今日は三日月で、近くに接近している木星と土星も見えた。月の明るさで土星がやや見えにくい。
コロナの感染者が寒さとともに再び増加に転じている。東京は八百人超、神奈川は三百人超。まあ忘年会っていやいや参加している人の方が多いから、この際今年限りで廃止してもいいのでは。
ただ相変わらず街に人が多い。年末だし正月準備もあるのか。静かな大晦日、質素な正月というのもたまにはいいのではないか。芭蕉の時代に戻ったみたいで。
それでは「京までは」の巻の続き。
二表。
十九句目。
こがるる猫の子を捨て行
うき年を取てはたちも漸過ぬ 知足
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には「縁遠い娘」とある。二十歳過ぎて憂き年を取るというのは、そういうことなのだろう。
まあ、こうした人は家の雑用を押し付けられがちで、猫の子を捨てに行かされたりしたのだろう。
二十句目。
うき年を取てはたちも漸過ぬ
父のいくさを起ふしの夢 芭蕉
前句を戦死した父の喪に服しているので「うき年を取て」とする。
二十一句目。
父のいくさを起ふしの夢
松陰にすこし草ある波の声 自笑
「松陰(まつかげ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 松の木がおおっている所。松の木の下陰。
※万葉(8C後)二〇・四四六四「ほととぎすかけつつ君が麻都可気(マツカゲ)にひも解き放(さ)くる月近づきぬ」
② 水面などに映って見える松の木の姿。
※玉葉(1312)賀・一〇五〇「松陰の映れる宿の池なれば水の緑も千世や澄むべき〈源俊頼〉」
③ 松の木が日光などをさえぎって、地上などにできる影。
※俳諧・文政句帖‐五年(1822)一一月「松影も氷りついたり壁の月」
とある。この場合は②の意味か。
松影のいはゐの水をむすひあけて
夏なきとしと思ひけるかな
恵慶法師(拾遺集)
のように、涼しさを詠む言葉で、「玉葉集」の源俊頼の歌では常緑に澄んだ水で賀歌にしている。ここでは墓所のイメージか。
二十二句目。
松陰にすこし草ある波の声
翅をふるふ鳰ひとつがひ 菐言
「翅」は「つばさ」と読む。夏の繁殖期の鳰(カイツブリ)であろう。
「575筆まかせ」というサイトから鳰の句を拾ってみると、
うき出る身をはつ秋のかいつぶり 井上士朗
かげろふに打ひらきたる鳰の海 壺中
さびしさを我とおもはん秋の鳰 智月尼
さみだれや植田の中のかいつぶり 泥足
はつゆきや払ひもあえずかいつぶり 許六
ほとゝぎすなかでさへよきに鳰の海 高桑闌更
ほとゝぎす鳰の月夜や待まうけ 支考
みじか夜の鳰の巣に寝て世を経ばや 鈴木道彦
やゝのびて冬の行方やよかいつぶり 鬼貫
ゆられ~終には鳰も巣立けり 高桑闌更
一夜来て泣友にせん鳰の床 風国
内川や鳰のうき巣に鳴蛙 其角
十六夜に落る潮なし鳰のうみ 三宅嘯山
千早振卯木や鳰の水かゞ見 露川
名月や磯辺~の鳰の声 諷竹
夏海や碁盤の石のかいつぶり 野坡
夕ぐれや露にけぶれる鳰の海 樗良
夕暾や此ごろ鳰の冬気色 許六
のように他の季語と組み合わせて詠まれていて、冬の季語として確立されてなかったと思われる。ただ、江戸後期の曲亭馬琴編『増補俳諧歳時記栞草』では冬の季語になっている。
二十三句目。
翅をふるふ鳰ひとつがひ
しづかなる亀は朝日を戴きて 安信
亀に朝日と目出度い言葉が続き、それに鳰のつがいと、結婚式を寿ぐような賀歌の体になっている。
二十四句目。
しづかなる亀は朝日を戴きて
三度ほしたる勅のかはらけ 自笑
「三度ほしたる」は三回飲み干すことで、「式三献(しきさんけん)」のことと思われる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (「しきさんごん」とも) 酒宴の作法の一つで、最も儀礼的なもの。饗宴で献饌ごとに酒を勧めて乾杯することを三度繰り返す作法。三献。
※上井覚兼日記‐天正三年(1575)一二月九日「式三献参候、御手長申候」
[語誌]中世以降、特に盛大な祝宴などでは「三献」では終わらず、献数を重ねることが多くなり、最初の「三献」を儀礼的なものとして、特に「式三献」というようになったものと思われる。」
とある。今でも結婚式の三々九度にその名残がある。ここでは「勅のかはらけ」で宮廷儀式とした。
二十五句目。
三度ほしたる勅のかはらけ
山守が車にけづる木をになひ 芭蕉
「山守(やまもり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 山林を見まわって番をすること。また、それを職とする人。
※万葉(8C後)三・四〇一「山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆひ)の恥しつ」
② 特に、江戸時代、諸藩の御林監守人。
※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)九月六日「金沢城山守之事〈略〉如右之被仰付由」
とある。王朝時代のこととして、山守が牛車に用いる木を献上し、式三献のもてなしを受ける。晴れの儀式などに用いる唐廂車(からびさしのくるま)の車輪に用いる木だろう。割れたりしてはいけないので、厳選された木材を用いたに違いない。
二十六句目。
山守が車にけづる木をになひ
燧ならして岩をうちかく 知足
燧(ひうち)は火打ち道具のことで、火打石と火打ち金がセットになっている。ここでは火打ち金で辺りの岩を打って火を得たということか。山守のやりそうなことなのだろう。
二十七句目。
燧ならして岩をうちかく
瀧津瀬に行ふ法の朝嵐 如風
修験の滝行が朝の嵐の中で行われ、魔除けのために切り火を切る。
二十八句目。
瀧津瀬に行ふ法の朝嵐
狐かくるる蔦のくさむら 自笑
山奥の景なので狐を登場させる。
二十九句目。
狐かくるる蔦のくさむら
殿やれて月はむかしの影ながら 菐言
これは在原業平の有名な、
月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして
在原業平(古今集、伊勢物語)
であろう。ただ狐が登場することで、立派な屋敷の美女に会って酒を酌み交わし御馳走を食べていて、気づいたら荒れ果てた廃墟だったというよくあるストーリーも思い浮かぶ。
三十句目。
殿やれて月はむかしの影ながら
老かむうばがころも打音 芭蕉
月に衣打つといえばもちろん李白の「子夜呉歌」。戦争に行った主人は結局帰ることなく、屋敷もいつしか荒れ果て、老いた姥が帰りを待って今も衣を打っている。
0 件のコメント:
コメントを投稿