香港といいウイグルといい、大変なことが起きているのに、右側にも左側にも中国に忖度する人たちがいる。安倍政権に経団連が圧力をかけているという噂もあるが、本当だとしたら文字通りの意味で売国奴集団だ。
コロナ対策に圧力を欠けているのも大体どういう奴等かはわかる。とにかく儲かりさえすればいい。人がどれだけ死のうが、一つの民族が浄化され消滅しようがおかまいなしだ。
国内の感染者数も着実に増え続けているし、今年の下半期もいいことなさそうだな。
アマビエ巻、挙句。
疫病に涙も果てぬこの世界
雲の向こうやさみだれの月
まあ、とにかく目出度く終わらせる要素が何もないけど、希望だけは失わないでいたいね。
というわけで三月二十二日に二ケ領用水沿いの枝垂桜を見て、二十五日に脇を付けてから、毎日一句づつ付けていって百句目の挙句に至り、取り合えず生きて満尾することができた。
「アマビエ」の巻
新冠病毒退散祈願何人俳諧独吟百韻
初表
武蔵溝ノ口の二ケ領用水沿いの枝垂桜を見て、
言水編『東日記』の、
山川に人魚つるらん糸ざくら 丸尺
の句を思い起し、
アマビエもつれるといいな糸桜
春がいくまで二十八日
タワマンの霞の中に夜は明けて
言葉少なに駅の押し合い
ドアに立つおやじ動こうともしない
見れば真っ赤に燃え上がる空
台風の尋常でない夕月夜
ブルーシートの脇は芭蕉葉
初裏
秋薔薇のようやく揃う作業小屋
思えば辛いSEの頃
異世界にハーレム展開描くにも
何の嫉妬か見つからぬ本
ググっても謎の解けない恋の道
長閑な日々を引き籠りつつ
信じよう不幸の先の花の春
知らず年賀の遠方の友
名を聞いて下の名前と付け加え
月の宴の門も開いて
山寺のBGMは虫の声
露を踏み分け御朱印の列
レーシングスーツは旅の衣にて
宿に着いても酒は飲まない
二表
少しづつ業界言葉覚えだす
草木も鬱の新緑の頃
猫の顔隠せるほどの牡丹咲き
尺八習う和風ゴシック
時節柄ユーチューバーを目指そうか
年末ジャンボ一応は買い
片隅の小さなやしろ手を合わせ
歩こう会の口は休まず
七十年過ぎてから言う好きだった
万博あとにまためぐり逢い
偶然と思えずもしやストーカー
公園脇で休憩すれば
いつのまに宵待草の月夜にて
暑さも蝉も止むことはなく
二裏
ネクタイと紺のスーツの皺伸ばし
すぐに過ぎてくたまの休日
君の気を引くにも炭に火は着かず
焼けぼっくいを横目で眺め
これじゃまるでボーイズラブの女キャラ
黙っておこうカミングアウト
世話好きの熟年尼にときめいて
変わったお茶をご馳走になる
月を背に漁火遠い日本海
向こうの岸は霧に閉ざされ
フレコンの黒きを見れば肌寒く
かえるの声はどこか寂しい
花の宴門限だけはゆずれずに
残念なのはしらす雑炊
三表
窓からは春の日の射す病院で
世界は不思議奇跡に溢れ
太古より恋の遺伝子引き継いで
それでも引くは子供何人
公園へお散歩カーの道長く
木枯らし寒いレッカー作業
かわいそう日本のひとが叱られる
左翼ばかりのつどう飲み会
酒に負け議論に負けてゲロ吐いて
朝はカラスの騒ぐかあかあ
住み込みの仕事どこかにないだろか
嘘をつくのも慣れたこの頃
夜も更けて曇りもはてぬ薄月に
彼岸花咲く土手はひんやり
三裏
監督の怒声も遠く秋の風
ゾンビ四五人世間話を
スコップの立ててあるのをちら見して
明日は雪で何を作ろう
白菜と葱はあるけど肉はなく
故郷の便りうれしいけれど
だからもう結婚なんてしないから
あの娘は夜の街へと消えて
役人の小遣いじゃ援交は無理
ポルノサイトのアイコン注意
まずシャワー浴びてとせかす下心
空には昼の月が霞んで
今日もまた仕事ないまま花を見る
ふりかえるならみんな陽炎
名残表
戦いの記憶も遠い春の海
ここは命の夢のふるさと
地球儀をくるくる回す子の笑みに
爺は勝手に物買ってくる
トイレットペーパー部屋にうず高く
査察があると通路片付け
古めかしいエレベーターは故障中
外階段は夏の香りが
ワイシャツの少年達は汗臭く
垣間見るのはスク水の君
もっこりも気にならぬ程あどけなく
冬籠る寺虹になぐさむ
定めなき雨のおさまる凍月に
中央道を西へと向かう
名残裏
終らない夢に選んだ新天地
頼むネットよ繋がってくれ
豊かさは自由があってこそのもの
早咲き枝垂れ八重の花々
過ぎてった楽しい春の思い出よ
蝶の羽にも時間よ戻れ
疫病に涙も果てぬこの世界
雲の向こうやさみだれの月
それでは「早苗舟」の巻の続き。
初裏。
九句目。
掃ば跡から檀ちる也
ぢぢめきの中でより出するりほあか 孤屋
「ぢぢめき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (歴史的かなづかいは「ぢぢめき」か)
① 人がやかましく騒ぐこと。
※バレト写本(1591)「ソノバノ jijimequi(ジジメキ) シバシワ ヤマズ」
② 動物がやかましい声や音を出すこと。《季・秋》 〔俳諧・誹諧初学抄(1641)〕
※俳諧・ひさご(1690)「雀を荷ふ籠のぢぢめき〈二嘯〉 うす曇る日はどんみりと霜おれて〈乙州〉」
③ 小鳥を入れて運ぶ楕円形の長い籠。〔俚言集覧(1797頃)〕
とある。この場合は②の意味だろう。
「るりほあか」は瑠璃鳥(るりちょう)と頬赤(ほあか)のことで、瑠
璃鳥は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の「る」の八月のところに、
「瑠璃鳥 [和漢三才図会]碧鳥、俗云、留里。大さ雀のことくにして、頭・背・翮上、翠色。頬・頷、臆下に至て純黒、胸・腹白く、觜・脚・尾、具に蒼色。其声、円滑にして清く囀る。」
とある。
同じく頬赤は「ほ」の八月のところに、
「頬赤鳥 正字未詳。[和漢三才図会]状、雀より小く、背の色も亦雀のごとし。其頬赤く胸白くして雌鶉の文あり。声、青鵐に似て細く高し。常に蒿間に棲む。」
とある。
たくさん鳥が騒いでる中に、瑠璃鳥と頬赤鳥の姿を見出す。美しい鳥もいれば、檀の赤い鮮やかな葉も散っている。
十句目。
ぢぢめきの中でより出するりほあか
坊主になれどやはり仁平次 利牛
前句の「ぢぢめき」を③の鳥籠の意味に取り成して、出家してもやはり仁平次という俗名の頃から変わっていない。鳥を飼うのをやめられないとする。
十一句目。
坊主になれどやはり仁平次
松坂や矢川へはいるうら通り 野坡
伊勢松阪の矢川町は現在の松阪駅前のあたりで、遊郭があったが元禄三年の大火で焼失したという。近くには清光寺(せいこうじ)がある。
坊主になっても遊郭に通うときには元の仁平次に戻ってしまう。
十二句目。
松坂や矢川へはいるうら通り
吹るる胼もつらき闇の夜 孤屋
「闇の夜」は月のない夜のこと。「胼(ひび)」はあかぎれのことで、田舎の侘しげな遊郭で、女の人たちはあかぎれに苦しみながら闇の夜に生きる。
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