2020年12月21日月曜日

  今日は木星と土星の一番接近する日だという。397年ぶりの接近だというからこれを見れたのはかなりラッキーなことなのだろう。ハレー彗星は一生に一度はめぐり合うが、これはたまたまその時に生まれ合わせなくてはならない。
 397年ぶりというからには、前回は一六二三年(元和九年)だから、芭蕉も見てないし渋川春海も見ていない。日本の南蛮天文学の祖といわれる林吉左衛門(生年不詳、一六四六年没)なら見たかもしれない。
 今日の夕方は雲一つない良い天気で、暗くなると西の空に二つの星が見えた。乱視なので目を凝らさないとよくわからないが、確かに大きな木星のすぐ右上に小さな星が見えた。
 それでは「翁草」の巻の続き。

 初裏。
 七句目。

   かしこの薄爰の筿庭
 岡野辺にこころを外の家立て   菐言

 薄に埋もれた庭を隠者の住まいとするのは、まあお約束の展開。
 八句目。

   岡野辺にこころを外の家立て
 妾がなつけしひよこ鳴なり    安信

 「妾」は「せふ」と読むがめかけのこと。岡野辺の家を妾が隠れ住む場所とする。
 九句目。

   妾がなつけしひよこ鳴なり
 木綿機はてむ泪にぬらしける   如風

 妾は織姫のように機を織り、滅多にやってこない男に涙を添える。
 十句目。

   木綿機はてむ泪にぬらしける
 とはん仏の其日ちかづく     知足

 泪を亡き夫へのものとする展開もお約束というか。命日も近い。
 十一句目。

   とはん仏の其日ちかづく
 白雲をわけて故郷の山しろし   自笑

 前句の仏を故郷のご先祖様とする。はるばる山を越えて帰省する。
 十二句目。

   白雲をわけて故郷の山しろし
 はなてる鶴の鳴かへる見ゆ    芭蕉

 白雲を分けて飛んで行く放たれた鶴とする。
 十三句目。

   はなてる鶴の鳴かへる見ゆ
 霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて   安信

 ソテツは南方系の植物で霜に弱いから冬は藁で巻いて覆う。冬の庭園の光景だろう。ツルに見合うような景物の少ない冬にあっては、藁で覆ったソテツも冬の風物とすべし。
 十四句目。

   霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて
 煤けし額の軒をもる月      重辰

 お寺の扁額のことであろう。霜覆いをしたソテツをお寺の庭とした。寒さで落葉焚きなどをして、額も煤けている。そんな寂しげなお寺を月が守っている。
 十五句目。

   煤けし額の軒をもる月
 秋やむかし三ッにわけたる客とかや 知足

 客の上中下があるというのは、以前「洗足に」の巻の発句の所で触れたが、宗鑑が庵の入口に掛けていた狂歌、

 上は来ず中は日がへり下はとまり
     二日とまりは下下の下の客
               宗鑑

から来ている。

 下々の下の客といはれん花の宿  越人

の句が元禄二年刊の『阿羅野』にある。
 前句の「額」を宗鑑の庵の額として、あれから月日も流れ幾つ秋の来たことかとする。
 十六句目。

   秋やむかし三ッにわけたる客とかや
 いろいろ置る夕ぐれの露     如風

 露も俳諧ではさまざまな草花に置くだけでなく、比喩としていろいろな意味に用いられる。ここでは秋の風ぐれの悲しさに落ちる泪のことか。
 十七句目。

   いろいろ置る夕ぐれの露
 散レとこそ蓑着てゆする花の蔭  安信

 これは花の蔭で花を散らそうとしているかに見せて、下句につながると露を散らそうとしていたという落ちになる仕掛けになっている。
 桜の木を揺すって花を散らそうなどというのは、言うまでもなく無風流なこと。だが、散らしているのは露で桜の花に露が散って夕日にキラキラと光ればこの上もなく風流になる。
 十八句目。

   散レとこそ蓑着てゆする花の蔭
 痩たる馬の春につながる     重辰

 蓑を着ていたのは桜の木に繋がれた痩せ馬だった。馬も背中に藁で作られた蓑を着ることがある。

0 件のコメント:

コメントを投稿