十三句目。
なみだをそへて鄙の腰折
髪けづる熊の油の名もつらく 芭蕉
熊の油はマタギの人たちが古くから用いていたという。ただ、髪に使ったりはしないだろう。どんな田舎者かというギャグ。『伊勢物語』第十四段の「くたかけ」女のイメージか。
十四句目。
髪けづる熊の油の名もつらく
身に瘡出て秋は寝苦し 如風
「瘡(かさ)」は腫物のこと。手荒れや腫物に熊の油を用いるのは正しい使い方。
十五句目。
身に瘡出て秋は寝苦し
釣簾の外にたばこのたたむ月の前 安信
「釣簾(こす)」は御簾のこと。「外」は「と」と読む。
たばこと塩の博物館のホームページによると、江戸時代の刻み煙草を作るには以下の工程があったという。
「1 解包 産地から届いた葉たばこの荷をほどく。
2 砂掃き 葉たばこに付いている土砂やちりを小ぼうきで一枚ずつ掃き落とす。
3 除骨 葉たばこの真中に通っている太い葉脈(中骨)を取り除く。
4 葉組み いろいろな種類の葉を組み合わせながら重ねる。(ブレンド)
5 巻き葉 葉組みした積み葉を刻みやすく折りたたんで巻く。
6 押え 「責め台」で巻き葉を押えてくせをつける。
7 細刻み 巻き葉を切り台にのせ、押え板で押えながら刻む。
8 計量 注文に応じて適当な分量に計る。」
煙草を畳むというのは5の工程であろう。江戸時代のタバコ屋は女房が葉を畳み旦那がそれを刻むといった家内工業だったという。腫物の痛む体で眠れぬまま夜も月の前で作業をする、その辛さが伝わってくる。
十六句目。
釣簾の外にたばこのたたむ月の前
楊枝すまふのちからあらそひ 知足
「楊枝すまふ(相撲)」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、
「楊枝を二つ組合わせて、台を叩いて震動させ、倒れた方向によって勝負をきめる遊び。」
とある。今の紙相撲に似ている。
前句の「たばこのたたむ」を煙草を片付けるの意味に取り成したか。
十七句目。
楊枝すまふのちからあらそひ
小袖して花の風をもいとふべし 重辰
楊枝相撲は風が吹くと簡単に倒れてしまうから小袖で風を遮ってやる。花の定座なので、「花の風」とする。
十八句目。
小袖して花の風をもいとふべし
こがるる猫の子を捨て行 安信
昔は捨て猫は普通で、川に流したりした。とはいえやはり可哀そうになり小袖で風を防いでやる。
猿を聞く人は捨て猫の声をどう思うのだろうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿