2020年12月17日木曜日

  今日は三日月で、近くに接近している木星と土星も見えた。月の明るさで土星がやや見えにくい。
 コロナの感染者が寒さとともに再び増加に転じている。東京は八百人超、神奈川は三百人超。まあ忘年会っていやいや参加している人の方が多いから、この際今年限りで廃止してもいいのでは。
 ただ相変わらず街に人が多い。年末だし正月準備もあるのか。静かな大晦日、質素な正月というのもたまにはいいのではないか。芭蕉の時代に戻ったみたいで。
 それでは「京までは」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   こがるる猫の子を捨て行
 うき年を取てはたちも漸過ぬ   知足

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には「縁遠い娘」とある。二十歳過ぎて憂き年を取るというのは、そういうことなのだろう。
 まあ、こうした人は家の雑用を押し付けられがちで、猫の子を捨てに行かされたりしたのだろう。
 二十句目。

   うき年を取てはたちも漸過ぬ
 父のいくさを起ふしの夢     芭蕉

 前句を戦死した父の喪に服しているので「うき年を取て」とする。
 二十一句目。

   父のいくさを起ふしの夢
 松陰にすこし草ある波の声    自笑

 「松陰(まつかげ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 松の木がおおっている所。松の木の下陰。
  ※万葉(8C後)二〇・四四六四「ほととぎすかけつつ君が麻都可気(マツカゲ)にひも解き放(さ)くる月近づきぬ」
  ② 水面などに映って見える松の木の姿。
  ※玉葉(1312)賀・一〇五〇「松陰の映れる宿の池なれば水の緑も千世や澄むべき〈源俊頼〉」
  ③ 松の木が日光などをさえぎって、地上などにできる影。
  ※俳諧・文政句帖‐五年(1822)一一月「松影も氷りついたり壁の月」

とある。この場合は②の意味か。

 松影のいはゐの水をむすひあけて
     夏なきとしと思ひけるかな
               恵慶法師(拾遺集)

のように、涼しさを詠む言葉で、「玉葉集」の源俊頼の歌では常緑に澄んだ水で賀歌にしている。ここでは墓所のイメージか。
 二十二句目。

   松陰にすこし草ある波の声
 翅をふるふ鳰ひとつがひ     菐言

 「翅」は「つばさ」と読む。夏の繁殖期の鳰(カイツブリ)であろう。
 「575筆まかせ」というサイトから鳰の句を拾ってみると、

 うき出る身をはつ秋のかいつぶり 井上士朗
 かげろふに打ひらきたる鳰の海  壺中
 さびしさを我とおもはん秋の鳰  智月尼
 さみだれや植田の中のかいつぶり 泥足
 はつゆきや払ひもあえずかいつぶり 許六
 ほとゝぎすなかでさへよきに鳰の海 高桑闌更
 ほとゝぎす鳰の月夜や待まうけ   支考
 みじか夜の鳰の巣に寝て世を経ばや 鈴木道彦
 やゝのびて冬の行方やよかいつぶり 鬼貫
 ゆられ~終には鳰も巣立けり   高桑闌更
 一夜来て泣友にせん鳰の床    風国
 内川や鳰のうき巣に鳴蛙     其角
 十六夜に落る潮なし鳰のうみ   三宅嘯山
 千早振卯木や鳰の水かゞ見    露川
 名月や磯辺~の鳰の声      諷竹
 夏海や碁盤の石のかいつぶり   野坡
 夕ぐれや露にけぶれる鳰の海   樗良
 夕暾や此ごろ鳰の冬気色     許六

のように他の季語と組み合わせて詠まれていて、冬の季語として確立されてなかったと思われる。ただ、江戸後期の曲亭馬琴編『増補俳諧歳時記栞草』では冬の季語になっている。
 二十三句目。

   翅をふるふ鳰ひとつがひ
 しづかなる亀は朝日を戴きて   安信

 亀に朝日と目出度い言葉が続き、それに鳰のつがいと、結婚式を寿ぐような賀歌の体になっている。
 二十四句目。

   しづかなる亀は朝日を戴きて
 三度ほしたる勅のかはらけ    自笑

 「三度ほしたる」は三回飲み干すことで、「式三献(しきさんけん)」のことと思われる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 (「しきさんごん」とも) 酒宴の作法の一つで、最も儀礼的なもの。饗宴で献饌ごとに酒を勧めて乾杯することを三度繰り返す作法。三献。
  ※上井覚兼日記‐天正三年(1575)一二月九日「式三献参候、御手長申候」
  [語誌]中世以降、特に盛大な祝宴などでは「三献」では終わらず、献数を重ねることが多くなり、最初の「三献」を儀礼的なものとして、特に「式三献」というようになったものと思われる。」

とある。今でも結婚式の三々九度にその名残がある。ここでは「勅のかはらけ」で宮廷儀式とした。
 二十五句目。

   三度ほしたる勅のかはらけ
 山守が車にけづる木をになひ   芭蕉

 「山守(やまもり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① 山林を見まわって番をすること。また、それを職とする人。
  ※万葉(8C後)三・四〇一「山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆひ)の恥しつ」
  ② 特に、江戸時代、諸藩の御林監守人。
  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)九月六日「金沢城山守之事〈略〉如右之被仰付由」

とある。王朝時代のこととして、山守が牛車に用いる木を献上し、式三献のもてなしを受ける。晴れの儀式などに用いる唐廂車(からびさしのくるま)の車輪に用いる木だろう。割れたりしてはいけないので、厳選された木材を用いたに違いない。
 二十六句目。

   山守が車にけづる木をになひ
 燧ならして岩をうちかく     知足

 燧(ひうち)は火打ち道具のことで、火打石と火打ち金がセットになっている。ここでは火打ち金で辺りの岩を打って火を得たということか。山守のやりそうなことなのだろう。
 二十七句目。

   燧ならして岩をうちかく
 瀧津瀬に行ふ法の朝嵐      如風

 修験の滝行が朝の嵐の中で行われ、魔除けのために切り火を切る。
 二十八句目。

   瀧津瀬に行ふ法の朝嵐
 狐かくるる蔦のくさむら     自笑

 山奥の景なので狐を登場させる。
 二十九句目。

   狐かくるる蔦のくさむら
 殿やれて月はむかしの影ながら  菐言

 これは在原業平の有名な、

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ
     わが身ひとつはもとの身にして
              在原業平(古今集、伊勢物語)

であろう。ただ狐が登場することで、立派な屋敷の美女に会って酒を酌み交わし御馳走を食べていて、気づいたら荒れ果てた廃墟だったというよくあるストーリーも思い浮かぶ。
 三十句目。

   殿やれて月はむかしの影ながら
 老かむうばがころも打音     芭蕉

 月に衣打つといえばもちろん李白の「子夜呉歌」。戦争に行った主人は結局帰ることなく、屋敷もいつしか荒れ果て、老いた姥が帰りを待って今も衣を打っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿