2020年12月22日火曜日

  今日の夕方もよく晴れて、木星と土星が見えた。昨日とあんまり変わらない感じがする。
 一六二三年(元和九年)の時は太陽に近くて肉眼では見えなかったのではないかといわれていて、肉眼で見れたのは一二二六年(嘉禄二年)以来だという。一二二六年というと承久の変の五年後だから、後鳥羽院さんは隠岐の島で見てたのだろうか。
 それでは「翁草」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   痩たる馬の春につながる
 米かりに草の戸出る朝がすみ   芭蕉

 謡曲『鉢木』のあの「いざ鎌倉」の落ちぶれた武士であろう。謡曲では冬で秋に収穫した粟を食っていたが、それも底をつきたか、春には米を借りに行く。
 二十句目。

   米かりに草の戸出る朝がすみ
 山のわらびをつつむ藁づと    安信

 山の蕨を摘んで藁に包んで持って行き、米と交換する。
 二十一句目。

   山のわらびをつつむ藁づと
 我恋は岸を隔つるひとつ松    如風

 農夫の恋で、相手は川の向こう岸の一本松の辺りに住んでいる。蕨を手土産にせっせと通う。
 二十二句目。

   我恋は岸を隔つるひとつ松
 うき名をせむるさざ波の音    自笑

 川を隔てた恋だけに、世間はさざ波のようにざわざわと浮名を立てる。
 二十三句目。

   うき名をせむるさざ波の音
 けふのみと北の櫓の添ぶしに   知足

 城の櫓であろう。「添臥(そいふし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「① そばに寄りそって寝ること。そいね。そえぶし。
  ※源氏(1001‐14頃)紅葉賀「殿の内の人々も、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御そひふしならむとは思はざりけり」
  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「かりなる横陳(ソヒフシ)して細(こまか)に次第はかたらず」
  ② 東宮、また皇子などの元服の夜、公卿などの少女を傍に添寝させたこと。また、その少女。
  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「さらば、この折の後見なかめるを、そひふしにもと催させ給ひければ、さおぼしたり」
  ※栄花(1028‐92頃)様々のよろこび「おほとのの御むすめ、〈略〉、内侍のかみになし奉り給ひて、やがて御そひぶしにとおぼし掟てさせ給ひて」

とある。お城の櫓での密会なら、武士と小性の男色であろう。
 二十四句目。

   けふのみと北の櫓の添ぶしに
 琵琶にあはれを楚の歌のさま   菐言

 四面楚歌という言葉があるように籠城の場面であろう。明日には落城かという夜、なぐさめに琵琶を弾いて歌っても四面楚歌の故事を思わせるだけで悲しい。
 二十五句目。

   琵琶にあはれを楚の歌のさま
 色白き有髪の僧の衣着て     芭蕉

 琵琶法師であろう。有髪の者もいたのか。
 二十六句目。

   色白き有髪の僧の衣着て
 畳に似たる岩たたみあげ     重辰

 「畳み上げる」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「[動ガ下一][文]たたみあ・ぐ[ガ下二]
  1 すべてをたたんでしまう。たたみ終える。「全員の布団を―・げる」
  2 積み重ねる。積み上げる。
  「赤い煉瓦(れんが)と白い石帯とで―・げられた柱」〈風葉・青春〉
  3 たたむようにして、まくりあげる。
  「草摺(くさずり)を―・げて、ふた刀刺すところを」〈謡・実盛〉」

とあり、ここでは2の意味であろう。前句を「有髪の僧の色白き衣着て」と取成し、山伏のこととしたか。
 二十七句目。

   畳に似たる岩たたみあげ
 柱引御代のはじめのうねび山   菐言

 「御代のはじめ」というのは神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が畝傍山の麓に皇居(畝傍橿原宮)を作り、初代天皇として即位したことを言うのであろう。今の樫原神宮は明治二十三年に創建されたもので、芭蕉の時代にはなかったから、当時の様子はよくわからない。石舞台古墳のようなイメージで岩を積み上げた宮殿をイメージしたか。
 二十八句目。

   柱引御代のはじめのうねび山
 ささらにけづる伊勢の浜竹    芭蕉

 「伊勢の浜竹」はよくわからない。「難波の葦は伊勢の浜荻」をもとにして作った造語で、都では別の竹の名称があるということか。ささらは掃除をするわけではないだろう。楽器のささらで、即位を祝ってささらの舞を奉納したということか。田楽や神楽などの古い芸能にはささらが用いられる。
 二十九句目。

   ささらにけづる伊勢の浜竹
 貝のから色どる月の影清く    重辰

 伊勢の浜の風景をイメージしたのだろう。
 後に『奥の細道』の旅に出た時、敦賀の色の浜で、

 衣着て小貝拾はん種の月     芭蕉

という句を詠むが、これは、

 潮染むるますほの小貝ひろふとて
     色の浜とはいふにやあらむ
              西行法師

の歌に由来するが、月夜の貝殻の趣向はこの重辰の句に着想を得てたのかもしれない。
 三十句目。

   貝のから色どる月の影清く
 部屋にやしなふ籠の松虫     安信

 虫籠の歴史は古く、平安時代からあったらしい。中には螺鈿細工を施した豪華なものもあったのだろう。ただ、いくら豪華な籠でも所詮は囚われの身。

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