今日は旧暦で水無月の朔日。土用の丑の日でもある。
暑気払いはやはりカレーがいい。「う」のつくものという意味では「ウコン(ターメリック)」も入っているし、クミンは「うまぜり」という別名がある。ちなみに今日のカレーはウシは入ってなくて豚だった。
カレーは匂いが分からなくなったらすぐわかるので、コロナ対策にもなる。
さて、水無月の俳諧ということで、芭蕉の『奥の細道』の旅の途中、六月四日に羽黒山南谷で始まった歌仙興行を見てゆくことにしよう。折から政府のGo Toキャンペーンも始まるということで、羽黒山へ行った気になるのもいいのではないかと思う。行った気になる分には感染を広めることもない。まあ、建前としては来てくださいなのだろうけど、こういう状況だけに空気を読めということなのではないかと思う。
曾良の『旅日記』の六月四日のところにはこうある。
「四日 天気吉。昼時、本坊ヘ蕎麦切ニテ被招、会覚ニ謁ス。幷南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円人ニ会ス。俳、表計ニテ帰ル。三日ノ夜、希有観修坊釣雪逢、互ニ泣第ス。」
この日は表六句で終わったようだ。
前日に新庄を発った芭蕉と曾良は羽黒手向荒町の近藤左吉の宅に着く。そこから羽黒山の若王寺宝前院に行き、南谷にある本坊の隠居所を訪ねている。別院紫苑寺というらしい。残念ながら若王寺宝前院の大伽藍も別院紫苑寺も今はない。明治元年の神仏分離令で、羽黒山は出羽神社になり、明治五年には修験道が禁止され、見る影もなくなった。
四日は良い天気に恵まれたが、その分暑かっただろう。蝉の鳴く中を蕎麦切りを食べに南谷の本坊の隠居所へ行き羽黒山の別当代会覚阿闍梨に会う。この人はのちに、別れの時に、
忘なよ虹に蝉鳴山の雪 会覚
の発句を送ることになる。これをもとにした歌仙「忘るなよ」の巻は「温海山や」の巻とともに去年読んだ。
蕎麦切りは今日のように細く切ったそばで、それ以前の蕎麦掻に対して言う。
俳諧はここでまず表六句ができあがることになる。
まず発句。
有難や雪をかほらす風の音 芭蕉
この句は後に、
有難や雪をかほらす南谷 芭蕉
に改作され、『奥の細道』に収められている。
羽黒山は標高四一四メートルで雪はないが、隣の月山は一九八四メートルで、夏でも雪渓がある。南風に乗って、あたかも月山の雪渓の雪の香りが運ばれてくるようで涼しげです、という興行開始の挨拶になる。
季語は風薫るで夏になる。芭蕉はこの直前新庄で、
御尋に我宿せばし破れ蚊や
はじめてかほる風の薫物 芭蕉
の脇を詠んでいる。
これに対し、脇は羽黒手向荒町の近藤左吉(俳号露丸)が詠む。宿の提供者という意味もあるだろう。
有難や雪をかほらす風の音
住程人のむすぶ夏草 露丸
住める程度に夏草を結んだだけの粗末な草庵ですと謙虚に応じる。
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