2020年7月5日日曜日

 人吉の方では大変なことになっている。学生の頃だったか、えびのから熊本へと車で抜けたことがある。まだ高速がなかったので、川沿いの大型トラックのたくさん通る道だった。
 都知事選は予想通りの瞬殺で小池再選だった。
 それでは「早苗舟」の巻の続き。

 二表。
 二十三句目。

   御影供ごろの人のそはつく
 ほかほかと二日灸のいぼひ出    野坡

 「二日灸」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に。

 「陰暦2月2日にすえる灸。この日に灸をすえると年中息災であるという。8月2日にすえる灸にもいう。ふつかやいと。《季 春》「かくれ家や猫にもすゑる―/一茶」

とある。ここでは「ふつかやいと」と読む。ところでこの一茶の句、じっとしててくれるのかな。今では体に貼るタイプのお灸もあるし、温灸もあるが。
 「いぼひ出(いで)」は中村注に「灸のあとのただれるをいう」とある。
 「ほかほか」は今だと炊き立てのご飯を想像するが、昔は外外(ほかほか)で離れ離れという意味。この句の場合は「あちこちに」というような意味だろう。
 二月二日にお灸をして火傷した跡がただれて、二十一日頃になってもあちこちに残っている、という意味になる。
 二十四句目。

   ほかほかと二日灸のいぼひ出
 ほろほろあへの膳にこぼるる    孤屋

 中村注は「ほろほろあへ」という料理とし、法論味噌の和えものだとする。
 ただ、ここは前句の「ほかほか」に応じて「ほろほろ」という擬音を付けたとも取れる。「ほろほろこぼれる」で、和えの膳の上に涙がこぼれるとなる。それだけ火傷のかぶれが痛むということだろう。
 「ほろほろ」は花や葉が散る擬音で、

 ほろほろと山吹散るか滝の音    芭蕉

の句もあるが、涙がほろほろとこぼれるという用法もある。
 「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」(西條八十作詞)にも「泣いてくれるなホロホロ鳥よ」のフレーズがあって、涙のほろほろとホロホロ鳥を掛けている。
 二十五句目。

   ほろほろあへの膳にこぼるる
 ない袖を振てみするも物おもひ   利牛

 「ない袖を振る」というのは今日では「ない袖は振れない(お金がないので払えない)」というふうに否定形で用いられているが、芭蕉の時代でもこの言い方があったのかはよくわからない。
 「袖振る」は一般的にはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 「1 別れを惜しんだり、愛情を示したりするために、袖を振る。
  「白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)―・る」〈万・四三七九〉
  2 袖を振って舞う。
  「唐人の―・ることは遠けれど立ちゐにつけてあはれとは見き」〈源・紅葉賀〉」

とあるとおりだ。
 この場合だと別れが惜しいわけではないけど惜しむ振りをして、それでも悲しみに涙がこぼれるという意味か。
 二十六句目。

   ない袖を振てみするも物おもひ
 舞羽の糸も手につかず繰      野坡

 「舞羽(まいば)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 糸を巻く道具。台に立てた短い竿(さお)の上に十字形の枠(わく)を載せて回し、枠の四端に差した竹に糸を掛けて巻き取るようにしたもの。まいのは。〔訓蒙図彙(1666)〕」

とある。糸巻きのことのようだ。
 袖のない姿で舞羽で糸を繰るというと、鶴の恩返しの民話が思い浮かぶ。元の話は室町時代の御伽草子の「鶴の草紙」で最初は機を織る話ではなく、「わざわひ」という獣を実家に取りに行かせ、悪い地頭をやっつける話になっている。今でいえば召喚師の家系ということか。
 機を織って恩返しをするのは「蛤草子」の方で、鶴ではなく蛤になっている。
 今の鶴の恩返しはこの二つが合体したものと見ていいだろう。ただ芭蕉の時代にあったかどうかは不明。
 ここでは単に前句の物思いの主を機織る女性としたと見た方がいい。
 なお福島の方では機織る男性もいたようだ。等躬撰の『伊達衣』に、

   福島にて
 たなばたは休め絹織男共      鋤立

の句がある。
 二十七句目。

   舞羽の糸も手につかず繰
 段々に西国武士の荷のつどひ    孤屋

 参勤交代の大名行列があると、それに先行してまず荷物を運ぶ人足たちがやってくる。次々にその人足たちが集まってくると本隊の到着も近い。機織る娘も大名行列を見物したくてわくわくしてくる。
 二十八句目。

   段々に西国武士の荷のつどひ
 尚きのふより今日は大旱      利牛

 「大旱(おほてり)」は日照り、旱魃のこと。「きのふ」は古くは前日だけでなく、最近という意味でも用いられた。
 ここでは大名行列は関係なく、単に西国武士からの物資が集まってくるとする。救援物資か。
 二十九句目。

   尚きのふより今日は大旱
 切蜣の喰倒したる植たばこ     野坡

 「切蜣」は「きりうじ」と読むが、今日では「キリウジ」はキリウジガガンボの幼虫を指すもので稲・麦の幼根などを食べる。
 ただ、タバコの害虫ではない。タバコに含まれる天然成分ロリオライドに防虫効果があり、タバコに害虫は付きにくい。
 ここでいう切蜣(きりうじ)はネキリムシなどを一般的に指す言葉ではなかったかと思う。
 ネキリムシにはキリウジガガンボの幼虫だけでなく、コガネムシ、コメツキムシの幼虫も含まれているし、蛾の幼虫も含まれている。
 漢字の「蜣」も本来コガネムシなどを表わす字で、「きりうじ」と言った場合、今日の生物学的区分ではなく、根を食い荒らす虫一般を指していたと思われる。
 タバコに大きな害を与えるのはカブラヤガ、タマナヤガ、オオカブラヤガの幼虫で、これもネキリムシということで「きりうじ」に含まれていたと思われる。
 タバコはネキリムシに食われ、その植え旱魃となると、踏んだり蹴ったりだ。
 三十句目。

   切蜣の喰倒したる植たばこ
 くばり納豆を仕込広庭       孤屋

 「くばり納豆」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「〘名〙 年末または年始に、寺から檀家へ配る自製の納豆。
  ※俳諧・炭俵(1694)上「切蜣(うじ)の喰倒したる植たばこ〈野坡〉 くばり納豆を仕込広庭〈孤屋〉」

とある。
 全国納豆協同組合連合会のホームページによると、

 「昔は納豆は、秋から冬にかけて食べるのが習慣でした。したがって、柿の実が色づいて納豆仕込みがはじまると、毎日のように納豆が食卓にのるため、体力が充実してきて、病気に対する抵抗力も強くなるために、医者にかかる人も少なくなってしまう。」

とあり、水戸天狗納豆のホームページには、

 「昔は、寒中に乾燥納豆や納豆漬けを大量に仕込み、田植えの時の体力食にしました。」

とある。
 まあ大体晩秋から冬に仕込むのが普通だったのだろう。
 肉を食べないお坊さんにとって、納豆は貴重な蛋白源だったから、お寺で納豆を作っていたのは当然だろう。タバコの栽培もひょっとしたら外来の植物だけに、お寺を中心に栽培が広まっていたのかもしれない。

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