今日は時折日も差したが時折小雨が降った。まだ梅雨は明けない。
最近K値という言葉を聞くから、一応調べてみた。
K値は累計感染者に対する新規感染者の割合だという。
新規感染者に関しては七日移動平均線を用いている。(株価の場合は五日移動平均線と二十五日移動平均線とが併用される。)
感染者の増加や減少の傾向を見るには、普通に考えれば七日であれ五日であれ、普通に移動平均線を見ればある程度のことはわかる。いわゆる上昇トレンドにあるか下降トレンドにあるかはわかる。
ただ、それを過去の感染者累計で割る意味は一体なんだろうか。
累計である限り、分母は日に日に増え続ける。それに対する新規感染者の割合は、分母が増え続けるほど少なくなる。つまり毎日同じ数の新規感染者が出ていても、K値は下降トレンドを示すことになる。
つまり、新たな感染者が同数か微増くらいでもこのグラフではピークアウトしたことになり、一度ピークアウトすると上昇トレンド認定のハードルが恐ろしく高くなる。
ここまでいえばK値というのが何なのかは明瞭だ。それは現在の感染者の増加傾向や減少傾向を見ているのでなく、たとえ増加していたとしても、過去の膨大な数の感染者に較べればたいしたことがないことを言っているにすぎない。
これはつまり、時間が経てば経つほど、累計感染者が増えれば増えるほど、新たな感染者数の脅威は下方修正される、そういう魔法の数値だ。
多分これを考えた人は、単なる思い付きで言っただけなのだと思う。それが感染症対策をしないですませる格好の口実を与えててしまったのではないか。
騙されているのか確信犯なのかはよくわからないが、国や自治体がこの魔法にかかってしまっているなら、救いようがない。エスナ!
それでは「早苗舟」の巻の続き。
三表。
五十一句目。
弦打颪海雲とる桶
機嫌能かいこは庭に起かかり 野坡
孵化した蚕の幼虫(毛蚕:けご)は二三日すると動かなくなり脱皮する。これを眠という。四回目の眠のことを庭休みという。この脱皮が終ることを庭起きという。このあと蚕は盛んに桑の葉を食べ大きくなる。
前句を時候としての付け。
五十二句目。
機嫌能かいこは庭に起かかり
小昼のころの空静也 利牛
小昼(こひる)はコトバンクの「デジタル大辞泉」の解説に、
「《「こびる」とも》
1 正午に近いころの時刻。
2 昼食と夕食の間、または朝食と昼食の間にとる軽い食事。」
とある。
芭蕉の時代は『伊達衣』に、
二時の食喰間も惜き花見哉 杜覚
の句があるように、一日二食の所が多かった。『猿蓑』の、
水無月や朝めしくはぬ夕すゞみ 嵐蘭
の句も、朝飯は食ってないが昼飯は食ったというわけではあるまい。厚くて食欲がなく、朝から何も食ってないという意味。
その意味ではここでの「小昼」は2の意味とも考えられる。ちょうど小腹がすくころだ。
五十三句目。
小昼のころの空静也
縁端に腫たる足をなげ出して 孤屋
足が腫れて仕事にならないから縁端(えんはな)に足を投げ出して、手持ち無沙汰な感じだ。
五十四句目。
縁端に腫たる足をなげ出して
鍋の鑄かけを念入てみる 野坡
「鑄(い)かけ」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、
「鋳掛けは鋳物技術の一手法で,なべ,釜など銅・鉄製器物の破損を同質の金属,またははんだの一種である白鑞(しろめ)を溶かして継ぎ掛けることであり,その職人を鋳掛屋または鋳掛師といった。基本的には鋳物師(いもじ)から分化した専門職人である。その専業化は,白鑞の利用がひろまってきた17世紀になってからのことである。鋳掛師は居職であるが,鋳掛屋は出職である。二つの箱に道具をいれて7尺5寸の長いてんびん棒をかついで町中を歩いた。」
とある。
修理中に火傷でもしたか、鋳掛屋は腫れた足でやってきて鍋を直すと、その具合を念入りに見ている。
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