我慢できずに夜遊びしたり旅行したりすれば、それだけ感染リスクが高まり、コロナで死ぬ確率も高くなる。じっとしていた人は死ぬ確率は低くなる。ほんのわずかな確率の差でも、最終的には遊び歩いた人の遺伝子は淘汰され、我慢強い人の遺伝子が残る。これがダーウィニズムだ。
コロナが駆逐されることなく、コロナと共存する時代が長く続くとするなら、人類は引きこもることを苦としない我慢強い人間へと進化する。社会も同様、対面型のサービス業は全体的に衰退し、ネット上のサービスや地道な農業や製造業が生き残る。それを支えるAIやロボット産業は躍進することになる。
今は斜陽のサービス業の延命に金を注ぎ込むよりは、工場を日本に戻すことを考えたほうがいい。テレワークで都市と田舎の格差がなくなれば、地方の活性化にもつながる。
Go toよりもBack toを。スーパーシティーよりもスーパーカントリーを。
観光旅行の時代が終われば、いろいろな地域を渡り歩けるのは一部の特殊な人間となるかもしれない。旅行者は昔の「マレビト」に戻るのではないか。
和辻哲郎は世界が一つになるために日本人の「外へ向かう衝動の欠如」の克服を説いたが、今の世界は逆に流れている。世界はますます多様化し、統一よりも分割の時代に入っている。今必要なのは「内へ向かう衝動」ではないのか。諸民族がうまいこと棲み分けることで人種差別もなくなり、新世界が生まれる。
異民族をこき使うのはもうやめよう。自分たちで働こう。諸民族がそれぞれ自分たちの世界を手にすることで、きっと世界は平和になる。
それでは「早苗舟」の巻の続き。
七十三句目。
水菜に鯨まじる惣汁
花の内引越て居る樫原 利牛
「花の内」はweblio辞書の「季語・季題辞典」に、
「読み方:ハナノウチ(hananouchi)
東北地方での小正月から月末までの間の呼称
季節 新年
分類 時候」
とある。昔は東北地方に限らず用いられていたか。四つの花の一つは似せ物の花になる。
「惣汁」もそうだが、近代俳句では新暦正月が冬に来てしまったため、春夏秋冬とは別に「新年」を部立てしている。俳諧では歳旦や新年の句は当然ながら春になる。
「樫原(かたぎはら)」は京都の地名で、ウィキペディアには、
「樫原(かたぎはら)とは、京都市西京区の一部をいう。
樫原は南北に通じる物集女街道、東西にのびる山陰街道の結節点にあたる。物集女街道は北摂から京都市域に入る幹線道路であり、嵐山に通じる。四条街道と通じ、梅津や桂、嵐山の木材湾港と通じる古くからの商業路である。山陰街道は大枝山方面から丹波地方にのびる幹線道路である。樫原はこのような交通の要衝であることから、古くから街道町として栄えた。丹波方面の計略を命じられた戦国時代の明智光秀による整備の歴史も語られており、幕末には志士を匿う豪商も多く存在した。ちなみに近郊の川島には、志士を経済的に支えた土豪・革嶋氏の拠点がある。」
とある。阪急の桂駅が近い。
惣汁が京の習慣だったから、正月は町中で過ごし、小正月過ぎてから樫原に引っ越す。
七十四句目。
花の内引越て居る樫原
尻軽にする返事聞よく 孤屋
「尻軽」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「〘名〙 (形動)
① 尻の軽いこと。起居の活発なこと。身軽なこと。また、そのさま。
※浮世草子・好色一代女(1686)一「身拵へ取いそぎ、駕籠待兼(まちかね)尻(シリ)がるに乗移りて」
② 振舞いのかるがるしいこと。かるはずみ。
③ 多情なこと。特に、女の、浮気なこと。
※仮名草子・御伽物語(1678)二「そふからはかしづくべきなり。世のしりがるなるをんなにきかせてしがな」
とある。今では③以外の意味ではほとんど用いられないが、かつては今で言う「フットワークが軽い」に近い良い意味もあったようだ。
樫原は交通の要所なだけに、仕事上、こういうところにさっと引っ越してくれるのは使う方としては嬉しいものだ。
七十五句目。
尻軽にする返事聞よく
おちかかるうそうそ時の雨の音 野坡
「うそうそ時」は明け方や夕暮れの薄暗いころで逢魔が刻とも言う。雨の黄昏に返事する者は人外さんかもしれない。
七十六句目。
おちかかるうそうそ時の雨の音
入舟つづく月の六月 利牛
旧暦の六月だと梅雨も明けている。熱いカンカン照りの日が続くが夕立も多い。夕立の後には月も出る。
この頃は灘から運ばれてくる酒も最後の売り切りになり、駆け込み需要で船が増えたのだろう。あとは新酒を待つことになる。
七十七句目。
入舟つづく月の六月
拭立てお上の敷居ひからする 孤屋
「お上(うえ)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「1 主人の妻や目上の人の妻を敬っていう語。
「いかなれば―にはかくあぢきなき御顔のみにて候ふぞやと」〈仮・是楽物語下〉
2
㋐土間・庭に対して、畳の敷いてある部屋。座敷。
「毎年お庭で舞ひまして、お前は―に結構な蒲団敷いて」〈浄・大経師〉
㋑主婦の居間。茶の間。おいえ。
「―には亭主夫婦、あがり口に料理人」〈浄・曽根崎〉」
とある。この場合は2であろう。
入舟が多いということで商売繁盛なのか、店の座敷の敷居もきれいに磨いてある。「ひからする」は前句の月にも掛かる。
七十八句目。
拭立てお上の敷居ひからする
尚云つのる詞からかひ 野坡
「からかひ」は古語では「争い」意味があるので、ここは口喧嘩のことであろう。「お上」を2のイの意味に取るなら夫婦喧嘩か。
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